兵士達の行き来が今は激しい、ラダトの街の東門に立ちながら、一切の表情を消し去った厳しい顔など己が作っていたら、某かを思う者も現れるかも知れない、と。

綺麗な微笑みを湛えたまま、冷え冷えとした内心を抱えて、カナタは支度が整うのを待っていた。

一番の駿馬を、との、彼の言葉に応えて走った、ビクトールとフリックの二人が、待ち侘びるカナタの元へと、黒毛を引きながら戻るまで、大した時を要しはしなかったけれど、それでも、先程アップルの報告を受けた時よりも、彼の瞳の鋭さは、増していて。

「……そんなに、怖ぇ顔すんな……」

ビクトールが、唇の端を引き攣らせた。

「後、宜しく」

だが。

常ならば、仲の良い腐れ縁傭兵コンビのそのような言葉へ、直ぐさま返すじゃれ合いの為の台詞も言わず。

渡された手綱を掴んで、馬の背へ飛び乗るとカナタは、鐙で強く、その腹を蹴って、草原を目指した。

「って、おい、カナタっ! ──……しょうがねえなあっ。俺達も行くぞ、フリック」

「判ってるって。……ったく、ルックの奴がいれば、話は早かったのに。──おい、誰かっ! 馬っ!」

一人じゃ無理だ、と、言わんばかりの面になって、ビクトールとフリックも、直ぐさまその後を追った。

……傭兵砦の付近一帯が、ハイランドの勢力下に置かれているという事実は、戦いを終えたその日と言えど、変わらない事実だ。

同盟軍が、勝ちを治めた『ような』形で小競り合いが終わろうとも、あの辺りが敵兵だらけの場所である現実は、未だに揺るがない。

北の皇国を治めている者達に、傭兵砦を手放すつもりは更々ないのだから、幾らカナタが無類に強かろうとも、同盟軍に助成している彼が、そこへと踏み込んだことが知れたら最後、本気で牙を剥かれる。

……だから。

戦いが終わったばかりの、そう言った意味で荒涼とした草原を駆け抜けて行く、一頭の黒毛の後を。

少し遅れて、二頭の栗毛は従った。

マチルダ騎士団の、元青騎士団長・マイクロトフがその日連れていた黒毛は、確かに優れた駿馬で、人を乗せずに野を駆ければ、二十五里を、一刻と掛からずやり過ごす程の脚を持っていた。

ラダトから、セツナの姿が最後に見られたという森まで、約十里。

それだけの距離を、黒毛は、半刻で辿った。

辿り着いた目的の森の入り口で、カナタは馬を下りる。

たてがみを撫でてやって宥め、手綱を引き、木々の間に馬を隠し。

棍を片手に彼は、森へと分け入った。

…………この場所が『どういう場所』か、カナタには重々、判っていた。

後を追い掛けて来たと知った、ビクトールとフリックを乗せた栗毛を、遥か以前に引き離してしまったことにも彼は気付いていたから、敵陣の懐に、己が今、たった一人でいることも、承知していたけれど。

一刻も早くセツナを探し出して、安全な場所へと連れ帰ることの方が、カナタの中では何にも増して、重きを置かれることだったから。

気配を殺して、彼は。

辺りに気を配りつつ、セツナを探し始めた。

意識を手放してしまってから、どれだけ時が流れたか、判断など付かなかった。

霞んで見える視界を何とか彷徨わせ、天を見上げてみても、繁る緑の枝に覆われた空は、いまだ明るいのか、それとももう闇色なのか、教えてはくれなかった。

だから、ぼんやりと覚醒したセツナは。

湿った茶色い土を覆う、深い下草に、自分が包まれていることのみを理解し。

何とか起き上がろうと、努力だけはしたけれど。

どうしても、体は言うことを聞いてくれなかった。

頭を擡げようとすれば、くらくらと世界が揺れて。

胸を張ろうとすれば、背の骨が悲鳴を上げて。

脚には、これっぽっちの力も入らなかった。

息が出来るのが不思議なくらい、呼吸は苦しく、鼓動は激しく。

触りもしないのに、自身の肌が、この上もなく冷えきっているのを感じられた。

体中が痛くて苦しくて、どうしたらいいのか、判らなくなりそうだった。

痛い、と。

苦しい、と。

何も彼も忘れて、縋る腕が欲しかった。

大丈夫だから、と。

僕が傍にいるから頑張って、と。

そう言いながら差し伸べられる、あの人の腕が、どうしようもなく恋しかった。

……その、理由は判らない。

どうして、そうなるのかなんて、判り得はしないけれど。

優しく、甘やかすように、あの人に抱いて貰えると、不思議と楽になれるから。

あの人を求めたい、と、セツナは思った。

でも。

優しく不思議な腕を持ったあの人は、今、傍にはいなくて。

何処にもいなくて。

水門のある街で、自分の帰りを待っている筈で。

……だから、あの人の為にも、早く、少しでも早く、あの人の傍に帰らなければならないのに。

無事な姿で笑顔を見せて、あの人の傍に帰らなければ、あの人に、『痛い』想いをさせてしまうのに。

どれ程足掻いても、立ち上がることは叶わず。

だというのに。

恐らくは傭兵砦からやって来たのだろう、同盟軍の部隊が全て引き返したか否かを確かめる為の見回りの任に就いたらしい、ハイランド兵士達の声が、遠くから聞こえて来て。

セツナは身を丸め、息を詰めた。

そうする以外。

今の彼には、何一つ成すことは出来なかった。