…………すっ…………と。
体の何処かから、何かが、剥がれ落ちていく気がした。
ガシャン……と。
この身と、世界の全てに響いたかのような、重たい、鉄の扉の締まる音が、鼓膜を震わせた時。
──ソニエール監獄で、ミルイヒ・オッペンハイマーがぶちまけた、人喰い胞子から僕等を……否、僕、を。
僕を、守る為に。
僕を、生かす為に。
厚い鉄の扉の向こうに、唯一人、グレミオが残ったあの時。
僕の中から、何かがはらりと、剥がれ落ちて行くのを、僕は感じた。
────物心付いた時には、既に。
僕には、グレミオがいた。
忙しくて、時には戦争にも駆り出されて、家に帰って来ることが、決して多いとは言えなかった父上の代わりに、僕にはグレミオがいた。
僕を産み落とし、程なくして他界した母上の代わりに、僕には、グレミオがいた。
……戦争。
戦いであり、殺し合いであり、命の奪い合いであること。
それが、僕の目の前に迫り来て後も。
僕の前からグレミオが消える、なんてことを、僕は想像もしたことはなかった。
僕が、様々なことを知る前。
故郷を後にするより以前は。
唯、何とはなしに、父上の跡を継いで、帝国の為に尽くして、何時かは結婚と云うものをして……と。
僕は、そう思っていたから。
誰かを娶って、娶った誰かが、マクドール家の跡継ぎを産んでくれたら、その子を又、グレミオが、手掛けてくれるんだろうな……と。
そんなことすら、うっすら、思い描いてさえいたのに。
突然、僕の前からグレミオは消え。
閉ざされた、重たい扉が開かれた時には……もう。
彼が携え続けた斧と、纏い続けたマント、それしか、僕の目の前には残っていなかった。
厚い扉を叩いて、ここを開けろと叫んでも。
彼は、初めて、僕の命に逆らって。
信じた道を、ゆけ、と。
唯、それだけを言い残して。
彼は、僕の目の前から、忽然と消えてしまった。
──嘘だと思いたかった。
質の悪い夢だ、と。
けれど、あの出来事の何も彼もが、現実で。
悲しみはしたけれど、『覚悟』を決めた僕は、それを嘆くことなく。
もしもあの時。
グレミオに手が届いたら。
……この、手を。
差し伸べることが出来たら、と。
…………そう、考えはしたけれど……。
今も尚。
あの優しい微笑みが、恋しいと思うことも、あるけれど。
あの時、僕の中から剥がれ落ちてしまった何かを、僕はもう、拾うこともせず、グレミオの死を、受け止めた。
泣き出したかったし。
実際、泣いたのかも知れないが。
あの時、僕が本当はどうしたのか、遠過ぎて、僕にはもう、思い出せない。
僕は唯、ロスマンの時のように、ウィンディに操られていたミルイヒを許して──恨む必要も、感じなかったから──、グレミオの死を、現実として捕らえて──そうするのが、あの時の僕の精一杯だったのかも知れないけれど──、前に進んだ。
オデッサを失った時のように。
何故か、それまで以上に、僕に力を貸し与えるようになった魂喰らいに、ほんの僅かな違和感を感じながら。
僕は、『先』を急いだ。
殊更に。
内心、焦らずにはいられなかった。
貴族のお坊っちゃんでしかなかった僕に、指針を示してくれた存在、オデッサを亡くし。
実の親以上に近しかった、僕の支えの一つだったグレミオを亡くし。
あの時の僕には、もう、父上と、テッドしか、残されていなかったから。
…………父上に、会いたかった。
父上の瞳を覗き込んで、何も彼も、語りたかった。
唯の、息子として。
あの人の前に、立ちたかった。
…………テッドに、会いたかった。
彼の無事を、確かめたかった。
真実、取り返したかった。
悪戯っ子そのままの、明るい笑いを、僕に向けて欲しかった。
だから僕は、急いだ。