グラスではなく、盃に満たされた透明な酒を煽って。
バレリアの云ったことに、タイ・ホーが首を傾げた。
「そうか? 俺は、カナタが親父さんと戦った後の方が、急いでる、って印象を受けたがな」
「……ああ、そうかもな。──スカーレティシアでの戦いの後、直ぐに本拠地に戻ったろう? んで、テオ・マクドールとの戦いになったじゃねえか。あの負け戦の後……ほれ……パーンの奴が、カナタ庇って、カナタの親父さんとやりあって……。帰って来なかったろう……? グレミオ、パーンと続いて亡くして、なのに、親父とやり合わなきゃならねえってんで……。皆、結構心配してたじゃねえか、あの時のカナタのこと。でも、あいつはしっかり、戦いの準備って奴をしてみせたからなあ……」
遠い遠い過去を、何とか思い出すような目をして、タイ・ホーが云ったことに、ビクトールは頷き。
「…………戦争って状況が、そうさせたのかも知れねえが……。あの時俺達がカナタに掛けた言葉ってのは……今になって思えば、結構きついことだったのかもな。リーダーって立場を忘れるな、とか……。しっかりしろよ、とか。グレミオがくれた命を、無駄にすんじゃねえぞ……とか。致し方なかったんだろうが……あの時のカナタにゃ、酷だったかもな……」
ふう……と、苦しげな溜息を吐いて、彼は微かに俯いた。
「でも……そうだったとしても。あの時の俺達が、きつかったかも知れない言葉ばかり、カナタに掛けたとしても。あいつはそれを受け止めて、止まらなかったよな……。一瞬たりとも。実際の処、どうだったんだろうな……」
俯いてしまった相方から眼差しを逸らして、フリックは軽く、唇を噛み締めた。
「…………止まろうなんて、思わなかった、って。マクドールさん、そう云ってたよ」
トラン解放戦争に於ける、悔恨ばかりを滲み出させた大人達に。
ふっ……と、セツナが告げた。
「そうなのか?」
「うん。マクドールさんにあの戦争の話をして貰った時、僕も、聞いたことあるんだけどね。マクドールさん、止まろうなんて、思わなかった、って。何一つ、嘆こうなんて、思わなかった、って。自分で望んで立った場所を、嘆くつもりなんてなかった、って。そう云ってたっけ」
止まろうとは思わなかった、そう聞かされている、と少年が云ったことに。
ビクトール達が僅か、意外そうな顔をしたから。
セツナは、聞き及んでいる話を続け。
「悲しくなかった、って云ったら、多分嘘になるんだろうけど、嘆こうとは思わなかったし、辛いとも思わなかったし、止まろうとも思わなかったし、ビクトールさんやフリックさんに聞かせたら、図に乗るかも知れないから絶対に云わないけど、心配してくれたあの頃の皆には、結構感謝してるって云ってたよ? ……あ、これ、内緒って云われてるから、僕が喋っちゃったって、マクドールさんには黙っててね? ばれたら、ぽっぺた思いっきり引っ張られちゃう…………」
何かを思い出したのか、持ち上げた両手で彼は、自分の両の頬を、ぱっと押さえてみせた。
「…………俺達に聞かせたら、図に乗るってか? 相変わらず素直じゃねえなあ、あの野郎」
「あいつが素直だったこと、一度でもあったか?」
どうも、カナタ絡みのことで、何か失態をやらかす度に、頬をつねられているらしいのを示すセツナの態度に、微笑ましい『兄弟喧嘩』だな、と目を細め。
ビクトールとフリックは、照れ腐そうに微笑んだ。
「止まろうとは思わなかった……か。カナタ殿らしいかも知れん。やはりそこにも、意識的にしろ無意識にしろ、何かの無理はあったのやも、だが。…………あの彼は……何時も飄々と、まるで当たり前のことのように、戦いの先頭に立って、人々を率いて。当然のことのように、勝利を手にして。影で抱えていたかも知れぬことなど、誰にも見せようとはしなかったな。唯人には近付き難い雰囲気があった。彼を取り巻いている全ては、何一つとして好ましくなかったのに、何時も、さらりと云うか……ふわりとしていて。私らしくもなく、カナタ殿に、神秘、と云う言葉を重ねたこともあったな……」
「ああ、それって言えてるかも知れないけど。俺は一寸、イメージ違うなー」
照れ笑いをした傭兵達の隣で、曖昧な笑みを拵え、在りし日のカナタを思い出したバレリアの背後から。
不意に、それまでその場にはいなかった筈の人物の声が聞こえて、一同は又、そちらを振り返った。
「あ、スタリオン。どうしたの?」
ぬっとそこに姿見せていた、俊足を誇るエルフの姿を見て、にこっとセツナが微笑んだ。
「シュウ軍師からの伝言。『急ぎの話や執務があると云う訳ではないので、盟主殿が酒場から動きたくないと云われるならば、今日はもう致し方ありませんが。執務は明日、きっちりとこなして頂きますから』、だってさ」
自分へと向けた微笑みを逸らして、ジュースのお替わりが欲しそうな目を、酒場のカウンターの向こうにいるレオナへと送ったセツナの顔を、くいっと覗き込んで、伝言を伝えに来たんだ、とスタリオンは云った。
「ほんっとに、お仕事好きなんだから、シュウさんってば…………」
眼差しで訴えた飲み物の追加を察して、レオナが自ら運んで来てくれた、再びのオレンジジュースを啜りながら、シュウの言伝に、セツナは渋い顔をした。
「で? スタリオン。イメージ違うってなあ、どう云うことだい?」
仕事の虫とも言えるシュウの在り方が、今一つ信じられないとでも言いたげになったセツナを、大変だなあ、と笑い。
先程の会話を聞いていたらしいスタリオンが挟んで来た台詞の意味を、タイ・ホーが問うた。
