戦いに疲れ果てた兵士達の殆どがもう寝静まり始めている近くを、見張り番の者達が、何事? と得物を構え掛ける程の勢いで、獣達の後を追った、本陣天幕の中にいた彼等は、幾つもの天幕が張られた駐屯地を抜け、人気のない方、ない方へと向って行くフェザーの羽音と、月明かりのみを頼りに、道なき道を構わず進み。

はた、と。

あれから十一年の年月を過ごした、『今』の己を取り戻した一部が、本当にこんな所まで来てしまって良かったのか、と立ち止まった時にはもう既に、彼等は、駐屯地の篝火が木々の合間にチラチラと見え隠れするくらい、ミューズの関所付近に広がる森の中に、入り込んでしまっていた。

「……いい歳をして、何をやってしまっているのか……」

「十一年振りだってのに姿も見せない、薄情な、盟主殿と英雄殿探し」

「…………現実を突き付けるな」

「良いじゃないか、現実なんだから。或る意味で、あの頃のあたし達の『全て』だった盟主殿と、その保護者殿だよ。恋しく思ったって、罰は当たらないさ」

立ち止まったそこで、バレリアが、自分で自分に罵りをくれたが、アニタの方は、あっけらかんとそう言って。

「しかし、流石に……」

「そうだな……」

マイクロトフとカミューが、愛剣の柄に手を添え掛けた。

……でも。

それでも獣達は止まろうとせず、梢を縫って羽ばたき、壁の上へと舞い降り様、高く鳴いて。

嬉しそうに、壁の上に浮かぶ二つの影へ、スリスリと頬を寄せた。

「わーい、フェザーー。ムクムクー、マクマクー、ミクミクー、メクメクー、モクモクーっ。もう一回、遊ぶ……って…………あれ? ──……カナタさん。もしかしなくても、人、一杯いますね」

「だから言ったのに…………。フェザーやムクムク達との再会、嬉しがるのは良いけど、別れを告げるのは、もっと夜中になってからしないと、『追い掛けられる』よ? って」

「でもぅ。ムクムクが、皆もっと遊ぼうって言ってるって、うるさかったんですもん。早く来てー、って。だからー……」

「……反省、してないね? ──って、まあいいか。僕達が手を貸したのは、固よりバレてるんだし。お小言は、言わないでおいてあげる。だからほら。そんなに拗ねたような顔しないの」

懐いて来られた影達は、楽し気に声を立てて笑いながらムササビ達と戯れ、のほほん、彼等だけの会話を交わし。

「はぁい。じゃあ、折角ですから。────皆ー、元気ーーー?」

「やあ。久し振り。変わりなさそうだね」

天頂から降りて来る月明かりに浮かぶ影の一つ、セツナは、ムクムクをしっかり抱いたまま、フェザーの胸に埋もれつつ声を張り上げ。

もう一つの影、カナタ・マクドールは、塀の縁に、足組みつつ優雅に腰掛けながら、己の膝に頬杖付いて、地上へ、軽く右手を上げてみせた。

だから、そんな彼等へ。

手を上げ返す者、そっちこそ元気かと声を掛け返す者、見せられた、相変わらずの調子へ溜息を送る者もいれば。

降りて来い薄情者、と怒鳴る者、そこは危ないと慌てる者、唯、眼差しだけを返す者もいて。

様々な態度を取った、今でも仲間である者達を、一人一人見遣って、カナタとセツナは、ひたすら微笑んだ。

「薄情者で御免ねー。ホント言うと、顔見せるつもりなかったんだけど。一寸、皆の近くまで来たくて、出て来ちゃった」

「僕達の方は、昔通りやってるから。心配せずともいいよ。大丈夫。…………それにしても。……皆、その、何と言うか。……『年月』だね、見事に」

「……カナタさん。もしも皆と出会しちゃうことがあっても、歳のことはあんまり口にしないようにしようね、でないと皆が可哀想だから、って。気だけは若いつもりでいるから、って、そう言ったの、カナタさんですよ?」

「…………ああ、そう言えばそうだったね。でも、問答無用で、老けた、と言いたくなるのは男側ばかりで、女性は、綺麗に齢を重ねているようだから、問題はないよ。……こういう風に意思表示しておけば、少なくとも石は投げられなくて済むし」

「うわー、物凄く直球な意見ですねー。情け容赦ないですねー。……何時ものことですけど」

「そんなことはないよ。僕はね、皆が、世の全てを受け止める逞しさを養う為の、手伝いをしてあげようとしてるだけ。図太くなって、打たれ強くならないと。世の中、鬼の方が多いんだから、それくらいでないと渡れないだろう? ……だからね、僕のこれは思い遣り。……うん、情けに溢れる話だ」

