その北の街は、デュナンの国の中で最も涼しい地方の一つに位置しているから、避暑を、と洒落込みに来る者は、十一年前に統一戦争が終結してよりこっち、年々増える一方で、数年前からは、その街が、ジョウストン都市同盟の、マチルダ騎士団本拠・ロックアックス、と呼ばれていた時代よりも数多く、夏の観光客を迎え入れるのが、今でも、ロックアックスの呼び名は変わらぬその街の、通例となっていた。
その為、マチルダ騎士団を立て直した功績故、やはり数年前、マチルダ騎士団長の座に推挙され、それを受け入れたマイクロトフは、夏になると、人々の出入りが激しくなる己が故郷の、やれ警備だ治安確保だ、と言ったことに、胃を痛める機会が増えていた。
それでも、生来より誠融通が利かぬ、頑固一徹石頭で、誠実や真面目を絵に描いたような性格をしている彼は、それも又、己が身に与えられた使命であり、その使命への献身の結果であり、そう悪いことでもない、と受け止めていて。
故郷であるグラスランドに戻る筈だったのに、親友マイクロトフの物言いた気な眼差しを退けること出来なくて、故郷への帰還は親友を伴った一時的な里帰りで終わらせ、騎士団長の懐刀としてマチルダに居残ってしまったカミューは、マイクロトフのそんな質を、苦笑しつつも「この男だから」と受け止め、親愛なる騎士団長と、親愛なるマチルダの為に、その身を削っていた。
だから、その年の夏も。
避暑に訪れる数多の観光客の件で二人は頭を痛めていて、なのに、それに追い打ちを掛けるように、デュナンの城より彼等へ宛てて、通達が届いた。
それは先ず、カミューの許へと届けられ、カミューより、マイクロトフへと伝えられ。
「──…………と、いう訳らしいよ」
「……そうか。ハイイーストの話は、聞き及んでいたが。とうとう、始まったのか……」
大統領府よりの通達書を乗せた机を挟んで向き合った二人は、同時に、軽く溜息を零した。
机上の紙面の上には、先日より懸案とされている、ハイイースト県での『例の話』、それが、『暴動以上戦未満』へと発展してしまった旨が記載されており。
統一戦争の終結から、未だ十一年程しか経っていないのに、又、戦か……と。
やり切れなさを感じたが為。
「どうする? マイクロトフ……いや、騎士団長殿?」
「決まっているだろう? そんなこと。俺達は、この国を支える騎士団の人間だ。この国の為に、それを求められると言うなら、マチルダ騎士団の名に懸けて、剣を振るうだけだ。だから、カミュー、支度──」
「──団員達を率いて、デュナンの城へと向かう為の準備なら、もう整っているよ。ハイイーストに不穏な動きが、との話を我々が聞かされてから、何日経っていると思っているんだい?」
だが、戦いは、戦いであるが故に。
起こってしまったそれを、何もせずに諌めることも収めることも、出来はしないと二人は知り過ぎているから、デュナン湖畔のあの城へと赴くべく、マイクロトフは、騎士団長の椅子より腰を浮かせ掛け。
立ち上がりながら彼が言い掛けたことへ、カミューは、笑みと共に答えた。
「……言われてみれば、そうだ。お前が、手抜かりなどしてみせる筈もなかった。……俺には過ぎた参謀殿で、有り難い」
「そうかい? 手放しでそう言われるのは、嬉しいことだけれど。私は、お前が団長でなければ働こうとは思わない、怠惰な参謀だよ」
そして二人はそのまま、連れ立つように。
団長室を、後にした。
十一年という月日があれば、如何な当てのない旅に己が身を委ねようと、まあ、それなりにはね、と言える程度は、世界を彷徨うことは出来る。
だから、何だ彼んだと、ドタバタ賑やかに、男二人の気軽な旅を続けている内に、気が付いたら、互いの故郷のある大陸へ、戻って来ちまったな、と。
その年の夏も、相変わらず、腰の落ち着かない旅を続けながら、近付きつつあるデュナンやトランに、想いと苦笑を送りつつ、ビクトールとフリックの二人は過ごしていた。
緑深いその山を越えて、街道を東へと辿り、辺境を越えれば、そこはもう、デュナン。
十一年前、後にしたきりの国。
なので、折角ここまで来ちまったんだ、久し振りに懐かしい顔の一つ二つ拝んでも、罰は当たらない、と彼等は、足先を懐かしい地へと向け。
その途中、何時も何時も、彼等二人を襲う運命に倣って、『厄介事』に首を突っ込んだ。
二人が率先して巻き込まれたその出来事は、どうやら彼等とは、切っても切れない縁らしい、『吸血鬼』騒ぎで。
自分達が辿っている街道の途中にある村の一つに、吸血鬼が出没したらしいとの噂を聞いた彼等は、吸血鬼、との単語に、何処か『懐かしく』感じながら、その村へと乗り込んだ。
ビクトールは相変わらず、真なる夜の紋章の化身である、星辰剣を腰にぶら下げており、これがあれば、吸血鬼騒ぎなんざ片付いたも同然、と、勇んで二人は件の村へと急いだのだが、彼等が駆け付けた時にはもう、村は襲われてしまった後で、その村の住人の一人の、エッジなる少年の姉は、人の生き血を啜る鬼に、浚われてしまっていた。
