己達の優勢を、確かに感じながらも、いまだ終わりが見えようとしない戦いに、若干の不安と疲れを、デュナンの者達が覚え始めた頃。

会戦開始から、五日目の早朝。

恐れていた通り、戦況は動いた。

それまでは、デュナンの弓矢隊が押さえ込むこと成功していた辺境軍の魔法兵団が、一斉に、反撃を開始した為に。

……今日も晴れる、と、人々にそう思わせる夏の朝の空に、高く太い火柱は上がって、雲一つないそこに、雷鳴は轟いて、人を裂く強い風が吹き、夏の盛りに氷柱は現れ、大地は音を立てて蠢き。

五日目を乗り切る為に、人々が働き始めた戦場のあちらこちらに、地獄絵図が描かれた。

ミューズの関所より、そう離れてはいない場所に据えられた、デュナンの本当の本陣には、あちらこちらから報告が届き、クラウスを筆頭とする軍師達は、その対応に追われ。

そこへ、更なる追い打ちを掛けるように、サスケ達忍びの者より、知らせが届いた。

ハルモニア本国が増兵を決め、新たな部隊に、国境線を越えさせた、と。

そしてその数は、四万、と。

「…………四万……」

──本陣の天幕の中で、その報告を受けて。

軍師達は、クラウスさえもが、溜息を吐くように、その数を呟いた。

立てた策通り、敵軍を追い詰めることは叶えたけれど、四晩が過ぎても戦いは終わらず、誰もが皆、敵の攻撃を警戒する為の緊張状態を続けつつ、交替で、僅かな休息を取るだけしか出来ていないと言うのに、この上、傷一つ負っていない、新たな四万もの部隊を投入されたら、踏み止まれるとは思えなかった。

只でさえ敵よりも少ない数の軍を三手に分けて、短期決戦型の策に討って出たは良いが。

但……、と懸念していた通り、その気になれば、未だ未だ兵力を注ぎ込む余裕のある大国に、それを実践され、長期戦覚悟の構えを取られたら、打てる策の数など、高が知れる。

「……出来る内に、出来ることをしましょう」

しかし、それが現実であるとしても、ここで立ち止まることなど出来ないから。

地図を見遣る為、下ろしていた視線を持ち上げ、クラウスは周囲を見回した。

「何か、策がありますか」

天幕の中を巡り見た最後、己を見詰めた彼へ、テレーズは言う。

「……多くはありません。四日も、戦闘が続いてしまっているような状態ですから、弓矢隊を主軸に敵の魔法兵団を抑えるのは、もう不可能です。……何れにしろ、こちらは一度、引くのが最上かと思います。ですが、天山山中の弓矢隊を撤退させると東の布陣が薄くなりますから、歩兵隊と騎馬隊の退路を確保する為にも、援護は必要かと……」

「援護、ですか」

「ええ。……何処からどの部隊を引っ張って来て、それに当てるか、が問題ですが」

「…………そうですか。そういうことでしたら、この本陣を守っている部隊を向わせるのが、一番だと私は思いますが。どうですか、クラウス? ここは未だ、無傷です」

「……ですが……」

大統領然とした、強い瞳を向けて来た彼女に、手の内の一つをクラウスが告げれば、テレーズは、躊躇うことなく、言い放ったので。

逆に、正軍師であるクラウスが、躊躇を見せた。

「テレーズ様。大統領である貴女を、万が一の事態に晒されるかも知れない状況へ、放り出す訳には参りません」

……テレーズの言いたいことは判る。

判るが……と、クラウスが一瞬、言葉を飲み込んだら、彼女の側近や副軍師達が口々に、異議を唱えた。

「皆の言いたいことは判ります。けれど、私達が戦っている相手は、あのハルモニアです。本陣を手薄にした結果、ここや私に何かが起こったとしても、あの大国を退けることさえ出来れば、後続は生まれます。…………デュナン大統領としての私の代わりは、この世にあるかも知れません。でも、デュナンの代わりになる国など、この世の何処にもありません」

が、彼女は。

幾人もに告げられた異議を、そう言って退け。

「……テレーズ様」

クラウスは、決意を確かめるように、大統領の名を呼び。

「構いません。私とて、そう簡単には死にません。死ぬつもりもありません。死の持つ本当の顔を、私はあの戦いで知りました。…………あの日。十一年前のあの日、ルルノイエ皇宮を攻める時。あの方は、『幸せになりに行きましょうね』と、そう言いました。……私達は、幸せになる為に、こうして戦っているんです。その為に、手段は選びませんが、もう、死を手段にはしません」

「…………。では、テレーズさ──

──クラウス殿。お嬢様のことなら、私が、この命に代えてもお守りする」

────毅然と語った彼女に、正軍師が、何かを言い掛けた時。

すっと、彼等の背後で気配が湧いて、その気配の主は、クラウスに、それを約束した。

「………………シン……?」

だから。

突然やって来た気配の主が誰なのかを認めて、テレーズは、呆然とその者を見詰めたが。

「お嬢様。遅くなって、申し訳ございませんでした」

その者──統一戦争が終わって程なく、訳も語らずテレーズの許より旅立ってしまった、彼女の元従者、シンは、唯それのみをテレーズへと告げて、姿見せても尚、実体のない影のように、テレーズの背後に付き従った。

激戦地と化しているその平原へ向けて。

ミューズの関所寄りの場所に置かれたデュナン国軍本陣より、そこを守備していた騎馬兵団が、軍馬の蹄に土煙立たせつつ出立して行ったのは、その日の午前も、未だ浅い頃だった。

鳥を使っての伝令は、デュナンでも行われていることだから、一時撤退すると決めたクラウスの指令は、平原へと向った援軍が到着するよりも早く、各部隊へと伝えられて、その知らせに従い、部隊の指揮者達も、兵士達も、退く為の支度を始めた。

何処をどう絞った処で、自軍内には、本当の意味での支援部隊など出せる余裕などないのは周知で、援軍が何処からやって来るのかは、新兵にも容易に推測出来、が、各部隊の士気は余り落ちることなく、じりじりと、もどかしい後退は開始されて行く。

本来なら本陣を守る役目の騎馬隊は、『援軍』と言うには微々たる数で、それでも、テレーズ達がそれを割いたことが、士気の低下を防いだとも言えた。

…………けれど。

盤上で描く模擬のように、現実の戦での事は運ばないのが、この世の定石の一つで、辺境軍の動きを探っていた間者達から、増兵の知らせを受けた直後、デュナン軍は手を打ったにも拘らず、どういう手段を用いたのかは謎のまま、ハルモニアの援軍は既に、間近に迫っていた。

それ故、集結しつつある辺境軍の北側に展開していた歩兵部隊は、敵本隊と応援部隊に、挟み撃ちにされる格好となり、結果。

歩兵隊だけでなく、騎馬隊も、弓矢隊も、魔法兵も、全て。

デュナン軍の、全て。

戦場より、動けなくなった。