辺りに響いた、ナナミの声と。
天を指差す彼女の仕種に釣られて、空を振り仰いだカナタとセツナに倣うように。
周囲の者達が、次々と月を見上げ始める中。
「マクドールさん、僕に付き合ってジュースって云うのも、味気なくありません? お酒、貰って来ましょっか」
早々に、柔らかな月光から眼差しを逸らして、何処かぎくしゃくと、セツナが立ち上がった。
「え? いいよ別に。そりゃあ確かに僕はお酒が飲めるけど、好き、って訳じゃないし」
「そうですか? 折角のお月見なのに、ジュースって云うのもなあ……って思ったんですけど。……あ、じゃあ僕、『ちゃんとした』御団子、貰ってきまーす」
レオナか誰か、その辺りを捕まえて、酒を調達して来る、と腰を上げたセツナをカナタは止めたが、気など遣わなくていいと云う彼を振り切るようにセツナは、にこっと笑って、仲間達で溢れ返る中庭の片隅に消えた。
「………………全く……」
懸命に、何かを誤魔化そうとしている態度を、どうしても消し切れぬまま、人々の中に紛れてしまったセツナの背中を見詰め、カナタは溜息を付き、後を追うように席を立ち。
「一寸、行って来る」
ビクトールとフリックに向けて、一言言い残すと、軽快と云うよりは、ふわり、とした足取りで、歩き始めた。
「放っておいてやるつもりはねえのか?」
最早、中庭の『有り様』になど目もくれず、去ろうとしているカナタの後ろ姿へ、ぼそっとビクトールが声をぶつけた。
「…………どうして?」
「……どうして、ってお前……。判ってんだろ?」
「──その言葉、そっくり返してあげるよ、ビクトール。判っているから、放っておきたくないんだよ、僕はね。……『判ってる』んだろう? ビクトール」
「あー、そうかい……」
「そうだよ。……じゃあね、二人共。又、後で」
……何故、後を追う、と。
そんな声をビクトールに投げ掛けられたが為、進めていた歩を止めカナタは振り返り。
たまには、そうっとしておいてやるのも『愛情』の一つと、そう言いたげな傭兵へ、『放っておかない』のが僕の『愛情』、とカナタは、今度こそ、人いきれの中に姿消した。
「おー……『怖い怖い』……」
するり、人々の間を縫うように、カナタが掻き消えた後。
ぽつりビクトールは洩らして、わざとらしく身を震わせ。
「…………マズかった、かな……。月見のこと、あいつらに黙ってたのは……」
流石に、セツナとカナタの様子が、何処か『らしくなかった』ことに気付いたフリックは、杯片手に、渋い顔を作った。
「月見がしたいってナナミの思惑を、あいつらにばらした処で、結果は一緒だったろうさ。…………ナナミが、月見をしようと思い立った理由が『アレ』じゃ、嫌、とは言えなかっただろうからな、セツナも。……どーーーして俺たちゃ、『こう云う場面』にばかり、居合わせるんだかなあ……」
が、相棒が見せた僅かな後悔を横目で見遣って、何がどう転ぼうとも、恐らく結果は同じだったろう、とビクトールは語り。
「何とかならねえもんかな、あの『溺愛』っぷりも」
ああ、嫌だ……と彼は、やけ酒を飲んでいる風に、手の中の杯を煽って、一口で飲み干してしまった。
「さて、どっちだろう…………」
中庭を満たしていた人込みより抜け出て、暫し歩き。
このまま真直ぐ進めば本拠地の正門へ、左に折れれば本拠地の中へ、と別れる分岐点にて立ち止まり。
一瞬だけ、カナタは考え込んだ。
が、僅かな逡巡の後、十中八九こっちだろう、と、目指す場所を定めた彼は、道を折れることなく進んで、数名の兵士達が守っている本拠地正門を抜け、ひょいっと、門柱の影を覗き込んだ。
すればそこには、彼が思った通り、門柱と城壁の隙間に隠れるようにして、石作りの壁に凭れるセツナの姿があり。
「…………見付けた」
小さな独り言を洩らしてカナタは、そっとセツナに近付いた。
気配を殺して歩みを進めながらも、セツナを見守り続けていれば、カナタの瞳の中に映ったセツナは、散々躊躇った後、俯き見詰めていた茶色い大地より眼を逸らし、頤を上向け、天に輝く望月を、その薄茶色の瞳に納めようとしたから。
「セツナ」
優しく柔らかい光を投げ掛ける満月を、上向けられたセツナの眼差しが捕らえるより一瞬だけ早く、カナタは伸ばした右手で、彼の両目を被い。
「どうしたの?」
『穏やか』に尋ねながら、セツナの肩越しに伸ばした己が腕を引いて、セツナの背を、自身の胸許へと預けさせた。
「何でも……ないです。一寸、人込みに疲れちゃって」
────何時の間に外されたのだろう、革の手袋で被われた掌ではなく。
手袋より解き放された、カナタの素手の冷たさに、目許を被われ。
彼にされるがままセツナは、背中より抱き締めて来た人へ、己が体の重さを傾けながら、疲れちゃっただけなんですよ……、そう云いつつ、素手の掌の中でそっと、両の瞼を閉ざした。
「………………ね、セツナ」
肌の上をなぞっていった、セツナの睫毛の動きに、彼が瞼を閉ざしたことを知ってより暫く、カナタは、右手はセツナの瞳辺りに、左手は胸許辺りに添えたまま、『溺愛』して止まない彼を抱き締めていたけれど。
やがて徐に、セツナへと絡めていた両腕を解き、自らの方へと振り返らせ。
「はい?」
大地に跪かんばかりに身を屈め、何ですか? と小首傾げたセツナと視線の高さを合わせ、カナタは。
「ジョウイ君に…………会いたい?」
優しく、セツナの髪を撫でながら、真摯な声と眼差しで、そう尋ねた。