……寒いな、って思ったんだよね。

季節は夏で、外は蒸してて、例え冬だったとしても、隙間風なんて通りようがないだろう部屋なのに、やけに寒い、って。

だから、それが気になって、部屋の中を探ってみたんだ。

そうしたら、外に面した壁の一部に、小さな穴が空いてるのを見付けた。大人の指、二本分くらいの大きさの。

……これは、明らかにおかしいって、そう思ったよ。

言ったろう? 城みたいな造りの館だ、って。

…………そう、外に面していたその壁は、煉瓦作りだったのに。

誰がどうやって、穴なんか空けたんだろう? ──そう思うのが人情だろう?

皹を入れた、打ち砕いた、なら未だ何とか納得するけれど、大人の指二本分程度の穴。しかも、外まで貫通してる穴。

……………今にして思えば、気にしなければ良かったかな、とも思うけど。

どうしてもその時は、何故? って思いが消せなくてね。

下に降りて、未だ起きていた地主殿を捕まえて、訊いてみたんだ。例の呪いだか何だかと、関係でもあるのか、って。

そうしたら、彼、急に顔色を変えて、そんな穴が空いている部屋では申し訳がないから、部屋を変えてくれ、と言い出したんだ。

……でもね、言われるまま移った次の部屋にも、同じような穴はあって。

ふと思い立って、三階の部屋全て、調べ歩いてみたら、全ての部屋に、同じような穴があってさ。

本当に、どうしようもなく気になって仕方なくなって。

ひょっとして、この館の造りがおかしいのも、この階の雰囲気が何処か妙なのも、この穴に原因があるんじゃないか、……そう思ったんだ。

……穴は、全て、外と接している壁に空いている。まるで、覗き込め、と言っているように。

と、するなら。

ここから外を覗いてみたら、そこに、何かがあるんじゃないか、そこに、全ての答えがあるんじゃないか、……そうも思えて。

実際に、そうしてみたんだ。

──最初は、何も見えなかった。唯、夜の闇が見えるだけだった。

けど、目を凝らしていたらその内に、何かが、掠めたような気がして……、どれくらいの間だったか……、多分、僅かな時間だったとは思うけど、暫くの間、子供みたいに、僕はそこを覗き込んでね。

………………色だ、って。

掠めて行く何かは、何かの色だ、山吹色の。

……それが判った。

でも、その正体は掴めなかったから、その内僕も焦れてしまって。

「…………それ、で?」

──……ぽつり、ぽつり、と。

奇譚を語るに相応しい重苦しい口調で以て、カナタが語り始めた話が、そこまで辿り着いた時。

最初の内は、座興代わりに耳を貸していた者達も全て、身を乗り出し、息を飲むようになり。

彼へ、続きを促した。

……彼の語る話が、決して、怖かった訳ではない。

取り立てて、怖い、と思える部分は、これまでにはなかった。

但、どうせ、誰かの友人から聞いたんだけど、とか、こんな噂を知ってる? とか、そんな風に始まるんだろうと高を括っていた話が、予想を裏切って、カナタ自らが体験した話であったことと、その、重苦しい口調と、目こそ慣れはしたものの、相変わらず辺りは闇、それらが相まって、一種独特の雰囲気を醸し出していることだけは事実だったから。

ほんの……、本当に、ほんの少々、聞き耳を立てていた者達は、身を強張らせた。

「…………それで。あ、馬鹿だ。……そう思ったんだよ。ベランダやテラスがある訳でもない館の、三階から見遣れるような、山吹色の何か、しかも、掠めるように動く何かなんて、旗か何かが相場の筈なのに、僕は何をやっているんだか、と。こんな小さな穴から覗くより、窓を開けて、そこから確かめた方が早い、とも。…………だから、実際、そうしたよ。カーテンを開けて、窓も鎧戸も開けて、燭台片手に身を乗り出してね。……何処までも、子供みたいだなあって、思いながら」

「ふんふん。……で?」

「……随分、先を急がせるねえ。──……けど。そこには、本当に、何もなかったんだ。唯、宙があるだけ。屋上から下がる、山吹色の旗もなかった。その直前に僕が自ら開け放った窓以外に、開いている窓もなくて、無論、翻るカーテンもなくて。…………見間違いかな、そうも思ったけど…………」

早く続きを、と。

そんな間の手を入れてくる仲間達に、一瞬のみカナタは苦笑して、けれど直ぐさま、より一層重苦しい声で、彼は話の続きを語った。

蒸し暑さを和らげる為に開け放たれた窓辺から、又吹き込んで来た細やかな風に、嫌そうな気配を見せつつ。

「でもね。例の小さな穴から覗くと、確かに何かが見えるんだ。山吹色なのだけは判る、何か。……だから、ここまで来たら、そう思って開き直って、三階の部屋全てで、それを試してみようとしたんだけど、どの部屋でも結果は同じだったから、段々、飽きてしまって。馬鹿馬鹿しくなりもしたし。で、もう、今夜は寝てしまおう、そう思って部屋に戻ったんだけど、その時うっかり、一番最初に通された部屋の方に入ってしまったんだ。………………だから……確かに馬鹿馬鹿しいと思っていたのに、ああ、この部屋では試してなかったな、だったら戻る前に、そんな気になって、穴を覗いて、やっぱり何かが見える、それを確かめて、窓を開け放とうとしたら、突然、バンっっっ! ……という音と共に、窓が開いてね────

────そうして、カナタがそこまでを話し終えた時。

まるで、彼が語るそれに合わせるように、レオナの酒場の外で、窓か、扉かが激しく放たれたかのような音がし。

「うっっ……わ…………」

一塊になった飲ん兵衛達の輪の中から、フリックのそれらしき、咄嗟の悲鳴を飲み込んだような声が洩れた。

「…………うん。そう。丁度、今のような、あんな音。あんな音がして、僕一人しかいない部屋の、僕が触れてもいない、三階の、宙に面した窓が開いて」

が、カナタは、一向に構わず。

「開け放たれた窓からは、随分と強い風が吹き付けてきて」

やはり、その言葉に合わせて沸き起こったかのような、強い風が吹き込む中、一呼吸を置いて、彼は。

「見遣ったら、そこに。…………あったよ。僕が見た、『山吹色』がね。──最初は、穴から見た色と同じだ、それしか判らなかった。いや、『それしかなかった』。……なのに、二、三度瞬きをしたら、窓の向こう側、何もない筈の宙、そこに、山吹色の晴れ着を着た、少女が浮かんでいた。……何しに来たの、そう言わんばかりの、それはそれは凄まじい笑顔を湛えながら。夜の闇より尚濃い闇を、引き摺ってね。…………ほら、そんな風に」

──一息に語り終えると、暗闇に慣れ切っただろう男達の眼前で、ゆるりと右手を持ち上げて、何やらを低く呟きながら、一点を指し示した。

……勢い、仲間達は。

そんな古典的な手に引っ掛かるものかと思いつつも、指し示された方を振り返り。

…………が、そこには本当に、何故か闇の中でもはっきりと判る、山吹色の着物を着た、おかっぱの黒髪振り乱した少女が、立ち尽くしており。

ガタリ! ……と椅子を蹴り上げる風に立ち上がった彼等の足許辺りで、疾っくに目は慣れ切った筈の暗闇よりも、尚濃い闇が、競り上がるように湧いて。

闇よりも、尚濃いそれの中に佇む少女は、俯かせていた面を持ち上げ、フッ……っと。

嗤いの形を取るべく、唇を歪ませた。