夕暮れ時の始まり、辺りの視界は悪く。

梢に消えてしまったカナタを目で追うことも叶わず、気配も探せず。

潰してくるったって……と。

複雑な表情を拵えながらも傭兵達は、セツナを連れ、一足先に馬を繋いだ木へ辿り着いた。

何時でもそこを離れられるよう、支度を整えつつ耳を澄ませば、少しばかり離れた場所から、パキリと枝を折るような……踏みしだくような、そんな乾いた音が聞こえ。

微かに、キン……と、金属同士が触れ合うような音も響き。

「お待たせ」

やり合ってるな、と、二人がそう感じて程なく、左手の茂みに消えた筈のカナタが、右手の茂みより、ひょいっと姿現した。

「流石に、『どうぞ、お帰りを』と言ってくれる程、優しい相手じゃなかったね。……囲まれてる。──じゃ、少し早いけど、始めようか」

──どうして、思い掛けぬ方向から帰って来るんだ、お前は、と、嫌そうな目で、傭兵二人組はカナタを見たが、そのような視線は気にも止めず、カナタは辺りの『有り様』を告げ。

ビクトールから、一旦セツナを受け取ると。

「…………ラダトでね」

「……マクドールさん……?」

「大丈夫、心配しなくても」

小さな子供に言い聞かせるように語って、不安げな色を瞳に乗せた彼を、僅か、強く抱き締めて。

「ビクトールとフリックと……だったら、聞くまでもなく、フリックの方が太ってないよね」

チロっと、傭兵二人の体型を一瞥したカナタは、遠慮のない一言で事実を確かめると、セツナを、太っていない方の彼へ預けた。

「カナタ?」

「平気、平気。途中で追い付くから。僕が連中引き付けてる間に、二人はセツナ連れて、ラダトへ行くこと」

「……駄目です……」

自分のことは気にせずに、セツナを連れて少しでも早く水門の街に……と告げる彼の上着の袖を、フリックに抱かれたセツナが腕を伸ばして、掴む。

「直ぐに追い付くよ。──僕の心配なんてしないで、自分の心配しなさい」

だが、カナタは、己が衣装の袖を引いた指先を、やわりと取り上げ引き離し、軽く笑むと。

「お先に」

もう、誰のことも振り返らず、黒毛の背に股がって、森を出た。

「マクドールさ……──

──行くぞ、セツナ。あいつのことなら、きっと平気だ。アップル達だって、手を打ってるだろうし」

小さくなって行く、カナタの後ろ姿を見詰め、支えられている腕の中から逃れ、その後を追いた気に、セツナは足掻いたけれど。

傭兵二人はそれを遮って、栗毛に乗り、カナタが消えて行く方角とは真反対の、ラダト方面目指して馬を駆けさせ始めた。

「だって、ヤだ…………っ」

それでも、セツナは。

幼子が駄々を捏ねるように小さく暴れ、小さく言って、乗せられた馬の背より、草原の直中で道行きを止めたらしいカナタの姿を、遠く見遣った。

……栗毛の脚が、止まらぬ所為で。

見る間に霞んで行く『あの人』の姿は、夕映えに滲んでいた。

何モノも、寄せ付けぬような様で。

唯一人で戦うのだと、そう言わんばかりに。

逢魔ヶ刻──否、『大禍時』の短い、秋の。

夕映えの草原に、馬に股がり一人佇み。

のんびりとカナタは、対面する平原を見た。

──森影の中から、三頭の馬が走り出したのに、敵方も気付いたらしい。

この時を逃さぬこと叶えば、もしかしたら、と。

そう意気込んでいるのだろうハイランド側の部隊が、幾頭もの馬を駆って、己の背後をひた走って行く二頭の栗毛を追おうとしているのが、彼の瞳に映った。

「千載一遇って奴だものねえ。本気になるのも判るけど」

故に彼は、ゆるゆると、どうでも良いことのように、左手を軽く持ち上げ。

低く、口の中で詠唱を唱えた。

唱えられた、うたのようなそれに応えて、姿を見せた魔法の名は、火炎の矢。

与えられた名の通り、緋色の糸引く如くに伸びて行く幾筋もの炎は、もう間もなく、カナタの佇む場所を飲み込む程の所まで進み来たハイランドの軍勢を襲い、が、それは、『人』目掛けて放たれたのではなく。

青味掛かった武具に身を固めた敵の兵士達が握る、馬を目指した。

草原を、西へと駆ける一団、その先頭の。

同盟軍盟主を逃すまい、と全力で疾走していた馬々を操るそれを、緋色の筋で断たれ、均衡を崩した兵達は、次々、馬上から草原へと転げ落ち、指図する者を失った馬達は統率を無くし、平原の其処彼処へ散り出し。

混乱、が始まった。

「一寸だけ、追いかけっこに付き合って貰うよ」

──草の上に叩き落とされた者、転がる仲間達を蹴り殺しそうになって、慌てて手綱を引き、自らも倒れそうになる者、主を失って、唯駆けるしかない馬、その蹄より逃げ惑う者達。

それらを、軽い眼差しで眺め。

騒ぎの中心へ、大爆発の魔法を送り届けてカナタは、黒毛を南へ走らせた。

……魂喰らいを放ってしまえば、粗方の『事』は片付くのだが。

粗方、では、魂喰らいの遣いが振り上げる大鎌より、運良く溢れる者も現れるかも知れない。

そして、悪運に恵まれたその者は、二頭の栗毛を追うこと、諦めぬだろうから。

少し長めに時間稼ぎをしようと彼は、混乱から抜け出して、自分目掛けてやって来るハイランド兵達を引き連れ、終わり始めた夕映えの中、草原を突っ切った。

数里程、駆けて。

馬嘶かせ、脚を止め。

「本当はこういうの、何れ本意ではなくなるんだけど」

苦笑しながら、敵方を振り返って。

そろそろ、片を付けよう、と。

真実、唱うように、声音を放ち。

些か長めの、その『詩』の後。

彼は、魂喰らいの名を呼んだ。

夕映えに、滲みながら。