「……ああ。──いやねー、バレリアさんが云ったみたいに、カナタさんがさ、何処となく神秘的なリーダーだった、ってのは、俺も感じてたんだけどね、あの頃。……ほら、カクの街の辺りまで攻めて来たテオ・マクドールの部隊と最初にやり合った後、火炎槍があれば、勝てるかも知れないって話になってさ。カレッカの村越えた先にあった、解放軍の秘密工場に行ってみることになったの、覚えてる?」
「覚えてるぞ。よーく。火炎槍のことを言い出したのは、俺だからな」
タイ・ホーに問われ、何時もの、落ち着きがない態度のままスタリオンは語り出し。
あの時のことなら良く覚えてる、とフリックが相槌を打った。
「あの頃からだったかなあ、俺、あちこちへ出向いて、そう云ったこと整える仕事に、結構呼ばれるようになったんだよ。道中ある、魔物とかの戦闘の為に、じゃなくって、カナタさん、俺の『足』が欲しいみたいだった」
「お前の、真神行法の紋章に頼りたかった、ってことか?」
「うん、そうじゃないかな。俺と一緒にいる奴は、真神行法の紋章の恩恵、受けられるだろう? 多分、それが必要だったんだと思うよ。でもさー、俺、あの頃結構不思議だったんだよね。解放軍のリーダーってカナタさんの立場を考えれば、凄く納得出来たけど。どうして、自分の父親を撃ち破る為の戦いに必要な火炎槍を暢達するのを、そんなに急ぐんだろうなーって。……誰だってさ、自分の立場を無しにしたら、親兄弟とは戦いたくなんかないってのが本音だろ? でも、立場ってのはやっぱり、捨てられないんだろうからさ、況してや、あの頃のカナタさんみたいな立場だったら」
「……そうだろうな」
あの頃の出来事を、己の考えを織り交ぜながら話すスタリオンに、因果な話だ、とバレリアが瞑目した。
「だからさ、一寸はゆっくりして、色々考える時間も欲しいと思うのが、人情って奴なんじゃないかなーっと。そう思ってね。────何かさあ……すっごく、何かを焦ってる、っての? 時折、そんな雰囲気が、ほんとーーーーに少しだけ、窺えたんだよね。だから、神秘的な部分あった、ってイメージもない訳じゃないけど、何つーか……神秘的な意味合いじゃなくって、不思議な人だなー……と」
腰に片手を当て、首を傾け。
瞑目してしまったバレリアの方を向きながら、神秘的と云う言葉からは、若干違和感を感じるカナタの姿を、垣間見たこともある、とスタリオンは云った。
「焦る、か。さっきも話に出たが……確かに、カナタが何か急いでるって雰囲気を、時折醸し出していたのは、皆感じていたみたいだったが……。………………あ、そう云えば」
俊足のエルフが口を閉ざした直後。
その話より、何かを思い出したのか、訝しげな顔を作り、フリックが声を上げた。
「どうしたの? フリックさん」
「いやな、今の話聞いてて……ふっと、変なこと、思い出したんだ」
「変なこと?」
青雷の彼が思い出したという、変なこと、と云う言葉に。
ふん? と、ジュースと戯れていたセツナが目を丸くした。
「ああ、カナタの親父さんとニ度目の攻防に挑む直前、だったかな……。ハンフリーが…………──」
「──あの時……俺が、見た…………『異なもの』……のこと、か…………?」
「うおっ! 驚かすなよ、ハンフリーっ!」
何々? と、先を促して来た盟主に、『思い出したこと』を語ろうとしたフリックの横から、何を話し掛けてみても、先ず沈黙で以て返すのが常の、大柄な戦士の声音が聞こえて、人々は仰天する。
「滅多に喋らないお前さんが喋ると、心臓に悪い……」
「…………………………すまん……」
心底驚いたのだろう、胸の辺りを押さえ、勢い良く酒を嚥下したビクトールに、耳に届いてはいたのだろうが、それまでは、人々の語ることをまるで気に止めていない風に、酒場の片隅で一人飲んでいた筈のハンフリーは、ボソっと低く、詫びを告げ。
「…………フリックに……云われるまで……俺も、忘れていた、な……」
ぽつりぽつり、フリックが思い出し、自身が見た、『異なもの』の話を始めた。
「テオ・マクドールと……ニ度目にやり合う直前……、詳しいことはもう……忘れてしまったが…………、その……何とも言えぬものを、見た……んだ」
「何だい? そりゃあ」
「一言で云えば…………そう、だな…………。『笑み』、なんだが……」
折角話に加わろうと云う気になったのだから、どうぞ、とセツナに勧められるまま、空いていた椅子に腰掛けながら。
自身には慣れぬ『早口』で、ハンフリーは云った。
『笑み』を見た、と。
「笑み? カナタの笑い顔か? それの何が不思議だってんだ?」
「……スタリオンが云う通り……父親と戦う、と云うのは……カナタにとって、その……余り、喜ばしいことではないだろう……とな……俺も内心では……そう思っていたが……。確か……あの戦いの……出陣の直前……だったか。…どう見ても……『安堵』としか……受け取れぬ……笑みを浮かべた、カナタを見た……んだ……。一瞬にして、消えたがな……その笑みも…………」
「安堵の笑み、か…………。そりゃ、確かに、異なもの、かもな。あの最中に浮かべるにしちゃ、そぐわない顔だ」
何時も通りの、強張った表情のまま。
ハンフリーが語った、あの戦いの直前に見たものを想像し。
ビクトールも、人々も、唸った。
──が。
「……………………………でも、それ。何か、僕、判る気がする」
唯一人。
セツナだけが、語られた逸話に、納得の態度を示した。