「……迷子になって、心細く思って挙げ句、廃虚になんて出会しちゃった子供は、そんなに呆気無く、廃屋の中になんて入って行かないよ? セツナ」

──鉱山の、施設跡を取り囲んでいる木々の中で、最も背の高いそれの天辺付近に登り。

太い枝に腰掛けて、棍を膝に抱えながら廃虚を見下ろしていたカナタは、廃屋へと入って行ったセツナの背中を見守りつつ、ぽつり、独り言を洩らした。

「大抵は、暗くなるまで外で蹲って、日が落ちたからって渋々、入るものなんだけどねえ、あんな、幽霊屋敷みたいな場所には。……ま、旅慣れている子供だって言い張るかな、あの子なら」

…………カナタが、何時そこに登って、どれ程の間そうしていたのか、どれくらいの間、セツナの様子を窺っていたのか、それは彼にしか判らないし、そもそも棍などを片手に、どうやって木登りなぞをしたのだ、と問うてみたいが。

兎に角、彼は今、この辺りを一望出来る、木の上におり。

手持ち無沙汰そうに、独り言を吐いていた。

「諦めると思ったんだけどなあ…………。粘るなあ、流石に」

ブツブツ、ブツブツ、独り言を呟き続け。

今宵の宿は、この木かな、と彼は肩を竦める。

別段、ここにいるのは苦痛ではないから、ここでこのまま、待機していてもいい。

打ち合わせた幾つかの手筈の内の一つを採用して、迷子になった弟を探しに来た兄の振りをしてもいい。

そのどちらに状況が転んでも、カナタ自身は構わないのだが。

「もう少し、様子を見るか……」

じっと、セツナが消えた廃屋を見下ろして彼は、ほんの少し考え込んでから、今暫くはこのままでいることを決めた。

そう決めるや否や、枝の上で彼は腰掛け直し、万が一にでも棍を落とすことなどないように抱え直してから、幹にもたれて瞼を閉じる。

……直ぐそこに感じられるセツナの紋章の気配には、何らの変化もない。

少年を飲み込んだ廃屋は、相変わらず静かだ。

だから…………と。

カナタは少しの間、ここでこのままぼんやりする為、瞼を閉ざしたのだ。

セツナの様子に変わりはなさそうだし。

もしも、己の目の届かぬ場所で何か起こったとしても、その時にはルックが転位魔法を使うだろうし、今日の面子ならば、大抵のことは何とかなる、そう思って。

ここへと向かう道すがら、迷子になった弟を探しに来た兄が、『トランの英雄』そっくりだと云うのもマズかろうから、せめてそれくらいは……と外しておいた、若草色のバンダナを顔に引っ掛け。

自分の懐に入れたままの、セツナの金輪をポンと服の上から一度叩いて、カナタは『優雅なうたた寝』を始めた。

坑道の入口が、間近に窺える森の茂みの中からひょいっと顔を出して辺りを窺い。

「ホントにいるのかな、山賊なんてさ」

人っ子一人居ないじゃん、とシーナはぼそり、言った。

「さあな。いるかも知れないし、いないかも知れないし」

彼と同じく、首から上だけを茂みの中より覗かせ、周囲の様子を確かめて、次いで、天頂をも仰ぎ。

フリックはそう答えた。

「何の動きもないみたいだしねえ。……今日はここで、夜明かしって奴か? 冬で良かったよ、虫いないもんな」

「ぶつぶつ言うな。…………それにしても本当に、何の気配もないな……」

「たーしかに。……まあ、バルカスがさ、この話は親父の耳にも入ってるって言ってたから、まるっきり、唯の噂、ってことじゃないんだろうけどね。バナーの坑道跡に連中のねぐらがあるってのは、怪しいんじゃないの?」

ぶちぶちと、こんな所で野宿かよ、と、三年前、今以上に過酷な事態も充分経験しているくせに、贅沢なことをシーナが零せば、言ったって始まらない、とフリックは彼の愚痴を嗜め、今回の『噂』は、全部が全部、本当のことじゃないんじゃないの? とシーナは、愚痴の方向性を変えた。

