ビクトールとフリックが、しみじみと、レオナの酒場で酒精酌み交わした翌日。

デュナン国軍の、ハイイーストへ向けての行軍は開始された。

七日前後で組まれたその行程は、予定通りこなされ、国軍の一部はキャロ方面へと向い、その地方の前線の部隊と合流し、一部は、ミューズの関所にて、キャロ方面の前線部隊同様、ハルモニアの侵攻を食い止めていた部隊と落ち合い、残りは、ミューズの関所から西へと向い、マチルダ地方とハイイースト地方の境と、ハルモニアとデュナンの境の双方を請負っている、深い深い森の中へ消えた。

そう、サジャの村やルルノイエ一帯を押さえた、約八万のハルモニア軍に『お引き取り』願う為に、テレーズやクラウス達は、軍を三つに分けた。

……否、正確には、分けざるを得なかった。

──辺境軍は、その大多数がルルノイエ方面に、一部がサジャ方面に配置されている。

サジャの辺境軍は、数にして一万と少しだが、いないものとして考える訳にはいかないし、本隊のみにかまけて、どうぞ背後を、とやる訳にもいかない。

なので、部隊を三手に分けて、その後…………と。

それが、デュナン軍の選択した策だった。

場渡り的な話ではあるが、侵略を仕掛けて来た側の八万と、侵略を退ける側の五万、この差は決して、絶望的な数ではない。

地の利も、補給も、自国で戦う側に有利に働くし、大軍は、大軍であればある程、それを維持・統率するのが困難になるし、侵略戦争ともなれば、補給の問題も出て来るから。

打つ手は、それなりには生まれる。

…………但。

太陽暦四七二年、夏の真っ盛り。

ルルノイエの東南に広がる平原で、ハルモニア神聖国辺境軍と、デュナン国軍による、戦が始まった。

ハルモニアの辺境軍の何処も、数多く抱えている傭兵部隊を先頭に、両翼に騎馬兵団、後方に魔法兵団を配置し、彼の国から見れば、蛮族の国でしかないのだろうデュナンの軍を蹴散らすかのように、辺境軍は、南下して来た。

一方、迎え撃つ側のデュナンは、辺境軍が目指す先に、さも、ここが終点と言わんばかりに、本陣を示す御旗を翻させ、その両側に騎馬兵団を据えて、敵の襲来を待ち構えるような様子を見せた。

それ故。

デュナンの本陣と、それを守るようにしている両翼の騎馬兵団、そして前面に配置された歩兵隊の数を、精々、二、三万程と踏んだ辺境軍は、勝利を収めたも同然の勢いとなった。

幾ら何でも、敵軍の数が少ないのではないか、ということと、どういう訳か、デュナン側の右翼──客観的に判り易く言うなら、キャロへと続く、天山の峠方面に近い側──に比べ、左翼──マチルダ地方に接している森に近い側──の方の騎馬隊の数が、異様に多く思えること、それに、弓矢兵団の数の少なさが気になったが、サジャ村の方面に控えている、一万強の部隊を差し引いても、七万弱の数を誇る自軍と、三万前後としか思えぬデュナン軍とでは、そこに、倍以上の差が生まれているから、敵が、何らかの小細工をと、そう思っているとしても、取るに足らぬと、辺境軍は、進む足を止めなかった。

──あちこちで小競り合いが始まり、もう間もなく、両軍が本格的に激突するだろうと相成った頃、真っ向勝負を嫌うように、デュナン軍は、右翼側へと流れ始めた。

なので、どう転んでも勝てる戦だと踏んだ辺境軍は、その後を追った。

……だが。

行軍や進軍というものはどうしても、最も足の遅い部隊に、進む速度を合わせなくてはならない格好になるから、デュナン軍よりも多く、機動力の低い魔法兵団を抱えているハルモニア側は、素早く散って行く敵軍を中々飲み込むことが出来ず、デュナンは、ハルモニアと付かず離れずの距離を保ちつつ、徐々に、天山峠のある山を背に追う形で、改めて部隊を展開させた。

その事実よりハルモニアは、背水の陣に近い策を敵が取ったと断じ、サジャ方面の後方部隊に伝令を飛ばし、本隊との合流を命じた。

『策』には『数』で、と、辺境軍司令部が考えたのと、後方に潜んでいるかも知れない伏兵の存在を恐れたのが、その伝令が出された理由で、ナセル鳥を使って後方部隊へと飛ばされた命令は、直ちに実行され、サジャとルルノイエを結ぶ街道の、中間辺りに陣を張っていた一万強の部隊は、辰の方角目指し、進軍を始めた。

けれど、辺境軍後方部隊が進軍を開始して間もなく、国境線の代わりすら担える、深い深いマチルダの森の中から、そんな深い森の中に、伏兵なぞ、と高を括っていたハルモニア側の鼻をあかすように、気配を殺し潜んでいたデュナンの部隊が、突撃を開始し。

攻め立てられた後方部隊は、隊列を崩しつつ、本隊と合流することのみを念頭に置き、ひたすら、南東へ進んだ。

そして、合流を命じた後方部隊が、敵と遭遇したとの知らせを受けた辺境軍本隊は、己達の背後に火が点く前にと、相変わらず、目印か何かの如く御旗が掲げられた、デュナン本陣への攻撃を開始したが、辺境軍司令部が、もしや、と考えたその想像通り、御旗翻る敵本陣は、本陣に見せ掛けただけの囮で、背後の山へ紛れ込むように、山肌に沿う峠道を上った『御旗』を追おうとして漸く、その事実に辺境軍傭兵部隊が気付いた時には、既に天山の山は彼等の目前にあって、マチルダの深い森の中に潜んでいた仲間達と同じく、山中に潜んでいた弓矢兵団の者達が、ここぞとばかりに、矢の雨を降らせた。

山裾をなぞるように身を低くし、息詰めていた歩兵隊は、広く展開し、偽りのデュナン本陣に誘われ、隊列を長くし過ぎたまま深追いして来た辺境軍を、両脇から挟むように突っ込み、左翼に多く布かれていた騎馬兵団は、退路を断ち、且つ天山方面に追い込むように、ハルモニア側を追い立て。

────夏の真っ盛りだった日、鬨の声が上がり、両国が激突してから四日後。

戦況はそのようになり、戦いは、デュナン軍の勝利で終わるかに見えた。

……そこまでは。

ハルモニアに祖国や故郷を滅ぼされた者も、その傭兵部隊には多くいる辺境軍よりも、団結の固い、デュナン国軍の方が、確かに優勢だった。