「おや。急に風でも出てきたのかい?」
壁際の燭台、円卓達やカウンターの上の蝋燭、所々に置かれた灯火。
それらの灯りを、一斉に落として行った強風を受けて、顔を顰めたらしいレオナの、やれやれ……と言った声が響いた時、酒場は既に、暗闇に包まれていた。
突然やって来た闇は、室内の者達の視界を奪い、対面に座った仲間の顔すら、判別が付かぬ程となって。
「おーい、レオナ、火、くれ」
女主の声がした方を振り返って、ビクトールが声を張り上げた。
「それが……。生憎と、もう、厨房の火を落としてあってね。火打石も見えないし……。……何処かから、種火を貰って来るから、待ってておくれよ」
が、レオナのそれは、希望を直ぐには叶えてやれぬ、との、つれない返事だった。
「おーい、誰か、煙草を喫む奴……って、いなかったかな、今夜は……」
客達の誰も、判った、とも返さぬ内に、レオナはさっさと消えてしまったようなので。
フリックが、辺りの仲間へと声を掛けたが。
生憎とその夜は、煙草を喫む為の火すら、誰も持ち合わせてはおらず。
「彼女なら、きっと直ぐに戻って来るよ。一寸その辺の廊下から、燭台を借りてくれば済むのだし。目も、直ぐに慣れる」
何とかなるよ、と、カナタは気楽に言って、傍らにあったらしい椅子に腰掛けた。
「……それもそうだな」
彼が椅子を引いた、その音を合図に、ま、その内、その内……と、飲ん兵衛達も鷹揚に構え始めて、あちらこちらで、酒瓶を探る音と、呑み掛けのグラスを探る音が響き。
ちらほら、会話も戻り始めたが、どうにも、真っ暗闇の中で、というのは、皆落ち着かなかったようで。
「可愛い女の子でも隣にいれば、『きゃー、怖いっ』とか言って、抱き着いてきてくれたかも知れないのに」
レオナさん、遅いな、と呟きながら、シーナが唐突に、冗談を口にした。
「……そんな風にお前に抱き着くような、『可愛らしい女』が、いたか?」
「……この城の女衆は、逞しいからな……。…………ああ、お化けが恐いらしいナナミ辺りなら、隣にいるのがシーナだってこと忘れて、抱き着いてくれるんじゃないか?」
「ナナミは駄目っしょ。セツナの手前」
「…………セツナの手前、ねえ……。シーナが、そんな殊勝なこと考えるとは思えないけど」
場が明るくなれば、とでも思ったのだろうか、シーナが言い出したそれに、ビクトールもフリックも乗って。
全く……、とカナタは溜息を零したけれど、何を思ったのか。
「……シーナ」
「何だよ」
「そんなに女性と抱き合いたいなら、上手くすれば、恐がりな女性は抱き着いてくれるかも知れない怪談、教えてあげようか?」
──恐らくは、にっこり、と笑みながら、だったろう。
カナタは、シーナの気配に向けて、そう言った。
「…………随分、珍しいこと言い出したな」
「そう? こんな闇の中だしね。怪談でもして時間を潰すっていうのも、オツかと。今日一日は、この間の肝試しの、本当の締めになるようだし。……ま、正直な処は、レオナは兎も角、セツナが戻って来ないから、暇だ、ってそれなんだけどね」
「あー、そーですか……。……でも、女の子に抱き着いて貰えるだろうネタってのは、魅力的かも。……カナタ、一寸それ、教えろよ」
……普段のカナタなら。
怪談話など、鼻で笑い飛ばす口なのに、随分……と、疑いはしたものの。
女性と抱き合う口実が出来る、との魂胆と、『怪談話など……』、の口であるカナタが語る怪談とは、どんな物なのだろうとの、興味に負けてシーナは、椅子に座り直した。
「ほう。お前が語る怪談か。何となく、面白そうだな」
「付き合ってみるか。呑み足りないが、レオナは戻って来ないし」
と、シーナに釣られたように、ビクトールもフリックも、会話に耳を傾け出して。
「あんまり期待されても困るんだけど。……まあ、いいか。──………………あのね」
円卓の上で、両の指先を組み合わせた気配を起こしてより。
徐に、カナタは口を開いた。
僕が、デュナンに顔を出す以前。あちこちを放浪していた時に。
……夏の頃──丁度今夜みたいに、やけに蒸した日、とある村に辿り着いたことがあったんだ。
さして大きくはなかったけれど、その村の者も、近在の村の者も、殆ど頭が上がらないような地主が治めてた村。
…………正直に言うと、余り、雰囲気の良くない村でね。……良くない、と言うか……とても雰囲気が重い土地で。
立ち寄ることなく、通り過ぎてしまいたかったのだけれど、必要に迫られて立ち寄った道具屋で、僕の天牙棍に目を止めたらしい主人に、「もしも武芸者で、武芸の為の旅をしているなら、頼まれて欲しいことがある」……と。
そう乞われてしまって、そのまま結局、一口で言うなら、『魔物退治』を依頼される格好になって、仕方なし、その村に数日留まったんだよ。
正確には、魔物、じゃなくって。『祟り神』ってことだったけど。
何でも、その村や近在を治めていた地主の家は、代々、不幸なことばかりが続いてきたそうで。
これはもう、祟られている以外の何物でもないだろうってことになって、それを何とか出来そうな人間を、ずっと捜してたんだ、って話だったかな。
…………最初は、断ったんだよ。僕は、宗教家ではないからね。
武芸は出来ても、お払いの真似事なんて出来ない、と。
でも、お坊様にも、司祭様にも、神官様にも頼んでみたが無駄だった、それに、どうやら『相手』には実態があるらしいから、武芸者なら何とか出来るかも知れない、どうか、試してみるだけでも、と、道具屋が呼んで来た地主殿に、泣き付かれてしまってねえ……。
多分、藁にも縋る思いだったんだろうな。誰でもいいから、何とかして欲しかったんだろうね。
だから……、土下座の勢いで泣き付かれてしまったし、在の者達が、僕を捕まえてそんな話を持ち掛けてくる程度の人となりはしていたから、その地主。
気休め代わりに、数日、地主殿の館に滞在することを、僕も承諾したんだ。
何の力にもなれないかも知れませんが、って、断りを入れてね。
────そんな訳で。
その夜から数日、僕は、件の館に泊まることになったんだ。
……彼の家は、随分と立派な館だった。貴族の所有物、と言われても納得出来るくらいの。
館と言うよりは、一寸した城、と言った方が正しい程で、造りも、館のそれよりは、城のそれに近かったかな。
………………でね。
三階建てだったその館の最上階に、僕は通されたんだ。
その三階の部屋は全て、客間……と言うか、普段は全く使われていない様子で、でも、その階の全てが客間だから、と言われれば、納得しない訳にもいかなくてね。
……一寸、おかしな造りだな、とは思ったんだけど……、大人しく、部屋に通されるままにしたんだ。
使ってくれと言われたその部屋は、そうだなあ……、素晴らしい造りだった、と言うに相応しかったかな。
だからまあ、客間ってことだし、って。
その後、夕餉に招かれて、でも、家族の誰も語りたくもないのか、『祟り神』のことも碌に聞けず、真夜中近くになった頃。
例の部屋に戻って、ひょっとして、僕を引き止めた魂胆は、別の所にあるのかも、なんてこと思い始めた頃に。