森中の、道無き道を戻るべく、兵士達が踵を返して数歩と行かぬ内に。

何の前触れもなく、気配一つ漂わず、鋭く突き出された『何か』の先が、隊列の中程を歩いていた、セツナを担いだ男のこめかみ辺りを、激しく打った。

左のこめかみ辺りを突かれた兵士は、声一つ上げずに崩れ、彼の右肩に担がれていたセツナの体は、ずるりと滑り落ちた。

だが、自身には腕一本動かせぬ今のセツナの体が、湿った茶色い土の上に、叩き付けられる前に。

伸びた一本の腕が、彼を掬い上げた。

「……何だっ!?」

──その出来事は、瞬き程の間に起こったそれで、咄嗟には、何が起きたか理解出来なかった兵士達は、慌てふためき剣を構えた。

両手で柄を握りながら、鈍色のそれを構えれば、漸く、構えたその切っ先の向こうに、捕らえた同盟軍盟主と良く似た色合いの衣装を纏った、少年の姿を見遣ること叶い。

「貴様っ!」

右手に、先程仲間の一人を打った『何か』──棍を構え持ち、左手のみで、自分達の『獲物』を抱き抱えている少年へ、兵士達は怒鳴った。

奥行きも幅もない、道なき道の直中で、兵士達は少年を取り囲み、一斉に斬り掛かったが。

少年の背を袈裟掛ける筈だった切っ先は、ここが、棍で以て戦うには適さぬ程狭い場所だという現実を忘れ去らせる程、呆気なく、簡単に、それでいて『綺麗』に操られた棍に弾き返され、背を襲った剣を弾いたその勢いのまま、振り戻された黒塗りのそれに、少年の喉元を狙った刃は、絡め取られて大地に落ちた。

