断腸、などという言葉では言い尽くせない想いに責められても、国の為、軍の為、敵軍に挟まれようとしている歩兵隊を見殺しにするのが、戦争に勝利を収めんとする者の、正しい道なのだろうと、誰もに、理解は出来た。

歩兵隊の者達も、己達のみの犠牲で済むならと、そう覚悟を決めていた。

けれど、デュナンの者達が、それを成せなかった理由の一つは、仲間への想いと情で。

そしてもう一つは、『現状』、だった。

高台から平原を見下ろしていた、弓矢隊の者達の目にだけ、はっきりと映ったことだが、人の波で、ハルモニアが、デュナンの歩兵隊を飲もうとしていた時、ルルノイエの方角から近付いて来ていた波が、蜘蛛の子を散らしたように飛び散って、空に舞い。

ミューズ方面に退き始めていたデュナン軍の、退路を断ち始めた。

「…………あれは、何……?」

普通にしていても体が傾ぐ程の傾斜の付いた、天山の山肌に立って、それを目撃したキニスンが、え? ……と、目を凝らした。

「……………知っている。深き森に来る鳥に、教えて貰ったことがある。……あれは、ルビークの『蟲』だ……」

未だかつて、見たことのないモノがそこにいる、そう呟いたキニスンに、厳しい顔付きになったエイダは、ぎゅっと弓を握り締めた。

「蟲? ルビークって?」

「詳しいことは、私も知らない。あの蟲が、主の命に従って戦う蟲だということと、ルビークという村が、ハルモニア人達のものだ、ということしか。……でも、問題なのは、あの蟲が戦えて、火を吐ける、それだけだ」

「……そうだね。……蟲、か。空を飛ぶんだよね?」

「ああ。だから、こんなに早く、ハルモニアの援軍は、ここにやって来たんだと思う」

「じゃあ、行かないと」

「…………そうだな」

飛び続ける、巨大と思しき蟲を見詰めて、二人はそう言い合い。

「シロ!」

キニスンは、友である狼犬の名を呼び。

「キニスンさん? エイダさん?」

「先に退却して下さい。僕達は、後から行きます。………大丈夫、一寸行って来るだけです。下の人達は、何が起きているのか、判らなかったかも知れないから、それを伝えて来るだけ」

隊の仲間達から呼び止められても、身を潜めていた場所より動き出した二人は止まらず、肩越しに、仲間達を振り返って。

斜面を、駆け下りて行った。

「団長! 後方に、ルビークの部隊と思われる一団が! このままでは、退路が失われてしまいます!」

「判っている! あの蟲なら俺にも見えた! ──お前達っ。どのように撤退しても構わんっっ。成せるなら本陣へ、成せぬ者はマチルダの森へ! 森に紛れ、ミューズ県境の壁を伝って、関所へ向え! 良いか、決して死ぬなよ!」

宙より伝わって来た、聞き慣れぬ羽音へ眉間に皺を寄せながら、騎士団の者達へ、マイクロトフは団長として、そう叫んだ。

馬上の彼が、声を涸らしながら辺りにそれを伝えれば、騎士達は、やはり馬上より、剣を、声を上げて応え、団長命令に従い、散って行く。

「で? お前は最後までここで踏み止まると。……騎士団長が何時までも前線に残っていたら、皆が退却し辛いのに」

部下達へ飛ばした命とは裏腹に、叫んだその場に留まり、周囲の者達が逃げて行くのを確認している風情にマイクロトフはなって、そんな彼の脇へ近付いた栗毛の馬の背から、呆れたような、カミューの声がした。

「あいつらの命を預かっているのは俺だ。だから俺には、義務がある」

親友と馬の鼻先を並べ、何でもないことのように、白絹の手袋に覆われた右手を掲げながら、烈火の紋章を煌めかせて、ルビークの蟲が吐いて来た火の玉を、生み出した炎で打ち消しながら不満げに言ったカミューへ、マイクロトフは真面目腐った表情を向けた。

「…………やれやれ。融通の利かない上司を持つと、こんなにも苦労する羽目になるんだね。良い勉強になるよ。私達には、彼等の命に対する義務がある、それに関しては、同感だけど」

「……あのな、カミュー。お前まで、融通の利かない上司に付き合う必要はないと、俺は思う」

「ああ、それは誤解だ、マイクロトフ。言い方が悪かったね。確かに、融通の利かない上司を持つと、苦労するのは本当だけれど。私は別に、苦労ばかりさせられる上司に、付き合っている訳ではなくて、お前に、付き合っているだけだよ」

「カミュー……」

「ハルモニア神聖国領・カレリアと、険しい山一つ隔てただけの場所に、我々のマチルダはあるのだから、お前も知っているだろう? あの蟲の故郷、ルビークの村が、五十年程前に辿った運命。…………マイクロトフ?」

「何だ」

「私が、マチルダに骨を埋めることになるのかは、未だ判らないけれど。お前の故郷であり、私の第二の故郷でもあるロックアックスを、私はもう二度と、失いたくはないよ。テレーズ殿が言っていた通り、あの彼と、我々とで勝ち取り、造り上げたこの国を、手放すつもりも」

「…………カミュー。そんな、悲壮に聞こえることを言うな。俺達には、騎士の誇りも、剣技も、残されている。故郷のことをそんな風に思うのは、死ぬ時で良い。……それは、当分先の話だ」

「……そうだね。────マイクロトフ。私は結局何時も、お前に救われるよ」

息が詰まる程堅苦しくして仕方ない、マイクロトフの顔を覗き込みながら、微笑みつつ語り合っていたら、己が吐いた言葉へ嗜めをくれられ、カミューは僅か目を見開いて、そして、にっこり笑った。

けれど、彼の綺麗な笑みを見ても、騎士団長は、ぴしりと姿勢を正したままで。

「それは、俺の科白だ。──……さあ、カミュー。ダンスニーもユーライアも、未だ、俺とお前の手の中にある。行くぞ。以前、彼が言っていたように。幸せを掴み、幸せを齎す為に。我等が、騎士の誇りに懸けて」

「ああ。幸せに、なる為に」

片や、堅っ苦しい顔付きのまま。

片や、男性には不似合いな、花が零れるような笑みを浮かべたまま。

それぞれ、馬上にて頷き合い、ダンスニーを、ユーライアを、握り直し。

寄り添うように愛馬を並べて、彼等は同時に、鐙を蹴った。