「……カナタさんって、屁理屈捏ねるの、本当上手いですよね。ああ言えばこう言いますよね」

「屁理屈も、理屈の内。言い包めた方の勝ち」

それから二人は、短かった沈黙を破って、一転、賑やかに笑いながら好き放題言い合い、再会した仲間達全てをその瞳に収め終えると、すっと、塀の上にて立ち上がった。

「皆の顔、見終えたから。そろそろ行くね」

「じゃあね。慌ただしくて申し訳ないけど。……又、何時か何処かで、会えたら」

その気配を察して、鳴き始めたフェザーの頭を撫で、ムクムク達に手を振って、セツナとカナタは、高い塀の上を辿り始める。

「おいっ!」

去ろうとしている二人を、誰かの声は追ったけれど。

「あ、そうだ。シュウさーーーん!」

忘れ物を思い出したように、くるっと二人は振り返って、しかし、声には応えず。

「御免ねーーー! これっきりだからっ。もう、あの頃だったら確実にお説教喰らうようなこと、しないからーー! 反省『は』してるからーーー!」

「僕は謝らないよ? 悪いとも思ってないし、反省すべき点もない。…………まあ、セツナがそうしたいと言うから、ならそれで、だったんだけどね、今回も。────ああ、そうそう。でも一つだけ。手間を掛けさせることになる、それに関してだけは、少しばかり感じ入る所もあるかな。……そういう訳だから。後、宜しく」

軽やかに辿り始めた塀の上に佇み、肩越しにシュウを見下ろし、悪びれた風もなく、良く通る声音で、そんなことを言った。

そして再び、真っ直ぐに前だけを向いて、延々と続く関の塀の上を、もう振り返りもせず二人は進んで、露のように。

仲間達の視界の中から、消え失せてしまった。

………………十一年前のあの頃と、微塵も変わらぬ姿、変わらぬ佇まいで、束の間のみ、姿を現し。

夏の夜の夢の如く、又、何処へと去って行った彼等を、どうすることも出来ず、声も掛けられず、唯、眼差しのみで追って。

……見送るでなく、追って。

遊びたい人達はもう行ってしまったから、自分達は寝る、と言わんばかりに、塀より降り、さっさと何処かへ行ってしまった獣達に人間は残され。

「……なあ、シュウ?」

仲間達が送って来る、促すような視線を一身に受けて、どうして、こういうことの口火を切らされるのは俺なんだ、と若干憤慨しつつも。

『それ』を己も知りたいと、好奇心に負けてビクトールは、いまだ、カナタとセツナが消えて行った暗闇を見上げているシュウに話し掛けた。

「…………何だ」

「セツナはお前に、何を謝ったんだ? カナタの言ってた、手間を掛けさせる、ってのは? 例の、ハルモニアで起こる予定の、内乱のことか?」

「いや。……多分、違う」

尋ねられるだろうと判っていたことを、本当に尋ねられて、微かに眉根を寄せつつシュウは、それでも口を開いた。

「じゃあ、何だよ」

「それ、は……。…………あれのこと、だろう、多分。昼間の。少しでも魔法や紋章を知っている者なら、一目で、二十七の真の紋章の力以外には有り得ないと断ぜられる、昼間の、あれ。彼等の言っていることは、多分、それ、だと思うが」

「…………だが……。あれに付いて反省……? あれのお陰で、俺達もこの国も救われたんだ、誇りこそすれ、って奴だろうが、普通は」

「本当に、そう思うか? ハルモニア神聖国が今まで何度、真の紋章絡みの諍いを起こして来たか、記憶しているか? あの国が、紋章集めに熱心なのは、有名な話だ。…………だから。だから少なくともセツナ殿の方は、反省『は』していると言った。行き方知れずになって久しい筈の紋章継承者達を、もしかしたらデュナンの国は、隠し持っているのかも知れないと、ハルモニアに思い込まれてもおかしくはないから。そしてそう思い込まれたら、今は退いても、ハルモニアはこの国を、諦めないから」

上向いたまま、仲間達の疑問に、ぽつりぽつり、答えて。

「……確かに、手間は掛かる。あれで、詫びを入れるつもりもなければ、反省もしない、とは。あの方は、相変わらずだ……」

くるり、かつての戦友達に背を向けて、シュウは、『護衛』を促し、その場を去る為歩き始めた。

「…………おい」

詫びの理由を聞かされて、あ……、との雰囲気を漂わせた人々を置き去りにし、もうそろそろ、何を語っても、彼等には届かなくなるだろう場所までシュウと護衛は進み、それまで、声一つ放たなかった彼──ルカは、複雑そうな声音を絞った。

「……何だ」

「お前。嘘が下手になったな」

「そうか? ……本当にそうだと言うなら、馬の背に揺られ続け過ぎて、血の巡りでも悪くなっているんだろう。多分、それだけのことだ」

怒っているような、嘆いているような。

そんなトーンを放ったルカへ、シュウは、肩を竦めてみせた。