ゆらりと、誠に頼り無気な灯が、僅かに洩れて来る廃屋の深部の一室を、トン……と左手で押してみれば。
ボロボロの床に倒れ伏した、幾つかの骸を見て取ることが出来。
床上から視線を持ち上げれば。
輪を描くように倒れている骸の中心に、佇んでいるカナタの姿を見ることも出来て。
「カナ…………──」
ビクトールは彼の名を呼び掛け、が、それを止めた。
その入口より、眺めること叶ったカナタは。
懐から取り出したらしい、セツナの金輪を、胸に抱くようにしながら。
ビクトールがやって来たことにも気付いていない風に。
「………………強くなりたい……」
低く小さく、そんなことを呟いていたから。
口にし掛けたカナタの名を飲み込んで、ビクトールは、カン……とわざわざ、ゆらゆらと揺れていた扉を叩き。
「どうした、カナタ。終わったのか?」
レオナの酒場で、ふざけ合っている時のような声音を絞った。
「………ん? まあね。一応」
すればカナタは、ゆるりと首を巡らせて、ビクトールを振り返り。
にこりと笑いながら、セツナの金輪を、手首に引っ掛けた。
「まーた、派手にやりやがったな、お前」
「言ったろう? 今夜は、見境ないって」
「あー、それは、よーーーーく覚えてる。言われなくっても、見りゃあ判る。────終わったんなら、戻らねえか? 多分、首長くして待ってるぞ、セツナの奴が」
「そうだね。戻ろうか。こんな所にいても、気分良くないし。────ああ、ビクトール」
「何だ?」
「…………聞いてたろう。さっきの、僕の独り言。…………もし、本当にそうなら、忘れて」
自身がそうだったように、呼ぶ声に答えて振り返ったカナタが見せた、常の如くな態度も又、わざと繕ってみせた物なのかも知れないが。
どうと云うことのない振りをして、戻ろう、とビクトールが言えば、頷きながらカナタが、笑ったままの表情を崩さず、聞いてしまったことは忘れて? ……と、囁いたから。
「ん? ……ああ。そうだな。忘れて欲しいんなら、そうしてやる。……忘れてはやるが…………カナタ? お前、それ以上、何処目指すんだよ。もう、充分だろう? そろそろ、いいんじゃないのか? それ以上、遠い場所目指さなくたって、いいだろうが」
聞かなかったことにしておいてやる……、と肩を竦めながらもビクトールは、思いを口にした。
「そう出来たら……いいのかも知れないけれど。一寸ね。そう云う訳にもいかなくて」
「……どうして」
「どうして…………って……。────あ、セツナ。……もう。先に行くようにって言ったのに」
────強くなりたいと洩らされた、彼の呟き。
それを、本当の意味で、忘れ得ること叶わぬだろうビクトールは。
今以上に強くなって。
今以上に何処かを目指して。
お前は、何処に行くつもりなんだと、そう尋ねたけれど。
カナタの答えは、その部屋の前の、廊下の方より近付いて来た、一つの気配に遮られてしまい。
「マクドールさん? ……あ、ビクトールさんもいた。だいじょぶですか?」
「平気だよ。僕達が、どうこうなる筈がないだろう? …………ホントにもう……。どうして、僕の言うこと聞けないの、セツナは。お小言、二倍にされたい?」
やって来て、入口よりひょいっと顔を覗かせた気配──セツナに、室内の『惨状』を見られぬようにカナタが、セツナを促し歩き始めてしまったから。
「……あー、それは一寸、遠慮したいような…………」
「だったら、大人しく、僕の言うことを聞くように。昨日の今日処か、さっきの今じゃない。僕の寿命、縮めたくはないだろう? セツナだって。だから。ね?」
「はぁい……。御免なさい……」
「判ってくれれば、それでいいよ。──ああ、そうだ。はい、預かってた金輪」
とことこ、外を目指して廊下を歩きながら、何時も通り、兄弟のような会話を始めた二人の後に、大人しく従いながらビクトールは。
「………………すげぇ覚悟だよな、お前の覚悟って」
カナタの背中へ向け、呆れを通り越し、感嘆にすらなった溜息をぶつけた。
「へ? 何の話? ビクトールさん」
「いや……何でもない。独り言って奴だ」
「セツナ。人間ってね、歳を取ると、独り言が増えるんだって」
「あ、そなんですか? …………あー、そう言えば、じーちゃんも独り言、多かったかも。そうですか。ビクトールさん、もう歳なんですか」
が、放たれたビクトールのそれに振り返ったのは、カナタではなくセツナで。
見遣って来たセツナを、誤魔化す為の言葉を吐けば、愉快そうに笑い出したカナタにからかわれて。
「……どうして、そうなるんだよ……」
つい先程、カナタの背中へ向け零した溜息とは質の違うそれを、ビクトールは遣る瀬なく、喉の奥から零した。