ふっと集中を切らして、向かっていた書類より視線を放し。

そろそろ野原の方では、お弁当が広げられる時間かと、カナタが窓辺に目をやった時。

トン……と、軽いノックの音がした。

それに応えて立ち上がるより先に、丁度全てが出来上がった書類を手早く纏め、彼は扉へと向かう。

「どうぞ」

「……盟主と……。おや、マクドール殿」

たった今まで、ぼんやりとしていました、とでも云う顔をして、カナタが扉を開け放てば、そこに立っていたのは同盟軍の正軍師殿で、ん? と云う表情を拵えながらもシュウは、するりとカナタの脇を通り抜けた。

「盟主殿は…………────昼寝の最中、ですか……」

追加の書類かと思われる紙の束を手にして、室内に踏み込んだシュウは、くるりと中を見渡し、眠り続けるセツナを見付け、苦笑を浮かべる。

「寝かせておいてあげてくれないかな。良く寝てるしね。貴方がセツナに言い渡した書類って云うのなら、もう、出来てるそうだから」

背中に、何やら云いたそうな雰囲気を作ったシュウを、そう云って、カナタは留めたが。

「書類がですか?」

執務机へと近付き、そして覗き込み、すっ……と机の上を眺めてシュウは。

「マクドール殿……。……まあ、致し方ないと云うのなら、今回は大目に見るとしましょう。──しかし貴方に、詐欺の才能がお有りとは、私も知りませんでしたね」

ムッとしたように顔を顰めた後、深い溜息を付いた。

「おや、流石に付け焼き刃では、一代で財を築いた交易商殿の目は、誤魔化せなかったかな」

机の上に乗っている書類に、己が手を『貸した』ことがシュウにばれたらしいのを受けても、カナタは飄々と。

「いいえ。──僭越ながら、良く出来ているとは思いますよ。大抵の者は、これが盟主殿の署名ではないと疑わない程度には。唯、正直に申し上げて、この署名、盟主殿のそれよりは、少々流暢過ぎますし。それに何よりも盟主殿は、『参謀室決済』などと云うことをしたためて、書類を突き返して来たりしません。貴方の目から見た場合、再考の余地がある物や、こちらのみで処理出来るだろう物が混ざっていた落ち度は、素直に認めさせて頂きますが」

そして、飄々とした相手に負けず劣らず、淡々とした口振りで、シュウは己が『評価』を語った。

「……ああ、僕とセツナのやり方が違うことを、うっかり失念していたね。とっとと片付けたくてねえ、こんな鬱陶しい物は。──そうか、これでも未だ、流暢過ぎたのか……。昔、テスラとキンバリーに、色々教えて貰ったんだけどなあ、偽書類の作り方」

「急がれ過ぎたからでしょう、『敗因』は」

「僕も、そう思うよ。無制限勝負だったら、シュウでも判らなかったかもね」

「食えない御方だ、トランの英雄殿は」

「タヌキに、食えない、と云われても、嬉しくないなあ……」

──暫しの間。

何処から、誰がどう聴いても、何かと何かの化かし合いとしか受け取れぬ会話を、二人は交わしていたが。

やれやれ、そんな顔をしてシュウは、机の上の書類を全て取り上げ、持参した新たなるそれを置き去りにすることもなく、執務机近くを離れ。

「何処ぞの『剣客』が、野原の方まで散歩に出掛けたそうですから。まあ、心配はないでしょう、あちらは。ルックやシーナも、面子には混ざっているそうですし」

再び、扉へと向いながらシュウは、世間話のようなノリで、そんなことを言い出した。

「…………伊達ではないね」

──どうも。そう云って頂けて、光栄ですよ……と云いたい処ですが。普通気付きます。居るべき場所に、居るべき者がおらず、アップルやクラウスまでが消え、昨夜、真夜中過ぎまでハイ・ヨーが何かを拵えていれば、気付かぬ方がどうかしている」

「それは、僕も同感」

「珍しく、意見が合いましたな。──処で。盟主殿が『騒ぎ』に同行しなかった理由は、『昼寝』が原因ですか? それとも、その、魂喰らいが原因ですか? ……まあ、ナナミ達をわざと遠ざけたのであれば、前者が正解でしょうが。最初から、ピクニックなどに行くつもりは、盟主殿にはなかったのでしょう? 違いますか、マクドール殿。…………ホウアンを、呼びましょうか」

「……遠慮するよ。貴方が何処まで勘付いているのか、そんなことは知らないし、僕にはどうでもいいことだけれど。ここでホウアン医師を呼ばれたら、セツナの健気な努力が無駄になる。何か、思うことがあるなら、さっさとここから出て行ってくれた方が、余程有り難い」

──そう云えば、昨日、猫が。

……そんな風情でシュウが語り出したことに、大人しく耳を傾けていたら、ペンを持ち、書類を捌く為に剥き出しにされていた、魂喰らいの紋章に、ちらりと目を走らせつつの相手に、強烈な嫌味を放たれたから。

にっこりと微笑みつつもカナタは、出て行け、と宣言した。

「云われずとも」

綺麗、と云うよりは恐い、カナタの微笑みが眼前に迫っても、顔色一つ変えずにシュウは、扉を開け放つ。

「ああ、その前に、シュウ。皆が帰って来ても、説教は程々にしておいてやってくれると、嬉しいんだけどね」

「………それは、難しい相談です」

「良く云う。出来るだろう? それくらい。セツナの意向を汲むと思えば、どうとでもなる。鍋にしても食えない、痩せたタヌキみたいなこと云ってないで、宜しく頼むよ」

「………………何か、仰りましたか?」

「別に、何も。──聡いんで有名なんだろう? 貴方は。自分のことには、どうしようもなく疎いようだけど。……と云う訳だから。じゃあね、有能な軍師殿。色恋にも、それくらい聡くなれたら、いいよねえ」

シュウが、盟主の部屋より出て行こうとした瞬間。

向けられた背中へ向け、幾つかの嫌味をポンポンと放って、カナタはもう一度、にっっっこりと微笑むと、ぱたり、シュウの鼻先にて扉を閉めた。