良く口の廻る方なのに、あれきり殆ど何も、カナタが喋らなくなったから。
沈黙が痛い……と。
何処となく遠い目をしながら、ビクトールはカナタと二人、相変わらず物陰に潜んでいた。
「…………落ち切ったね」
だが、やがて。
西の空に沈み続けていた太陽が、完全に姿を隠して、辺り一帯の全て、闇の中へと落ち切ったを見て。
保っていた沈黙を、カナタが崩した。
「……ん? ああ」
唯聞いているだけなら、別段不機嫌そうには響かぬカナタの声に、一応ビクトールは返答をする。
「さて。行こうか。あんまり、喜ばしい状況とは言えないし。とっととセツナ、返して貰わないとね」
先程からずっと指先で弄っていた、別行動を取り始める寸前、自身でセツナより外した金輪を、丁寧に懐に仕舞い直し。
坑道前で拾い上げたトンファーを、腰帯に差し。
行こう……とカナタは、『軽い』調子で告げる。
「そう……だな」
「…………あ、そうだ、ビクトール」
彼の口振りより、心底機嫌が悪い、と云うのを再確認したビクトールが、やれやれ……と、半ば呆れながら頷いたのを確かめ、潜んでいた物陰より出て行こうとして、が、ふと、彼は動きを止めた。
「何だ?」
「先に言っておくけど。一寸ね、今回は僕も、見境ないかも知れないから。……宜しく」
「宜しく、ってお前…………」
「止めても、無駄だよ?」
「……言われなくても判ってる…………。──頼むから。この通りだからっっ。程々にしとけよ……?」
「だから。止めても無駄だってば」
進ませ掛けていた足を止め、くるっと、真後ろのビクトールを振り返り、にこっと笑みながら、今夜ばかりは見境が付けられぬかも知れないと、空恐ろしいことをカナタが言うから。
頭を下げるようにして、頼むから程々で……と、ビクトールは訴えてみたが、訴え……と言うよりは『懇願』だったそれは、爽やかにすら聞こえる、無駄、の一言で蹴散らされ。
「……恨むぞ、セツナ…………」
傭兵は、低い嘆きの声を放った。
「恨むのは、セツナじゃなくって、連中」
すればカナタは、『溺愛』中の少年の名を聞いた所為だろうか、不意に、色のなかった頬に、不満を浮かばせて。
「そりゃ、そうだが……」
「セツナには、恨み言じゃなくって、お小言投げてあげてよ。時々、僕の肝を冷やすようなこと、仕出かすんだから、あの子は」
「……まあ、そう言うな。セツナにはセツナの、思う処ってのがあるんだからよ」
「判ってるよ、そんなこと。……どうせ、あの子のことだから、馬車の中で僕が言ってた、『一寸した責任』を感じて、山賊退治するって言い出したって云うのが、『全ての理由』じゃないんだろう? …………気にすることないのに。僕が他人に、何を言われようとも。あれから三年が経っても尚、英雄と言われて、人々に何かを請われようとも」
……カナタは。
ビクトールの顔を見上げながら、そんなことを言い出した。
「気付いてたのか?」
「後になって、って奴だけどね。それに思い当たる切っ掛けをくれたのは、ビクトールだよ? ──ビクトール、馬車の中で、僕とセツナに呆れてみせた皆のこと、嗜めたから。何時もだったら率先して、僕達のことからかうのにね。……ああ、この話絡みで何か、僕には気付かれたくないことがあるな……って。そう思った」
「…………土台、無理な話だったって奴か、お前のこと誤魔化そうってのは。……まあ、そう云う訳だから。あんまり叱るなよ、セツナのこと」
「うん。そのつもり。……ま、それなりに、雷は落とすけどね。いい加減、セツナには懲りて貰わなきゃ」
「懲りる…………。お前が、それを言うか……」
「……どう云う意味? ……別に、いいけど。──じゃ、行こうか。……セツナの紋章の気配は、廃屋の棟の……うん、一番、奥。そこからする。その手前で、裏と表と二手に分かれて……ま、後は……ね」
────どうして、誰に何を言われても、今回の『噂』を確かめる、と言ってセツナが聞かなかったのかの理由など、察しが付いてる……とカナタは、ビクトールへ語り。
今度こそ、行くよ……、そう宣言して、闇の中に並ぶ、廃屋の棟達へと向き直った。
「出たトコ勝負でいいんだろ? 極力、あいつらにばれないようにすりゃあ」
セツナが連れて行かれた後、何がどうなったのか、中がどうなっているのか、一切判り得ぬ以上、『いい加減』でいいんだろ? と、踵を返したカナタへ、ビクトールは確かめる。
「得意だろう? そういうの」
「…………まあな」
己に並び、歩き出した傭兵へ、にこり、とカナタは笑って。
「三十人……か。さっき見た人数よりも、若干多かったとして……まあ、四十くらい、と思っておけば上等かな。一人で、二十人倒せばいいんだから、それ程しんどくはないよね」
「……一対二十で、しんどくない、って言えるのは、お前くらいなもんだぞ……」
笑ったままの彼が、突き付けて来た『現実』に、ビクトールはぼやいた。
「そう? 何も、一度に二十人を相手にしろって言ってる訳じゃないんだけど」
「労働の度合いは変わんねえだろ」
「年寄り臭いことを言うねえ…………。──そうそう。連中に僕達の潜入がばれて、どうして、『唯の子供』でしかないセツナのこと助けに来たのか、それを疑われそうになった時の為に、ビクトール、今は『セツナの父親』だってこと、忘れないようにね。僕は、セツナの兄だって装おうから。……じゃ、後宜しく、『父さん』」
「……何が『父さん』だ。不気味なこと言うんじゃねえっっ!」
たった一人で、二十人もの敵を相手にしなければならないと云うのは、かなりの重労働だと。
至極当然の愚痴を洩らした傭兵を、さらりとからかい。
挙げ句、『父さん』との台詞でトドメを刺してやった所為で、憤慨しきりなビクトールの様子を、笑い飛ばしながらカナタは、闇の中、潜んでいた物陰より暫し進んだ先にて、傭兵と二手に分かれた。
「気を付けて。どうも今回の相手は、用意周到みたいだし。その辺の山賊とは少しばかり出来が違うみたいだから」
「判ってる。そっちも気を付けてな」
じゃあ、後で、と、軽い調子で進む方向を違え、闇に溶け込んだビクトールの気配が消えるのを背中で確かめながら。
目指す棟の裏口へと足を進め始めたカナタは、傭兵へと向けていた、何時も通りの表情を、色のないそれ……──いや、憤怒しているのが微かに察せられるそれへと塗り替え、無意識に、懐の中の金輪を、上着の上から押さえた。
「…………セツナ」
──ぽつり、小さく、少年の名を呟いて、彼は。
南の空に姿を見せた、上弦の月の明かりさえ届かぬ『夜』の中へと、その気配ごと沈んだ。