何年着た切り雀なのか、女衆達は想像もしたくないくらい、よれ過ぎたコートのポケットに両手を突っ込んで、唇の端にしけた煙草を銜え、『予言通り』やって来たリッチモンドは、くるり、面々を見渡して苦笑を浮かべると、シュウへと向き直った。

「どうだ?」

「……それを訊くかい? シュウの旦那。俺の信条、知ってると思ったんだがな」

「なら、いい。何も言うことはない。──クラウス」

肩竦めつつ見遣って来た彼へ、シュウが首尾を問うたので、見遣られたリッチモンドは呆れたようになって、交易商は、微塵も表情を窺わせぬまま、かつての弟子を呼んだ。

「はい? シュウ殿?」

「デュナン共和国宰相であり、デュナン国軍正軍師殿。商売の話に、一口乗らないか?」

「…………は? 商売……ですか?」

「ああ。私は今は、昔通り交易商だから。モノの売り買いが仕事でな。だから、噂を買って貰いたい。……悪い品じゃない。私の『腕』は、知っているだろう?」

「……。その、噂とは?」

「それを先に告げたら、商売にはならない」

「では、言い値を先に、お訊きしましょう」

「…………そうだな。馬、二頭。品の価値を考えたら破格だが、それでいい。──ここに来るまでの間に、数頭潰してしまったから」

「判りました。直ぐに用意させます。ですから、取り引きは成立ですね。……それで?」

「ああ。品はきちんと渡そう。──今日から数えて、三日後。ハイイーストとの国境に近いハルモニアの都市で、内乱が起きる。その五日後には、クリスタルバレーでも。だから恐らく。少なくとも、今ハイイーストにいるハルモニア辺境軍の半数は、本国に帰還する」

──呼ばれたかつての弟子と、呼び付けたかつての師は、座りもせずに向き合って、『商売』の話を始め。

商売に一口、と吹っ掛けられた当初、クラウスのみでなく、居合わせた者全てが、は? と、己が耳を疑ってみせても、気にも止めずシュウは、『交渉』を続け。

馬二頭を代金に、今宵、デュナンの為に用意した品を、クラウスに渡した。

「……悪い品では、なかったろう?」

『商品』の中身を、渡してやった途端、呆気に取られたような顔をしていた仲間達が、一様に面差しを塗り替えたのを眺めて、シュウはやっと、薄く笑った。

「…………あんた、昔以上に人が悪くなったんじゃないのか」

そんな彼を横目で軽く、フリックが睨んだが。

「心外だな。私は自分の仕事をしただけだ。そしてこの軍は、一介の交易商から品を買っただけ。ちゃんと、代金を払ってな。……商人と取り引きをして、噂という品を買って、結果、この軍は起ころうとしているハルモニアの内乱を知り、策を立てるのだから。何処からも、文句の言い様はない。言い掛かりの付けようもない。デュナン軍がしたことは、正当な売り買いだ」

涼しい顔をして、商売人は言って退け。

「…………『えげつなさ』に、磨き掛かってないか?」

「年の功だろ、多分」

何を言ってみても、この男からは暖簾に腕押しな態度しか返って来ないんだった、とフリックは、ビクトールと二人、影でコソコソ言い合い始めた。

「これ以上詳しいことは、リッチモンドに訊け。私がクリスタルバレーを出た後の神殿側の動きを、探っておくよう彼に依頼してある。リッチモンドがここにいるということが、確実に内乱が起こる証明のようなものだから、それ以外のことを」

腐れ縁で結ばれた傭兵達の、嫌味混じりの小声が、聞こえているのかいないのか、シュウはもう、二人を完璧に無視して、クラウスやテレーズのみに、伝えるべきことを伝え。

ふっ……と、一瞬のみ、これで肩の荷が下りた、といったような色を、頬に掠めさせた。

だから、あ……、と。

シュウが見せたそんな色を見付けてしまった者達は、この人も、自分達と同じように、十一年を経たんだな、と感慨深気に息を吐き。

「処で。これは一体、何の騒ぎだ?」

やっとシュウは、天幕の真ん中に居座り続けている、フェザーとムクムク達へ意識を向けた。

「……それが。私達も本陣の方にいたので、実際に目撃はしていませんが、他の皆さんが……──

すればテレーズが、昼間、戦場で起こった出来事を、仲間達よりの又聞きではあるが、と彼に教え。

「………………陛──いや、彼等が?」

伝えられたそれに、シュウは、瞳の色を変えた。

ここに姿見せてよりずっと黙りこくっている『護衛』も、リッチモンドも。

「……嘘じゃねえし。幻を見た訳でもねえな。あいつらの姿こそ見ちゃいないが、あれは確かに、ソウルイーターと、始まりの紋章のそれだったぜ」

信じられない、と言った様子になった三名へ、腕を組みながらタイ・ホーは言った。

「ああ。目の前で、ハルモニアの連中は何人も消えて、俺達の怪我も治ってたし」

タイ・ホーのそれを裏付けるように、シーナも勢い込んで。

「だから。彼等の傍へ行っていたとしか思えない、フェザーやムクムク達に、せめて、彼等が元気でいたのか、それくらいは尋ねたい、と」

終いには、リドリーさえもが、そう言い始めた。

「…………成程……」

だからシュウ達三人も、物言いた気に、毛繕いに勤しんだり、眠たそうにしている獣達を見下ろし。

「…………………………」

その発音の仕方も、他の者達には良く理解出来ない、音としか聞こえぬ何かを、バドは、獣達へと放って。

「ムゥゥゥゥゥ!」

「キュイーーーン!」

獣達は一斉に、『喚き』始めた。

「何だ? 何て言ってんだ? 連中」

バタバタ、翼を動かし始めたフェザー、ムウムウ、両手を振り始めたムクムク、それに、青年達は勢い込んで……、が。

「…………それが……」

「それが?」

「会話にならない……」

困惑しきりの様子で、バドは答えた。

「会話にならない?」

「尋ねていることに対する、答えを返してくれない。……昼間、何やら楽しかったらしいのだけは伝わって来るが。勝手に興奮しているようで……」

「ああ、そう…………」

「お前達はいいよなあ。俺達だって、一寸くらいは会いたいよ。友達だしさあ……。マクドールさんだって、懐かしいしさあ……」

「そうだよなあ……。何年も会ってない友達には、会いたいよな……」

返された、期待外れの答えに、フッチも、チャコも、サスケも、残念そうに肩を落として。

「水臭い、と言うか……。ねえ?」

「ええ、そうですよね……。お懐かしいのに……」

後方支援部隊の天幕から駆け付けて来ていたヒルダやヨシノ達も、寂しそうにしてみせた。

けれど、人間の事情など知らぬと、フェザー達はそれはそれは楽しそうに、興奮した様子を見せ付け続けて、恨めしそうに見遣る人間達の輪の中心で、バタバタと暴れ…………急にその騒ぎを収め、徐に。

天幕の直ぐ外、ミューズの県境を象る、高くて厚い壁の座す方へ、上向けた顔を向け。

退け、と言わんばかりに、人の輪を押し退け、外へと飛び出して行った。

「……おい」

「…………ああ」

それを見届け、人間達は。

もしや、と。

今度こそ、その後を追った。