────バナー山脈の、鉱山跡にて、出来事が起こった日より、二日後。

デュナン湖畔に建つ、同盟軍本拠地の、盟主の自室にて。

昨日、トラン共和国より帰り着いて、一階広間の大鏡の前で、迎えに出て来た人々に、ただいま、と一言言うや否や、御免なさい、もう勘弁して下さい、本気で反省しますから、と絶叫したくなる程の説教を、正軍師のシュウを筆頭に、延々延々、延々喰らって、一日中げんなりと過ごし。

夜になってからは、トドメとばかりにカナタに、これでもかと言わんばかりの小言の雨を降らされて、いじけて眠ったセツナは。

「あのですね、マクドールさん」

昼食時を過ぎる頃には、もう立ち直って、けろりと、カナタを呼んだ。

「ん? なぁに?」

セツナ達と一緒にこの古城を訪れ、そのまま滞在を続けていたカナタは、セツナに呼ばれ、一昨日のことを、反省している『フリ』のつもりなのか、今日の処は大人しく、執務机にちんまりと座っているセツナへ、セツナのベッドの上で読み耽っていた本より視線を外し、意識を向けた。

「あの子……結局、名前は聞きませんでしたから、あの子……としか言えませんけど。山賊達の一味だったあの子。────素直に、バルカスさん達と一緒に、グレッグミンスター行ったみたいですけど……どうなるんだと思います?」

重要書類に、己が署名を『書き殴って』いた手を止め。

己の名を呼んだセツナを見遣ってみれば、あの日、ルックに何処いずこへと持ち去られてしまったまま、未だ手許に戻って来ていない黄色いスカーフが、本当ならば被っている己の胸許辺りを指先で突きつつ、ほんの少し遠い目をしながらセツナが、そんな話を始めたので。

「……さあねえ……。まあ……未だ、十ニだそうだから? 幾らでも、やり直せるんじゃない?」

視界の端で、書物の活字を追いながら、余り興味なさそうに、カナタは答えた。

「気持ちは判るんですけどねー、あの子の。……運が良かっただけで、僕だって、じーちゃんに拾って貰えなかったら、あの子みたいになってたかも知れませんし。でも……まあ……在り来たりな言葉で言えば、悪いことは悪いこと、ですし。生き方なんて、沢山ありますしね。だから……って。そうは思うんですけど。…………別れ際、あの子、これから先、俺にどうしろって……って。そんなこと言ってたから。早く、『気付けば』いいなあ……って。そんなこと、思っちゃって」

「気付けば、か……。ま、平気でしょ。生きてはいるんだから」

「…………それもそうですね。生きる余地は、与えて貰えた訳ですからね、マクドールさんに」

「………………何か、言い出そうだね、セツナ」

「そんなこと、ありませんよー? 別に僕は、あの子だけでも、『選択権』、マクドールさんが与えてくれて良かったなー、なんて思ってるとか言いませんし、昨日、シーナやフリックさんに、僕があんなになっちゃった後、マクドールさんがどれだけ恐かったのか、とか、ビクトールさんに、マクドールさんが久し振りにブチ切れてどうしようかと思った、とか云う恨み言を、嫌になっちゃうくらい聞かされた、なんてことも言いません」

──ベッドの上より。

『適当』なことをカナタが答えたのを切っ掛けに。

セツナとカナタの掛け合いは、暫しの間続き。

ほんわり笑いながらセツナが、ともすれば嫌味にも聞こえる台詞を吐いたから。

「……言ってるじゃない、充分…………」

カナタは苦笑を浮かべ、視界の端にて活字を追うことも止め。

「気に入らなかった?」

セツナの真意を確かめるように、彼は小首を傾げた。

「そうじゃないです。気に入らない、とか、そう云うことじゃなくって────

すればセツナは、そうではない、と、笑みを引っ込め、某かを言い掛けたが。

──セツナ様? 宜しいですか?」

その時、ノックの音がして、静々とした声と共に、フリード・Yの妻、ヨシノが姿を現し。

「あれ? ヨシノさん」

カナタへ投げ掛けようとしていた言葉の続きを飲み込み、セツナはヨシノへと視線を振った。

「お預かりしていた物、お届けに参りました」

浮かべた笑みを、「どうぞ」と云う応えの代わりにした彼へ、ヨシノも又、笑みを返し。

室内を横切って彼女は、綺麗に折り畳まれた黄色い布を、執務机の上へと置いた。

「あ、僕のスカーフ」

置かれたそれを、手に取り広げ、セツナは少し、驚いたような顔をする。

「ルックさんが、私の所へ届けて下さったんですよ。御存じではありませんでしたか? ……少々、血を落とすのに時間が掛かってしまいまして、お届けに上がるのが、遅くなってしまいました。布地、痛ませてはいないと思うんですけれども……」

