この三年の間に、事情はすっかり変わってしまったけれど。
トラン共和国が、赤月帝国と呼ばれていたあの頃──帝国時代の末期、ジョウストン都市同盟との国境ともなっているバナー山脈の、鉱山、と言えば、子供達さえ震え上がる程、それはそれは悪名高き場所だった。
現・トラン共和国にも正式な書類が残っていない為、赤月帝国が所有していたバナー鉱山が開拓された切っ掛けは、もう今となっては伝承にて知るより他はないから、正確な処は不明だが、開拓が始まった初期は純粋に、国の為、民の為……との主旨があったことには間違いはないようで。
だが何時しかそこは、山脈にて採掘される、様々な鉱物を得ることよりも、重い罪を犯した犯罪者達に、強制労働の罰を科する為だけの場所へと変貌を遂げた。
そうして、長い間続いたその『習慣』はやがて、悪戯好きの子供達に、「悪さをすると、恐いおじさん達がいる、バナーの鉱山に置いて来るよ」……と言って聞かせれば大人しくなる程、帝国の中では当たり前の『存在』となって。
赤月帝国が滅びる頃には、帝国の西、ソニエール監獄と対を成す程、それまで以上に、『とあること』の代名詞に押し上げられた。
──『とあること』。
帝国に反旗を翻すことは則ち、そこに送られ命を落とすことに等しい、と。
ソニエールに並び、そんな噂の代名詞に、何時しかバナー鉱山はなった。
…………帝国の人々の口に上ったその噂が、噂などではなくて……と云う事実を、今更繰り返す必要はないだろうから、多くは語らないけれど。
兎に角、三年前のあの頃、バナー鉱山はそんな場所で、赤月帝国が討ち滅ぼされて後、トランに起った共和国は、悪政の象徴の一つ、とも言える鉱山を、随分と長い間掘り続けられていたから、と云う事情も鑑み、国内が落ち着くや否や、閉山してしまった。
だから今、バナー鉱山の坑道に近付く者などおらず。
……けれど、人が近寄らなくなったことと、バナーの峠道がある辺りより程ない、と云う立地条件が災いし、最近では、バナー鉱山の跡地は、何処
「……………だけど……」
────トラン湖を越え、北の関所から、バナーの関所へと向かう馬車の中で。
時折、轍に車輪を取られたが為の振動を感じながら、バナーの峠付近に出没するようになったと云う、山賊に関する噂話を思い出し。
んー……とカナタは、首を捻った。
「どうかしました? マクドールさん」
暫し黙り込んで、物思いに耽った後、ぽつりと独り言を洩らした彼へ、隣に座っていたセツナが向き直った。
「バナー鉱山の、坑道跡に住み着いたって云う山賊達。……サラディの方に降りて来る……と云うなら兎も角……どうして、あんなに往来の少ない峠道に? って思って。あの手合いは、仕事の効率を、最も重視する筈なんだけど……」
下から覗き込むようにして見上げて来た、セツナの仕種を見遣って。
考えていたことはそれ、とカナタは告げた。
「……ああ、それですか。僕もそれ、不思議だったんですけどね。今朝、バルカスさんに話聞いて判ったんです。ここの処でですね、あの峠道を通る人、結構増えてるんですって」
すればセツナは、それ、僕知ってますっ! と瞳を輝かせ、今は御者と並んで座っている筈のバルカスに教えて貰ったことを、カナタへと伝えた。
「どうして?」
「んとですね。もう結構前のことになっちゃいましたけど。僕達が、コウ君助ける為にあの峠行った時、あるじゃないですか」
「うん。僕とセツナが初めて逢った日のことだろう?」
「その時僕達、成りゆきで、山賊退治しましたよね」
「……したね」
「どうもですね、それが何時の間にか、デュナンとか、ハイランドとか、兎に角トランよりも北の地方で、噂になったらしいんですよ。質の悪い山賊が出るから、危険で通れないって言われてたバナーの峠道が、比較的安全な道になったー……って。それで、高い船賃払って船でトランまで下るよりは、あの峠越えた方がいい……って考える人が増えちゃったみたいでですねー」
「成程…………」
くりくりと良く動く眼
ああでこうでこうなんですー、とセツナが、バナーの峠に再び山賊が出るようになった理由を語れば。
納得がいった、とカナタは頷いた。
次いで彼は、ふ……と、何かに思い当たったような顔付きになって。
「…………セツナ」
「はい?」
「もしかして、一寸した責任、感じてる?」
「……あー…………。いえ、その……。そーゆー訳でもないんですけどー……」
「でも、成りゆきでした山賊退治の結果が、あの道の往来を増やすことになって、それで又……とか何とか、考えたんじゃないの?」
「……えーーーーーと」
「最初から、素直に言えばいいのに……」
ひょっとして、『動機』はそれ? と問い質してみれば、少年は、へらっと誤魔化し笑いを浮かべはしたものの、言葉には詰まったので、何だ、そう云うことか……と彼は、微苦笑を拵え、その頭
「けど……別に、それが理由って訳じゃ…………」
「はいはい。そう云うことにしておこうか」
「うーー……」
「時々、素直じゃないよね、セツナって」
ぽふぽふぽふ……と。
まるで、普段はピンッと立っていても、御主人様に叱られた時だけは垂れてしまう犬の耳を慰めるような仕種で、カナタがセツナへと腕を伸ばせば。
撫でられつつもブツブツと、セツナは無駄な反論を始め。
そんな少年へ、カナタはにっこりと、余裕の笑みを『見せ付け』。
「……あーあ、又始まった」
「懲りないよな……」
「お馬鹿だから」
それまで黙って二人のやり取りを聞いていた、シーナとフリックとルックは、やだやだ……、そんな感じでぼそぼそ言い合い。
「いいじゃねえか、別に。何がどうであれ、仲が良いってのは」
まあまあ……とビクトールが、三人の『ぼそぼそ』を嗜めた。
「………………外野。うるさいよ」
──その時、ビクトールが取って見せた態度へ、カナタは一瞬だけピクリと肩を揺らして、訝し気な顔をしたが。
瞬く間に彼はそんな気配を消して、己とセツナへ、不躾な呆れを送って寄越す仲間達を、綺麗な微笑みで『牽制』した。