凍えたかと思える程冷たい、セツナの体に熱が戻りつつあるかどうか。

それを時折確かめながら、カナタは、時が過ぎることのみを、じっと待っていた。

そうしていたら、潜んだ窪みの直ぐそこで、カサリ……と微かに、茂みを踏みしだく音が聞こえ。

彼は、棍を掴む手に、力を込めた。

だが数瞬ののち、彼の纏った雰囲気は塗り換わり。

「……ビクトール、だろう?」

小声で彼は、感じた気配の名を呼んだ。

「…………カナタ?」

呼ばれた主、ビクトールは、カナタ以上に声を潜め、カナタの名を告げ。

「こんな所にいたのか。探したぞ? ……処で、セツナは?」

程なく、カナタとセツナの二人が潜んだ窪みの影へ、フリックと共に顔を覗かせた。

「見付けた。それは大丈夫。但、動かせない」

カナタと、カナタに抱かれたまま身動みじろぎもしないセツナを見付け、薄暗い森の、より薄暗い場所でもはっきりと判る程、顔を顰めた傭兵に、カナタは答える。

「怪我でもしたのか?」

動かせない、という彼の言葉に、フリックも又、深刻そうになった。

「怪我、じゃないけど」

「じゃあ……?」

「ほら。例の奴。……一寸、紋章に体力奪われ過ぎちゃったみたいで。酷く痛がる、から。馬の背に揺られるのは、マズくて」

時折、セツナが倒れる本当の理由を知らないフリックに、嘘ではないけれど、所詮は誤摩化しでしかない理由を、カナタは告げる。

「……ああ、アレ、か。そんなに酷いのか? 今日に限って?」

「まあね」

偽りでもない、が本当でもない事情を語ればフリックは、カナタの誤摩化しにあっさり納得を示して。

「なら……迂闊には動けねえな…………」

フリックとは違い、全ての、とは言わぬまでも、セツナの持つ紋章が齎す事実の、殆どを察しているビクトールは、顔の渋みを深めた。

不完全なまま宿し、使い続ければ、宿した者の命を削る、紋章に。

動かせぬ、とカナタが言う程、『何か』を削られたセツナを無理に運べばどうなるか、ビクトールには想像も付かなかったから。

厄介だ、と、苦々しく、セツナに宿る紋章を、見下ろすしか彼に出来ることはなかった。

「ま、仕方ねえ。付き合うとするか。夜になるまで、ここでやり過ごすつもりなんだろう? カナタ」

だが、直ぐさまビクトールは、雰囲気を変え。

頭を掻きながら、気楽な語調でカナタを見た。

「ああ。そうするつもり。セツナにはね、これ以上無理させたくないし。陽さえ落ち切ってしまえば、何とかなるだろうしね。……だから悪いけど。折角だから付き合ってよ、二人共」

ビクトールが、声の調子を変えたのを受け。

カナタも又、軽い感じで言った。

「当たり前だ、そんなこと」

すれば、何を今更、とフリックが呆れたように呟いて、彼は、纏っていた青のマントを肩より外し、セツナに掛けた。

「付き合いいいよね、二人共」

目配せのみで、フリックの気遣いに礼を告げ、茶化すようにカナタは腐れ縁で結ばれた傭兵を見比べる。

「誰かさん達のお陰で、そりゃーまー逞しくなってなー。これくらいのこと、屁とも思わなくなったよ、俺は」

「ああ、本当に、誰かさん達のお陰で」

「へえ。それは良かったね。何処の誰に逞しくされたのか、僕は知らないけど」

と、傭兵達は、小さく笑いながら口々に言い出し。

カナタも笑いながら、それに応え。

もう少しだからね、と、彼は、眠り続けるセツナを、深く抱き直した。

それより、又、暫しの時が流れて。

秋の陽が暮れる、つるべ落とし、がもう間もなく始まる頃合い。

「……マクドール、さん…………」

少しばかり、頬に赤味を戻しつつ目覚めたセツナが、カナタの名を呼びながら、縮めていた両手を伸ばした。

「起きた? セツナ。どう? 気分。少しは良くなった?」

未だ力ない腕が求めた先は己が首で、縋り付いて来た腕と体を支えながら、カナタはセツナの顔を覗き込んだ。

「さっきよりは……。さっき程、痛くない……です…………。 だから……僕もう、大丈夫で──

──大丈夫、じゃないだろう? 判ってる? ビクトールとフリックがいること」

平気です、と口では言いながらも、深く縋り付いて来ることを止めないセツナに、カナタは小声で囁く。

今ここにいるのが、自分達二人だけではないと、気付けていないセツナに、『他者』の存在を示すべく。

「え……? …………あ……。ビクトールさん……に、フリック、さ……──

なので漸く、セツナはゆるゆる首を巡らせて、傭兵二人をその瞳で拾い、何処となくバツが悪そうに、薄く笑った。

「……御免、なさい……」

ビクトールとフリックを、カナタの腕の中より見上げ、先ずセツナが言ったことは、やはり詫びで。

「気にすんな。お前の所為じゃない。お前には、どうしようもないことなんだろう?」

「ああ。謝る必要なんて、ないさ。それよりもセツナ、大丈夫か?」

詫びられた二人は、そんな言葉を口にするなと、彼へ言い聞かせた。

「日が落ち始めた。そろそろ、動くよ。完全に日が落ちるまで出来れば動きたくないけど。今日は、満月じゃない」

カナタだけじゃなくて、俺達も付いてるから、安心しろ……と、二人が代わる代わる、セツナを軽く撫でるのを待って、カナタは立ち上がる。

「そうだな。取り敢えず、馬繋いだ所まで戻るか」

「……だな」

今宵は、天頂に満月の輝く夜ではないから、視界が確保出来る内に、森の中だけでも移動してしまおうと、そうカナタが言うので、傭兵達も頷き。

彼等はソロソロと、移動を始めた。

だが、もう間もなく、覆い繁る枝々に潜ませるように繋いだ馬の元へ辿り着く、という段になって。

「…………ビクトール。一寸、セツナ抱いてて」

ピタリと足を止め、後ろを守っていた彼の名を呼び。

「あん?」

戸惑いながらも手を差し出したビクトールに、セツナを預けるとカナタは。

「フリック。これ持って」

「は?」

棍も、傭兵コンビの片割れへ預けて、大抵懐に忍ばせてある、武術扇を取り出し広げ。

「うるさいのがいる。潰して来るから。先行って」

簡潔に告げると、彼等を押し潰すように林立する木々の、左手奥へと消えた。