無防備に見える背を討つこと叶わなかった兵士と、剣を奪われた兵士の二人は、自らが体験したことに、ほんの一瞬、動きを止めた。

その刹那が、命取りになるとも知らずに。

己達に起こった、今の出来事を信じられぬまま、ほんの些細な時間、動くことを忘れた二人は、どう動いたのかも見えなかった棍の、鋭い突きに打たれ、命を手放し地に伏した。

「この…………っ!」

何一つ、言葉にせず。

気合いの怒声も放たず。

片腕に、小柄な少年を抱えたまま。

余りにもあっさり、二人の仲間を倒してみせた相手に、ハイランド兵達は憤り、怒りに任せて剣を振り上げた。

「おい、待てっ!」

──唐突に、何処からかも悟らせずに現れた少年の力量を、年嵩の男は悟れたのだろう。

挑んで行く仲間達を、男はそう言って止めたが、時既に遅く。

襲い掛かった三振りの剣を、弾き返す音すらさせず、立ち位置も、変えることなく。

腕のみで行った、としか小隊長の目には映らなかった三動作のみで、少年は棍を振り、突きだけで、仲間達を絶命させた。

「くっ…………」

……この少年に挑んだ処で、負ける。

一人生き残った彼は、己達の手に陥ちた同盟軍盟主を諦めなければならぬことに、歯噛みをしたが。

脱兎の如く、少年へ背を向けて、走り去った。

「セツナ? セツナ。セツナっ!」

逃走した相手を、追ってまで、とはその時、少年──カナタも、思いはしなかったのだろう。

逃げた兵士を追うよりも、セツナの方が、気懸かりだったのだろう。

辺りに、自らが倒したハイランド兵士達の骸が横たわる中、天牙棍を大地へ落とし、その場へ膝付いて、両腕でセツナを抱き直した。

「マ……クド……ルさん…………?」

男達に乱暴に扱われた所為か、乱れ切ってしまっている、脂汗に塗れたセツナの薄茶の髪を、幾度か掻き上げてやれば、うっすらと、セツナは瞼を持ち上げ。

己を抱くのが、誰なのかを知り。

「…………マク……ドー……ル、さ……ん……。御免、なさい……。御免……なさ……──

微か、泣き笑いの顔を作って、セツナはカナタに、詫びを言い募り始めた。

「大丈夫だから。謝らなくてもいいからっ。しっかりして、セツナ。──僕の言ってること、判る? 聞こえる? ……帰ろうね、君のお城に。一緒に」

うわ言のように、何に対して詫びているのか、今一つ不明瞭なセツナのそれを遮って、安心させるようにカナタは、セツナの二の腕辺りを、軽く、数度叩いた。

「……ん……。痛……い……」

と、たったそれだけのことを、口に出してまでセツナが痛がったので。

「…………重傷」

ぽつり、セツナには聞き取れぬ程の小声で、目線だけで天を仰ぐようにカナタは呟き、捨てた棍を掴んで、ゆっくりと、その獣道を歩き始めた。

「痛む?」

歩を進める為の振動すら、響いて痛むか、と問えば、こくり、と弱々しく、セツナは頷いた。

「……痛い……です…………。痛い…………。マク……ドールさ……。どうし、よ……う……っ」

「もう少し。もう少しだけ、耐えて? ね、セツナ。ほんの少しだけ。……辛いだろうけど、我慢して……?」

その腕に、揺られる度、悲鳴を上げる体の訴えに。

どうしたらいいのか判らなくなってしまっているセツナは、掠れる声で訴え。

そんなセツナを宥めつつ、あやしつつ、カナタは道無き道を進んで、己が駆って来た馬を隠し繋いだ辺りまで戻ると、大地より盛り上がった根が象る、窪みのような影に、セツナを抱きつつ身を潜めた。

「もう、大丈夫だから。眠ってしまっていいよ。少しでも休めば、きっと違う。大丈夫、僕が傍にいるから」

カナタがそこへ潜んだことに気付いて、何やら物言いたげになったセツナへ、有無を言わせぬように彼は告げ。

「……は、い……」

大丈夫、の言葉を、呪文のように繰り返し、痛まぬように背を摩り、セツナを眠りに導いた。

「……火と水、か。……もう少し、まともな物付けてるんだったかな」

胡座を掻くように、脚を崩して座り込んだ膝上に抱き込んだセツナを簡単に眠らせ、カナタは、今己が宿している紋章を、声に出して確かめた。

──ラダトにて唯、セツナの帰りを待つ以外のことするつもりがなかった彼は、そこそこのことなら何とかはなる程度の紋章しか、宿してはいなかった。

一刻を争うから、と、携えている品も、懐に収めておいた最低限の物しか持ち合わせていない。

……でも、それでも。

ラダトを飛び出した時には、事足りる、と彼は踏んでいた。

装備や紋章をどうこうするよりも先に、馬を駆って、セツナの元に辿り着いて、探し当てて…………そう、カナタの言葉を借りるなら、セツナを『迎え』に行くことを、優先すべきだと、そう考えていた。

例え、それだけの構えで敵陣の直中に飛び込む行為を冒しても、己が負ける筈ないと彼は『知って』いたし、セツナを見付けたら直ぐさま、ラダトに取って帰れば、それで済む筈だったから。

…………戦場で、セツナの行方が判らなくなるような事態が起こる可能性など、少ない。

が、それでもそうなってしまったのだから、怪我を負ったか、『発作』を起こしたか、予想外も予想外、と言える事態が起こったか、のどれかだろう、とはカナタも思っていた。

そして、セツナの身に起こっただろう、最も可能性の高いそれは、紋章の所為で……であろうとも、予測はしていたけれど。

まさか、軽く二の腕を叩いただけで、痛い、などと滅多に口にしない言葉をセツナが洩らす程、『話』がこじれているとは、カナタも想定しなかった。

──故に。

本来ならばこのまま、セツナに苦痛を耐えさせてでも、ラダトへ戻るべきだと、判ってはいたけれど。

その道を、カナタはあっさりと捨て、少しでも、『大切』なセツナの身が癒えるのを待ち、夜陰に紛れてラダトに戻る道を、彼は選び取った。

辺りが夜の闇に飲まれるまで、手を伸ばせば届く場所に、今は戦えぬ同盟軍盟主が手薄のままいる、と知ってしまったハイランド側が動かずにいてくれるかどうか、それは、賭けでしかなかったけれど。