ルックに持ち去られた時には、たっぷりと血を吸い、ぐちょぐちょになってしまっていたスカーフが、綺麗に洗われている様に、セツナが目を丸くしたら、ヨシノは少し、はにかんだような、困惑しているような、そんな雰囲気を滲ませ。

「あ、大丈夫ですっっ。すっっごく、綺麗っっ。有り難う、ヨシノさんっっ」

「そうですか? ならば、良いのですけれど。……それでは、失礼致しますね」

慌ててセツナは礼を告げ、深く、礼儀正しく一礼をしたヨシノは、部屋を辞し。

「…………何だ、ルックってば。シュウさんトコ、報告に戻る序でに、ヨシノさんにこれ、渡してくれたんだ。だから、あの時…………。……ほんっとにもー、素直じゃないんだからーー」

じーちゃんの形見、と嬉しそうにセツナは、手にしたスカーフを、胸に抱いた。

「セツナ。おいで」

そんな彼の様を眺めて、カナタはベッドの上より、少年を呼ぶ。

「何ですか?」

ちょいちょい、と手招かれ、スカーフを握り締めたまま、トコトコ、セツナはカナタに近付いた。

「いい腕してるね、ヨシノさん」

寄って来たセツナより、ひょいっとスカーフを取り上げ、日に透かしても、血がこびり着いていた曇りすら窺えないそれに、賞賛を与え。

するするとカナタは、何時もセツナがそうしている風に、セツナの肩に黄色い布を羽織らせ、胸許で、綺麗に結んだ。

「…………はい。元通り」

最後に、ちょちょっと全体の見てくれを整え、これで漸く、『元通り』と微笑み。

「未だ少し、顔色良くないけど。貧血とか、起こしてない?」

セツナの薄茶色した大きな瞳を、間近で彼は覗き込んだ。

「平気ですよ。何ともありませんもん。……あ、スカーフ、有り難うございます、結んで貰っちゃった」

近付いて来た、漆黒の瞳を覗き込み返して、セツナも又、にこぉと笑む。

「そう? なら、いいけど。…………ね、セツナ」

「はい?」

「…………お願いだから。無理だけはしないで? もう……僕に……………──。……ううん。何でもない。御免ね?」

……ほんの少し、照れたような。

そんな笑みを浮かべてみせたセツナに、今度はカナタが某かを言い掛けて、それを飲み込み。

飲み込んだ想いを音にする代わりに、カナタはセツナを、腕の中へと抱き込んだ。

「………………あのですね、マクドールさん」

大人しく、胸に抱かれ、頬を寄せ、瞼を閉じて。

深い、吐息を洩らしながら、セツナはカナタを呼ぶ。

「……ん?」

「……『泣いて』……ました…………?」

「何時? ……何時、僕が泣いたの? 泣いたりなんて、しないよ? 僕は」

「でも…………。……あの……色々、御免なさい……。──僕は……。僕は、あの日、マクドールさんがしたこと、気に入らないんじゃなくって。そんなんじゃなくって。マクドールさん……『辛かった』んだろうなって……そう想っちゃったから……その…………」

「『辛い』? …………ああ、辛いと言えば、そう言えないこともなかったかな。君を守り切れなかったことは、僕にとっては確かに、辛かったことだから」

「……そう、じゃなくって……。えーーと……。────兎に角。上手く言えませんけど。色々、御免なさい……」

「もう、いいよ。そんな風に謝らなくともね。……いいんだよ。君は無事で。無事に、『ここ』へと戻って来たのだし、ね」

抱き寄せた、己が胸に縋りながら。

何とか、想いを言葉にしようと足掻くセツナを、カナタはそう言って宥め。

「そうだ、セツナ。『良い子』のフリして、執務してるのも、そろそろ飽きたろう? ルックでも、からかいに行こうか。……お礼、したいだろう? スカーフのお礼」

一度だけ、セツナを抱く腕に、強い力を込めると、パッと小柄な体を手放し、悪戯っ子のように、笑った。

「あ、いいですね、それ。素直じゃないルックには、何時も通り、素直じゃない方法でお礼に行きましょっか」

────カナタは、もうこの話をしたくないのだろうな……と。

彼が言い出したことより、その気配を察してセツナは。

縋っていた胸より、ゆ……っくりと頬を持ち上げると。

年端も行かぬ幼子のような、頼り無気な笑顔を作り。

カナタの提案に乗るべく、ひょいっと、身軽な風に、踵を返した。