薄明るく、足許を照らす月光を頼りに、セツナの後を追い、一直線に森を目指して…………が、その道程半ばで、ぴたりとビクトールは足を止めた。

『…………どうした。セツナは、もう直ぐそこに…………──

駆けさせていた足を止め、立ち止まり、そして振り返った彼に、訝し気に星辰剣が、語り掛けたが。

「……なあ……星辰剣」

ビクトールは、どうしてここで立ち止まる? との苛立ちを、若干滲ませてみせた星辰剣の言葉に、耳を貸してはおらぬようで。

『何だ』

「カナタの奴。どうして、今夜は『見境』がないんだと、お前は思う?」

『知らん。そのようなこと、あのひよっ子に直接尋ねれば良かろうが。…………ま、大方、セツナがあんな目に遭ったことが、気に入らんのだろうがな』

「……んなこたぁ、俺にも判ってんだよ。あいつが、セツナのこと目の中に入れても痛くないってくらい『溺愛』してんのは、今に始まったこっちゃねえだろうが。……だから、そうじゃなくってだな…………──

『…………何が言いたい? 御主』

────戻る」

『何処へ』

「カナタの奴んトコへ。セツナなら……『大丈夫』だから」

ぽつりぽつり、ビクトールは、思案を巡らせながら星辰剣へと語ると。

抜け出して来た廃屋へと、戻り始めた。

どうにも、横髪が鬱陶しいかも知れないと。

外していた、若草色のバンダナを懐から取り出して、その漆黒の髪を覆い。

もう、残るはこの一角だけ、とカナタは、廃屋の深部の、扉の一つを開け放った。

「いい加減、出て来ない? これでいて、追いかけっこも結構疲れるんだけどね」

自ら開け放った扉の中へと踏み込み、つい先程まで何者かがいたような風情のある、けれど今は何者の姿も見えない室内を、くるりと見渡して、面倒臭そうに彼は声を張り上げる。

すれば途端。

声高な台詞に答えるように、パラパラと幾つかの足音が沸き上がって、剣や、斧と云った武器を構えた男達が七人程、その部屋唯一の入口より中へと踏み込んで来て。

「…………何処の若造かと思えば。トラン建国の英雄様じゃえねか。最近、行き方知れずだったあんたがトランに舞い戻って来た……って噂は聞いちゃいたが。マジだったんだな。……で? 英雄様自ら、山賊退治にお出ましかい?」

室内の、中央辺りに立ち尽くしたカナタを取り囲んだ男達の、しんがりで姿を現した、恐らくは、この一団の頭目だろう男が。

ちろり、とカナタを一瞥するや否や、愉快そうに言い出した。

「少し、違う。…………処で、初めまして、で良かったのかな?」

にやり、と嗤ってみせた男に、微か、カナタは瞳を細めつつ、何かを思い出そうとしている風に、問い掛け。

「初めまして……でもねえな。少なくとも、俺の方は」

「あー、やっぱりねえ。そちらをね、何処かで見掛けた覚えがあるんだ。記憶が正しければ、グレッグミンスター城で、だったと思うんだけど。……もう、五年前の話だし、僕がそちらを見掛けたのは一瞬でしかないから、間違っていたら訂正して欲しい。近衛隊にいなかった?」

これが、初邂逅、と云う訳でもない、そう勿体を付けた男に、カナタは会得したように言いながら頷いた。

「随分と、良い記憶力だな」

──今を遡ること、約五年前。

カナタが、父・テオと共に、赤月帝国の王宮へと、上がったばかりの頃。

一度だけ、宮中にてカナタを見掛けたことがあって、あれが噂の、テオ将軍の一人息子かと、そう思った時のことを覚えているから、自分の方は、『初めまして』と云う訳ではないが。

唯、近衛隊に属していると云うだけで、別段、何の肩書きがあった訳ではない自分と、高々、擦れ違っただけのことを、良く覚えているな、と男は、感心したように呟いた。

「お陰様で。…………成程、食い詰めた帝国兵のなれの果て、か、この一団は」

ほう……と、感嘆を込めつつ、顎を撫で始めた男の態度を受け、生憎、物覚えは良い方で、とカナタは肩を竦めてみせる。

「ま、そう云うことにならぁな。あんたが、赤月帝国を滅ぼしてくれたお陰で、あれから三年が経った今、俺達はこの様だ。……テオ将軍の御曹子殿、のままでいてくれりゃあ、こんなことにはならないで済んだってのに」

「そう言われても。僕には僕の、都合があるし。──それに。志と、己が武人だと云う自負があるなら、トランに士官でもしていれば、こうはならなかったと思うけど? 二君には仕えぬ……って気骨の持ち合わせがある者が、こんな風に身持ちは崩さないだろうから。赤月帝国からトラン共和国に鞍替えしても、そちらの良心は痛まないだろう?」

「トランに士官? 願い下げだな。……あの頃の、腐った林檎の混ざった果物籠みたいな帝国が、俺達にゃ生き易かったし。何処の馬の骨とも知れねえ、そのくせ、清廉潔白な連中ばっかり寄せ集まった、解放軍が打ち立てた国なんざ、息が詰まっていけない。…………っとによぉ。余分なことしてくれたよ、あんた。父殺しをしてまで、祖国の為、民の為、ってか? 英雄様は、御立派なこった」

────山賊退治にやって来たと云うのとは、少しばかり違う、と言い。

何処か、飄々とした態度を崩さぬカナタを眺めながら。

やり取りの終わり、頭目は、忌々しそうに吐き捨てた。

「……………………噛み合わないねえ、何処までも。……ま、どうだっていいけどね、そちらの言い分なんて。興味の持てる話でもないし」

けれど。

筋違いな恨み言を聞かされ、触れられたくはないだろう、『父殺し』の台詞を持ち出されても、カナタは毛筋程も顔色を変えず。

「そもそも最初から、そちらの申し開きに耳を貸すつもりなんて、ないんだよ、僕は」

唯、にこっ……と、綺麗に笑って、彼は。

もう、この場に問答は要らないと、ゆるり、右手を持ち上げるような素振りを見せた。