踏み入ったその部屋に漂っていた、如何とも例え難い雰囲気を察して。

「……どうかしましたか?」

テレーズは、きょとん、と言った風に首を傾げた。

「いや、大したことじゃ。……ほれ、面子が面子だろう? ……だから、さ。昔話してたら、しんみりしちまって」

一体何が、と、問いた気にした彼女へ、ビクトールはそんな誤摩化しを告げた。

「ああ、そうですか……。ええ、私達がこうしているのは、本当に久し振りですしね」

傭兵のそんな言い訳は、全てが全て嘘ではない、とても良く出来た嘘だったから、直ぐにテレーズは納得して、上座の席に着く。

「先ず、お礼を言わせて下さい。皆さん、有り難うございます。此度の動乱を押さえる為に、駆け付けて下さったのでしょう? …………こんなこと、私の口から言ってはいけないのだとは思いますが。正直、助かります……」

そうして彼女は、話の口火を切った。

「そうするのが責務である者も、そうでない者も。集って下さって、有り難う。──今の皆さんには、今の皆さんの立場があるかとは思います。……もしかしたら、皆さんの今の立場へ、この城の中にすら、口差がないことを言う者も、いるかも知れませんし。一人立ちした国として……、と、そう思う者も、いるかも知れませんが。この国は、あの頃、セツナ様と共に、私達が勝ち取った国です。セツナ様と私達全てが戦って、造った国です。誰にも、文句など言わせません。……だから、皆さん。もう一度だけ、宜しくお願い致しますね」

「…………なーにを、水臭いこと言ってんだかな、この姉さんはよ」

そんな風に語った彼女が、仲間達へ向けて頭を垂れたから。

呆れたように、タイ・ホーが肩を竦めた。

「最初からその気がなければ、ここにはいないよ」

彼に倣った訳ではないが、やはり、呆れ顔になったアニタは、頬杖付きながら、有らぬ方を向いた。

「他の連中だって、そうだろう?」

「……そうですね。あれからずっと、ここにいてくれる者達は固より、この部屋の皆さん達以外にも、沢山。──…一階にいる皆には、もうお会いになりました? 上では、フィッチャーと一緒にジェスさんとフリードさんが、報告書と格闘してますよ。マルロも来てくれて、書類仕事なら出来るからと、手伝いをしてくれていますし。ヨシノさんはもう、天幕のお洗濯、始められたそうですし。リッチモンドさんは先日、一寸ハイイーストに行って来るから、ってわざわざ言い置きに来て。……ああ、そうそう。ハイ・ヨーさんまで。精の付く食事を自分が作る、って」

タイ・ホーや、アニタが言わんとしたように。

今更、それは言いっこなしと、シーナがテレーズを見て。

見詰められたテレーズは、一転、コロコロと笑い出し。

「…………さあ、始めましょうか。この戦いも、負ける訳には参りません」

彼女は真っ直ぐ、顔を上げた。

その後。

テレーズの合図を受けて、立ち上がったクラウスが、戦況を語り出した。

──此度の動乱を、表向き指揮しているのは元・ハイランド皇国貴族達で、が、誰の目にも明らかなように、その背後には、ハルモニア辺境軍の存在がある。

暴動勃発時、体面を気にしてか、表立った行動は示さなかった辺境軍は、元ハイランド貴族達からなる組織だけに、デュナン国軍の相手をさせるのは無理があると踏んだのか、動乱が始まって二週間程が過ぎた頃、ハルモニア神聖国の旗印を堂々と掲げて、国境線を破った。

……ハルモニアは、様々な意味で大国だ。

歴史も長い。国力も強い。

近年、生存が疑わしいと噂されてはいるものの、神官長ヒクサク──即ち、二十七の真の紋章の一つ、円の紋章を宿す『強き』者を、国主としてもいる。

この国に侵略され、滅ぼされた国や地域は、枚挙に暇がない。

────この動乱をハルモニアが仕掛けようと考えたその発端は、自分達の完全な支配下にあったと言っても過言ではなかった、ハイランド皇国領土への復権、それだけだったかも知れない。