故に二人は、せめて、と、エッジの姉を救い出す為、自分も一緒に連れて行って欲しいと懇願して来たエッジを伴って、吸血鬼の後を追い、見事、それを達成してみせて。
その日、午後早く。
滅ぼされてしまった、エッジとエッジの姉の村へと、戻って来た処だった。
「助けて下さって、有り難うございました」
見る影も無くなってしまった、己が故郷を見回し、重苦しい息を零しながらも。
やれやれと、村の入口であることを示す石柱に凭れつつ座り込んだビクトールとフリックへ、エッジの姉は、頭を下げた。
「そう改まらなくてもいいって。好きで首突っ込んだことだしな。礼なら、自分の弟に言ってやんな」
「……だな。一人前の戦士になりたい、そう言って、こいつから星辰剣借りて、あの吸血鬼にトドメを刺したのは、エッジなんだし」
────あれから、十一年と少し。
ビクトールは四十の関を越えたし、フリックはもう間もなく、三十の坂を下り切る。
だから、お互いそろそろ歳かねえ、もーちっと、鍛え直すか? と、合わせた目と目のみで語りながら、深々頭を下げた彼女へ、あっけらかんと二人は言った。
「でも……それでは私達の気が済みませんし。……村はこんなことになってしまいましたけれど、宜しかったら暫くの間、恩返しの真似事でもさせて頂けませんか。お二人が上っていらっしゃった街道の先のデュナンでは、最近、余りいい噂がないと聞きましたから、先を急がれるのも…………」
この程度の人助けなど、自分達にとっては飯を喰らうそれに等しい、と言わんばかりの調子で笑った二人へ、エッジの姉は、縋るような態度を見せた。
「……デュナンの噂? 何か遭ったのか? あの国」
だが、彼女の思いとは裏腹に、デュナン、の名に、ビクトールもフリックも、さっと顔色を変え。
「え? ……ええ。こんな小さな村に伝わって来る噂ですから、何処まで本当のことか判りませんけど。何でも、昔ハイランド皇国だった地方で、皇国復興を目指す、動乱が起こったとか何とか、聞きましたよ?」
明らかに顔付きを変えた二人に戸惑いながらも彼女は、先日、村を通り過ぎて行った旅人より聞き及んだ噂を、二人へと教えた。
「動乱? 戦か?」
「はい、多分。……嫌な話ですよね。デュナンの統一戦争が終わって、未だ十年一寸くらいしか、経っていないのに」
「…………ビクトール」
「ああ、判ってる」
何処か怠惰に、石柱に背を預けていたその身をもピシリと起こして、乗り出して来た二人へ彼女が噂の続きを語れば、急に彼等は、全身に何かを漲らせたようになって、立ち上がり、服の埃を払い、疲れなど、自分達の体の何処にもありはしない様を見せ。
「急ぐぞ。ここからあの城まで急ぐとなると、ちいっときつい旅になるがな」
「ここの処鈍りがちだった体を鍛え直すには、それくらいで丁度良いさ」
向き合い、頷き合い、彼等はエッジの姉と、姉の傍らに立っていたエッジへ、背を向けた。
「……あの?」
「…………二人共、行く、と……?」
「おっと。……悪い、悪い。一寸な、先を急ぐ用事が出来た。大変だとは思うが、頑張りな。姉弟二人で力合わせりゃ、大抵のことは何とかなる。…………ああ、そうだ、エッジ」
どうして急に、二人がそんな風になったのか、姉にもエッジにも、良く理解は出来なかったけれど、出来れば引き止めたい、との願いを、姉弟はその声音に滲ませ。
けれどビクトールは、只、笑って。
そして、そうだ、と思い立ったようにエッジを呼び。
「何? ビクトールさん」
「もしかしたら未だ、『連中』の仲間が生き残ってるかも知れないから。本当なら少しの間、ここに留まっててやった方がいいんだろうとは思うが。そういう訳にも行かなくなっちまったからな。星辰剣、お前に預けてく。こいつをぶん回しゃ、『連中』なんざイチコロだから。……お前が姉さん守れよ? じゃあな」
ぽいっと彼は、棒切れか何かを渡すように、腰に下げていた星辰剣をエッジに手渡した。
「え、でもこれ、大切な剣なんじゃ…………?」
投げるように渡された星辰剣を、勢い受け取って、エッジは困惑した顔を作る。
「まあ、大切っちゃあ大切だ。だが、俺にとって、って訳じゃない。俺やフリックの弟分みたいだった奴等にとって、大切になる『かも』知れない代物だから。……そうだな。うん。──だから、エッジ。お前それを、預かっててくれ。何時の日か、俺か、すっげえ不健康な顔色した、銀髪で赤い目の『少女』のどっちかが、それを受け取りに来るまで。そしてもしも、お前が死ぬまでその剣を、俺や『少女』が受け取りに来ることはなくて、お前以外の誰かに、星辰剣が受け継がれるとしても。何時の日か、やたらと顔色の悪い『少女』──シエラって名前なんだが、そのシエラがそれを貰い受けに来る、それだけは忘れずに、言い伝えてくれな」
しかしビクトールは、街道の先、デュナンの方角へと向けた片目を、エッジへ戻そうともせず。
「…………解った。シエラ、だね」
エッジは、瞳に強い力を込めて、星辰剣を握り締め、歩き始めたビクトールとフリックを見送った。