止まらない昔語りの所為で、何時崩れてしまうやも知れぬ、危うい均衡を保ちながらも。
何とか明るく、三年前のトランにての戦いを知る者達の会話は、酒場の片隅にて続いた。
「あ、そう云えば」
ぎゃいのぎゃいのと、故郷から解放軍居城への帰り道、捕われていたビクトールを詰るフリックと、そんなフリックに対抗するビクトールのやり取りを尻目に。
それまで、黙って人々の話に耳を貸しながら、盃を傾けるだけだったヤム・クーが、ふと、モラビアと云えば、と口を開いて。
「ウォーレンさんとビクトールさん助けたら、ヴァンサンさんって云う、強烈な『おまけ』も、付いて来ましたっけねえ……」
此度の戦いに於いても宿星の一人として在る、華美と云うか、芝居掛かっていると云うか……正しく、ヤム・クーが云ったように、『強烈』としか表現の仕様のない、親友で在るシモーヌと共に、ナルシストと噂の、ヴァンサンの名を出した。
「……何だ、ヤム・クー、黙ってたから、寝ちまったのかと思ったぜ。──あー、ヴァンサンなー……。一緒だった牢屋ん中でも、そりゃー……あ、強烈だったぞー。昼夜問わず、出してくれだの、こんな所に入れられる謂れはないだの、喚き散らしやがって。……とな、当然、牢番は怒鳴るだろ? ……するとあいつ、胸に飾ってた薔薇の飾り手にして、天井仰いで大仰に泣き崩れやがるんだ……」
さらっと、事も無げに語られた名に。
数日間、モラビア城の牢屋にて、ヴァンサンと寝起きを共にした仲であるビクトールが、在りし日を思い出して、げんなりと項垂れ。
「うっわー。ビクトールさん、それ、災難っ」
ぶつぶつぶつぶつ、あの時期を嘆き始めたビクトールを、ケラケラとセツナが笑った。
「あの戦いが終わって、あのナルシーとも縁が切れたと思ったんだが……。ここに来て、ダブルになって、御縁の復活でござい、と来たもんだ。あー……具合悪くなるぜ……」
「気持ちは、判る。ヴァンサンとシモーヌの醸し出す世界は、私に付いてゆけん……」
己が様子を、セツナに腹を抱えて笑われても、改めようとしなかったビクトールを、同情に満ちた眼差しで、バレリアが見つめた。
「本当に、強烈な名前、出しやがったな、ヤム・クーよ」
解放軍に参加していた者達、同盟軍に参加している者達、恐らくは、その全ての者達が、強烈だ、と云う感想を抱くだろう人物の一人、ヴァンサンの名を出した弟分に、タイ・ホーは苦笑する。
「いや……その。ミルイヒさんとかね、あー……エスメラルダさん、でしたっけか。解放軍にいた、あの辺の手合いの方達と、意志の疎通が出来るお人ってのも、世の中には未だ未だいるんだなあ……って、モラビアの戦いの後、ヴァンサンさん見て思ったんで。良く覚えてたんですよ。……それに」
「………それに?」
「いえ、ね……その……まあ……ちょいと、云い辛い思い出、って奴なんですが。ヴァンサンさんの例の大仰な仕種ってんですかね、あれ、見て……カナタさんがねえ……随分と楽しそうに笑ってたのが、印象深くって。……色んなことがあり過ぎたのに、屈託なく笑えるんだなあ……って」
ヴァンサン・ド・プール、と云う名を、ふと口にした理由は。
あの個性溢れる人となりが、良く記憶に残っていたが為と。
そのヴァンサンに笑い掛けるカナタの姿も、良く記憶に残っていたが為だ、と。
折角、持ち直した場に、水を差しちまいましたかね……と小声で呟きながら、ヤム・クーは語った。
「…そう云やぁ……あの頃になっても、カナタ……良く、笑ってたっけなあ……」
故に、ああ……と。
モラビアの城にての戦いの頃も、その後に行ったシャサラザードでの攻防戦の頃も、シークの谷の出来事を経て尚、カナタは……笑っていたな、とフリックも記憶の糸を辿った。
「………………モラビアは兎も角、な。……シャサラザード」
──と。
ヴァンサンの話が出た頃より、げんなりと肩を落とし続けいたビクトールが、すっ……と真顔になって。
「シャサラザードが、どうかしたか?」
相方の真剣な顔に、フリックが、ん? と眉を寄せた。
「シャサラザードの地下水路で、マッシュに起こっちまったことを、な……考えるだけで……出来れば思い出したくない、と、そう云いたくなるんだが、あそこの話は。一つだけ、どうしても、忘れられないことがあるんだ……」
すれば、ビクトールは、あの頃のことで、どうしても一つ、記憶より消せぬ出来事がある、と洩らして。
「……何を?」
「地下水路を辿って水門を閉めて、戻って来た時。帝国水軍の頭領だったソニア・シューレンの待ち伏せ受けたの、覚えてるか? フリック」
「そりゃあ、勿論」