……いや、確かに始まりは、そうだった筈だ。

向こうは数百年の歴史を誇る大国、こちらは十数年前に出来たばかりの新国、只の力比べをすれば、勝負の行方は誰の目にも明らかだが、それでも、若く元気な一国全てを相手にするのは、それなりに、危険を伴う行為だ。

況してやデュナンの国は、ほんの一昔前に、狂皇子との悪名高かったルカ・ブライト率いるハイランド軍を打ち破り、その後の戦いも制し、統一を果たしたことを、鮮明に『憶えている』。

大軍を前にしても、怯まずに戦う方法を、国として、知っている。

更に言うなら、デュナンが建国された同時期、共和国となったティントと同盟関係にあり、トラン共和国とも、同盟国として、友好な関係を築いたままあり、デュナン初代大統領に就任するまで、グリンヒル市長だったテレーズは、市長時代、グラスランドのシックスクランの一つ、カラヤとの和解を果たしているから。

国の御旗を掲げてデュナンに侵攻したら、最悪の場合ハルモニアは、周辺諸国までをも相手にしなくてはならなくなる。

それ故。

ハルモニアの目的は当初、己達が表立たない形で行う、ハイイースト地方への復権、それのみだった筈で、それを証明するように、始まりの頃は未だ、戦いは今より『穏やか』で、小さくて、動乱を沈静化させるのはそれ程難しいことではなく、時間も掛からないと、デュナンの者は皆、そう捕らえていた。

だが、その予測を裏切るように、本気で、腰を据えて、デュナンへの侵略戦争を始める腹を括ったらしいハルモニアは、辺境軍に、国境を越えさせ。

戦況は、一変した。

ハイランド皇国時代、ハイイースト地方に築かれた国境の関所を破ったハルモニア辺境軍は、街道沿いに一路南下し、マチルダ地方との境に程近い、サジャの村周辺を押さえ、その後ルルノイエへ入り、侵攻の第一拠点をかつての皇都と定めた。

敵辺境軍が国境を越えた頃、ハイイーストにいたのは、ハルモニアが背後に潜んでいるらしいから、可能な限りの兵力を注いだ方がいい、とのクラウスの意見に従い出兵した、ハウザー将軍率いる国軍の一部だった。

元ハイランド貴族達による反乱を鎮めるには充分過ぎると思えた、三万の軍勢をハウザーは率いていたが。

乗り込んで来た辺境軍総数、五万の敵軍勢と、真っ向かやらやり合うには数が足りず。

デュナン軍は数日前、ミューズ地方とハイイースト地方を分ける関所付近と、天山の峠を越えたキャロの街付近への撤退を余儀なくされた。

「…………で? 今は?」

────立ち続けたまま、クラウスがそこまでを皆に知らせた後。

仲間達は異口同音に、そのような問いを投げた。

ならば、今は? と。

「……この城や、各市町の守備隊と言った、最低限残さなくてはならない部隊のみを勘定から除いた、国軍の総兵力は、現状、約五万です。一方、ハルモニア辺境軍は、侵攻開始当初の総数、約五万程度でしたが。又、増兵された模様で。おおよそ三万前後の部隊が、新たに国境を越えたようです。──つまり。我が軍の総数五万に対し、敵軍総数は、八万。……この国に対して向こうが本気を出しているなら、それ以上に増えてもおかしくはありませんね」

「………………ゆとりのある八万対ギリギリの五万、か」

「これでも、十一年前の倍以上になったんですけどね、兵士の数は」

方々からぶつけられた問いに、表情一つ変えずに答えたクラウスは、厳しい現実を呟いた者達へ、吐息と共にそう言って。

現実を受け止めた人々は、誰も、押し黙ったまま。

己が成すべきことを成す為の手始めとして、城内に散った。