ナナミが迎えに来る時間になっても、セツナが寝巻きを脱がなかったのを良いことに、ぎゅむぎゅむと、少々強引にセツナを横たえ、その枕辺へと引き摺って来た椅子に腰掛け。
「ナナミちゃんが、あんなになるまで心配するくらい、疲れたような、白い顔色してるって自覚、あるの? セツナ」
寝かし付けるべく、薄茶の髪を、優しく撫で始めながら、カナタは、咎めるように云った。
「それは、まあ…………」
「グリンヒルでユーバーとやりあって、その後直ぐに、ミューズでは、ゴールドウルフとやり合って。……君がね、輝く盾の紋章を使うことに、僕は何も云わないって約束したから、君がそれをどうしようと、お小言なんて云うつもりもないけれど。少しは、体を労らなくちゃ」
「はーい……。でもね、マクドールさん、ナナミがあんなに僕のこと心配してくれるのは、もう何時ものことで、それに多分、理由があることですし……」
始めの内は神妙に、カナタの云うことを聴いていたけれど、やがてセツナは、ナナミが心配するのには、理由がある、と言い出した。
「盟主になってからこっち、君が倒れるようになったから、ではなくて?」
「ええ。…………これですねー、あんまり云いたくないんですけどねー、悔しいから。……ほら、僕……小さいじゃないですか、体格」
「まあ…………そうだね。大きくは、ないよね。十五くらいの割には。……五尺※……くらいかな、身長」
「…………五尺と一寸ちょいはありますーーっ。いいなー、マクドールさんは、六尺※近くあって……。──って、そうじゃなくって。……あのですね。昔、ゲンカクじいちゃんに云われたんですけど。じいちゃんに拾われた時、僕、栄養失調、って云うので、死ぬ寸前だったんですって。だから、もしかしたらお前は大きくなれないかも知れないって、じいちゃん云ってたんです。子供の時に、ちゃんと栄養取れないと、大きくなれないことって良くあるからって」
「んー……まあ、そう云うことは、有りがちなことだけれど……。でも僕だって、六尺も身長はないよ? 五尺七寸」
「……似たようなもんじゃないですか。六尺も、五尺七寸も。──……僕達の道場は、あんまり裕福じゃなかったからって云うか、はっきり云っちゃうと、ビンボーでしたからねー。食べる物に困ったことはありませんでしたけど、裕福、とは言えないしで、僕、あんまり大きくなれなくって。ここから伸びるかどうかも、判りませんしね。……そのことを、ナナミ、気にしてるみたいなんですよ」
「……成程ね……」
義姉が、自分のことをあんな風に心配するのは、倒れることだけに原因があるのではなくて、幼い頃のことの所為、と、セツナが云うから。
納得、と云う顔をカナタは作り。
「その辺の事情は良く判ったけれど。それと、君が紋章の所為で倒れることとは、又別問題。だから、少しお眠り?」
休んでおくのがいいよ、と彼は、セツナの目許を、掌で被った。
「でも、マクドールさん、僕、お仕事……。そりゃ、ナナミ達と一緒にピクニックに出掛けるのはマズいかも、って状態なのはホントですけど……。だから、ナナミ誤魔化しちゃいましたけど……。ここで大人しくしてれば、僕平気ですよ?」
が、眠りを促されつつも、セツナは食い下がり。
やることがあるから、と起き上がろうとしたが、カナタはやはり、それを許さず。
「大丈夫。僕が手伝ってあげるから。安心して、お休み」
ポンポン、と毛布の上から彼は、セツナの胸許を軽く叩いた。
幾度かそれを続けている内、朝が早かったことも手伝って、セツナはうとうととし始め。
聞こえて来る寝息が、安定したそれになるまでを見届けるとカナタは、徐にそこより離れ、部屋の片隅へと向かい。
セツナの為の、大きな執務机の前に立った。
寝巻きのままナナミを出迎えた少年とは違い、あの時既に彼は、普段通りの支度を整えていたから、するりと両手の手袋を外し、椅子に腰掛け。
机の上に積み上がっていた紙束を、手早く捌き始めた。
かなりの量と言えるだろう紙束を、上から一枚ずつ取り上げ、ちらりと目を走らせただけで分類し。
大した時間も掛けずカナタは、一つだった紙束を、三つの山へと振り分けた。
そこまでしておいて彼は、ふむ……と暫し考え込み。
何を思ったのか、白紙とペンを取り出して、書類を振り分けた時よりも長い時間を掛け、何やら綴り続け。
まあ、こんなものか、そんな顔になって漸く、別に取り出した紙片二枚に、文字を認めた。
一つの紙片には、『再考の余地あり』。
もう一つの紙片には、『参謀室決済』。
──御丁寧に、セツナの筆跡そっくりに真似た文字でそう書いた紙を、三つの紙の山の内、二つの上にそれぞれ乗せ。
「さて、本番はこれから」
独り言を呟きカナタは、最後の山を取り上げる。
最後に残された山は、どんなに振り分けてみても、セツナの──則ち盟主のサインがなければ始まらない物ばかりだったから、その一つ一つに、『盟主殿』の署名を入れて行く作業に勤しむか、と、その時彼が洩らした独り言は、恐らくそんな風な意味合いだったのだろう。
二枚の紙片に、セツナそっくりの筆跡で、彼は文字を綴ったのだし、振り返ってみれば多分、長らくの間、白紙に綴っていた某かは、セツナの筆跡を真似る為の、言わば『修練』だったのだろうから、不可能な話ではないだろうが……。
果たしてそれが、『手伝い』の範疇に留まっている行為なのか否かとか、明確に、過ぎる甘やかしと言えるそれなのではないのか、とか、幾らセツナが、宿した不完全な真の紋章の所為で、命を削られていると云えど、セツナ自身の為にはならぬのではないか、とか。
そう云ったことは、五万と言えるのだろうけれど、カナタはそのようなこと、欠片程も気にせずに、残された書類を片付けることに没頭した。
所詮、甘やかしだの何だの、と云った類いのことは、カナタにとっては、『どうでもいいこと』の一つでしかないから。