「…………あの時な、たまたま、俺はカナタの隣にいたから。ソニアの顔見てな、すうっ……っと……一寸ばかり複雑そうになったカナタの顔が覗けて。おや? って思った処に、ソニアの奴が何やら喋り出して。……あの時、ソニアが云っていたことが、俺には良く飲み込めなかったんでな。一体、何だ? と首捻ったら……カナタの奴がさ……」
何時の間にやら飲む酒を、ワインより火酒へと変えていたビクトールは、グラスの底に僅か残っていた透明な酒を軽く振りながら、渋い表情を作った。
「……カナタが??」
余り、らしいとは言えない相方の態度に、何をそんなに……と、フリックは益々、眉を寄せたが。
「あいつ……俺が、不思議そうなツラになったの、気付いたんだろうな。ちろっと俺を見上げた後、真直ぐ、ソニア見据えながら、云ったんだ。……僕の、母上になったかも知れない人……ってな……。──それが、忘れられなくってなあ……」
忘れられないことを語りながら、ちゃぷりちゃぷりと揺すっていた、グラスの底に残った僅かな酒を、天井を仰ぐように飲み干して、コトリ、小さな音を立て、ビクトールがグラスをテーブルに置いたから、フリックが寄せていた眉はすっと元の場所に戻り、その代わりに青雷の眉間には、別の意味の篭った皺が寄った。
「なる……ほど……」
恐らく、それ以外の台詞は、出て来なかったのだろう。
相方が語った話へ、呻くようにフリックは、それだけを云う。
「家族だった奴等、家族になる筈だった女、それに、親友。……死んだにしろ、生きているにしろ……何も彼も、カナタからは消えちまったんだなあ……とな。そう思って。いたたまれなかったな……。なのに、例えば俺にとってのネクロードがそうだったみてえに、無条件に恨める相手も憎める相手も、あいつにはいないだろう……? 何か、な。やり切れなくなってな、あん時」
椅子の背凭れに肘を預けながらレオナを振り返り、大声で一言、酒っ! と怒鳴りつつも。
低く呟くように、ビクトールは当時を振り返った。
「クレオが残っているのが、唯一の幸い……なのだろか。そう思っても、構わないのだろうか……」
傭兵が洩らしたことを耳にして。
たった一人、カナタに残された近しい者のことを思いつつ、バレリアも又、新たに酒を注文した。
飲まなければ、やっていられない、とでも云う風に。
「…………あっ! クレオさんっ!」
──と、大人達の話から何かを思い出したのか。
いい加減、トロンとした目付きになって来ていたセツナが、バンっ! と机を両手で叩きながら、大声を放った。
「な、何だ? セツナ」
唐突に放たれた大声と机を叩いた音に、ビクゥっとフリックが、背中を揺らせば。
「どうしようっ、マクドールさんに渡すの忘れちゃったっ! 今日出掛けた先で、たまにはってマクドールさんが買ってたクレオさんのお土産、僕、袋の中に預かったままだったのにっ! どうしよう、フリックさんっ! 今からマクドールさん追い掛けて、間に合うかなっっ!!」
わたわたと慌てながらセツナは事情を話し、どうしよう、どうしよう、と傍らに置いたままだった荷物を漁り始めた。
「お前、カナタが帰ってから、何時間経ってると思ってるんだよ……。あいつのことだから、もう、バナーの峠、越え切ってるぞ、多分」
だから事情を知ったフリックは、少年を諭そうとしたが、当人は、諦めようとはせず。
「でもぉぉっ! うわーん、どうしよう……。あーん、間に合わないかなー……。間に合わないなら、明日の朝一番に、トランに出ようかなー……」
「次に来た時、渡してやればいいじゃねえか」
ビクトールも、呆れたように、セツナに忠告をしたが。
「だってー……。時間経ったら痛むものなんだもん。竜口の村の、お饅頭なんだもんっ!」
急ぐ理由があるのだと、セツナは声を張り上げた。
「饅頭……?」
「うんっ! 今日、通り掛かった時に見たのっ! すっごく美味しそうだったのっ! 美味しそうですよねってマクドールさんに云ったら、マクドールさんもうんって云って。そう云えばクレオが、甘い物好きだったっけ、って云うから、だったらお土産にどうですかって僕が云ってっ。だからぁぁ!」
「……あー、分かったから。少し黙れ、酔っ払い」
「酔ってないもんっ! 大体、ビクトールさんが僕にお酒なんか飲ませるからいけないんだもんっ!」
カナタが買い求めた、クレオへの手土産が、饅頭であったことと、それを語るセツナの声の張りに、ビクトールも、他の者達も、げんなりとなったが、ぎゃんぎゃんと喚き続けるセツナの声のトーンは、一向に落ちなくて。
「ビクトール…………。どうすんだ、これ」
台詞の内容は普通のままだけれど、余り正常とは言えないセツナの様子に、くらくらと頭を抱えながら、フリックはジトっと、相方を睨んだ。