「ま、それならそれで、セツナも諦めるだろうし。いいんじゃないか?」

故にフリックは、噂が間違っていたならいたで、構わない、と肩を竦めて。

「…………ホントに諦めると思ってんの? あの、セツナが」

「………………それは……うーん……」

「厄介だよなあ、あの質。だから、天魁星なんてやってんだろうけどさ。……あーあ、カナタん時も、この手のことで散々泣かされたけど、今回も、同じ目に遭わされるなんてねえ。ツイてないってーか。親父を恨みたくなるってーか」

「レパントのこと、恨んでも仕方ないだろ? だらだらと、女の尻ばっかり追い掛けてるお前のことを思っての、親心って奴だろうが、レパントのアレは」

「それが、余計なお世話だっての。命短し恋せよ乙女、ってそれと一緒で。ヤローだって命短いんだから、俺は恋に生きるの。…………ま、お袋が何にも言わないから、こうしてられるってのはあるけどね。……恐いんだよなー、お袋が怒ると」

「軟派だなー……相変わらず。────って……お前、マザコンか? ひょっとして」

「俺の何処がマザコンなんだよっ」

────全身青一色の傭兵が、肩を竦めてみせたのを切っ掛けにしたような形で。

シーナとフリックの二人は、茂みの中に潜みながら、暇潰しとしか思えぬ、どうでもいい会話を交わした。

「…………どうして僕が、こんな所でこんなことをしてなきゃならないのさ……」

──カナタがうたた寝を始めて、フリックとシーナが、暇を持て余した挙げ句のやり取りを始めた、丁度その頃。

同じく、廃屋の様子を直ぐそこに窺える薮の一つにて、ボソッとルックは文句を言っていた。

「苦情なら、セツナとカナタに言いやがれ。山賊退治をするって言い出したのはセツナで、こう云う風に事を運ぶって言い出したのはカナタだ」

冬枯れになっても尚、触れるだけでガサガサと音を立てて、衣装や肌を突っ突いてくる薮に、何故自分が身を顰めて……と、憤慨しきりなルックを、ビクトールは、文句は『元凶』に言ってくれ、と突っぱねた。

「僕は、あんたと違って繊細に出来てるんだけど」

「……あー、そうかい。良かったなあ、逞しくなれる機会に恵まれて」

「だから喜べ、とでも言うつもり? あんたみたいな次元で逞しくなるなんて、僕はお断りだよ。────もういい加減、帰らない? 何の気配もしないし。狐狸の一つも出ないし。はっきり言って、時間の無駄」

「お前も案外、しつけえな。そう云うことは、元凶に言えっつってんだろうが、俺は。……でもなあ、諦めないと思うぞ? セツナは」

さらっと、愚痴を受け流してやっても、ルックが文句を引っ込めなかったから。

やれやれ、とビクトールは溜息を零し、『現実』を教えてやる。

「…………何でさ」

「又、山賊が出るようになった、って噂の場所が、バナーの峠だから」

「……バナーの峠だと、どうしてあのお馬鹿が諦めな…………──。まさか、そう云うこと?」

「多分な」

「どうしようもないお馬鹿だね……」

「仕方ねえんだろうさ。……ルック、お前だって覚えてるだろ? カナタと再会した時……ほれ、バナーの宿屋の娘…………エリ、だったか? ……エリが、道々言ってた話。『トランの解放戦争に参加してた自分にとって、カナタ様は……』って、あれ。……あの手の訴えをな、万に一つの可能性でしかないとしても、もう一度誰かがカナタにするかも知れないとしたら……って。それが嫌なんだろ、セツナは。年中通る場所だしな、あの峠は。……カナタが思った通り、『一寸した責任』ってのも感じてるんだろうが」

「だから、お馬鹿って言ってるのさ、僕は。なのに、カナタの手なんか借りたら、意味がないのに」

「…………その辺が、セツナの微妙な機微って奴だな、多分。きっと……『程々のこと』なんだろ。さもなきゃ、カナタには絶対ばれないと思ってるか」

「程々のこと? 何が何に対して、程々だって?」

「さあな」

──現実を、教えてやった序でに。

ビクトールはつらつらと、そんな話をもして。

彼が最後に告げた、『程々のこと』の意味のみ汲み取れなかったルックより視線を外し。

「腹減ったなー…………」

黄昏れて来た空を見上げながら彼は、キュル……と鳴り始めた胃を押さえた。