「…………あれでシュウさん、解ってくれたと思います?」

「うん、多分。悪知恵の方は、衰えてないだろうし。頭『は』、良いんだし」

万感込めて注がれる、幾対もの瞳の眼差しから、霞むように消えた後。

のんびりほてほて、セツナとカナタは未だ、足場の悪い塀の上を歩いていた。

「言えてます。────シュウさん、凄く丸くなってましたね、雰囲気。多少は、って思ってましたけど、あんなになるなんて、僕思ってもなくて、びっくりしました」

「あの年齢の者捕まえて、本人自身の過去とは言え、二十代の頃の鋭さと比べたら、酷だよ、セツナ」

二人並んでは進めぬそこを、カナタが前に立って、セツナが後に付いて、でも、手と手は繋ぎ、彼等は足と、口を動かす。

「……そーゆーもんですか?」

「そう。そういうもの。…………まあ、ピンと来なくても仕方がないか。僕達には、齢を重ねる、という実感が、もう掴めないから。過ぎた年月と、過ぎた年月に相応しいだけ移ろいだ己が身を比べて、刻の重さとその価値を思うことは、残念ながら叶わない。積み重ねて来たモノを、確かに振り返ることも」

「……そうですねえ…………」

「僕達は、年月の中では、移ろえない。それが、定められた道だからね。齢、を感じられない。刻が与えて来た移ろいを、身の中に下ろせもしなければ、身に写し取れもしない。だから、積み重ねて来たモノを振り返っても、それはまるで、淡雪の如くだ」

「でもそれこそ、仕方ないですよね。僕達、『こう』ですし」

「そうそう。何がどう転ぼうともね」

「ですね。それに、そんなこと、だから? って感じですしねーー」

「うん。だからどうした、だよね。僕達に言わせれば」

……彼等のその歩みは、本当にゆるりとした速度で、交わす言葉はどうしても、静かなトーンで語りたくなるような物ばかりだったけれど、己達が『こう在る』ことなど、気に掛けなくてはならぬ程のことでもないし、『それっぽっち』の現実だ、と声立てて、二人は笑った。

「さて、急ごうか、セツナ。昼間、暴れてしまったから、うるさい連中が追い掛けて来るかも知れない」

「うるさい? ……ああ、ハルモニアの人達」

一頻り笑って。

深くて暗いミューズの森中を、窺うように、カナタは視線を流し。

セツナも、きょろっと辺りを見て。

ヤだねー、……そんな風に、二人は渋い顔して頷き合った。

「あそこの連中は、ほんっとう……に、しつこい。……それにしても。神官長のヒクサク──円の紋章の継承者殿が、本当に生きているのかどうなのか、それは知らないけど。『円』の持ち主やハルモニアは、真の紋章なんか集めて、どうするつもりなのやら。……何がしたいんだろうなあ、あの国……」

けれど、少しばかり神妙な顔で、不穏な気配が忍んでいないかと、彼等が森を探ってみたのは、僅かの間で。

あっという間に態度を崩し、カナタはぶつぶつ言いながら、首を捻った。

「……さあ……。…………あ、あれじゃないですか?」

すれば、やはりセツナもカナタに倣い、んーー……と小首を傾げて思案して。

思い付いたように、にこぱ、と笑い、自慢げに彼は言い始める。

「あれ、って?」

「ほら、たまにいるじゃないですか。自分の好きな物、全部揃えないと気が済まない人達。貴方の好きなそれは、これで一揃えですよー、って言われると、集めずにいられない人。……あれかな、って」

「………………もしかして、収集家のこと言ってる? セツナ。収集家の、収集癖のこと言ってたりする?」

「あ! はい、それです!」

「真の紋章は二十七で一揃えだから、彼の国の神官長殿も、二十七個全部揃えたいって思ってる、って?」

「駄目ですか? この意見。ヒクサクさんって人、ものすっっっっ……ごく、紋章が好きなのかも知れないじゃないですか。序でに世界征服も出来るぞ! とかもアリですし」

「……駄目とかそういう以前の問題と言うか、次元が違うと言うか…………。集めてみたい、な収集癖発揮して、あちらこちらの国潰しつつ、紋章集めされたら、潰される方は堪らないと言うか……。収集癖満足させる『序で』で、世界征服、は一寸…………」

「そうですかー……。単純で解り易い理由かと思ったんですけどねー。駄目ですかー……」

「うん、駄目。例えそれが真相だったとしても、個人的な感情に基づき、却下させて」

────僕、一生懸命考えてみました! と。

声弾ませ勢い込んだセツナの『意見』に、耳を貸したら。

狭く高い塀の上より、思わず足踏み外しそうになるようなことを語られ、カナタは項垂れた。

「……止めようか、この話。…………うん、止めた方が、色んな意味で、僕の心に優しい」

「そですね。ハルモニアの話なんかしてたって、気分良くないですしね」

この子は……、と。そうは思いながらも。

カナタは繋いだセツナの手を、もう一度握り返して。

彼がそうしたように、繋いだ手にセツナは、少しばかり強い力を込めて。

「さて、と。──今度こそ、本気出して急ごう。何時までも、『子供達』の傍にいちゃいけない」

「はーい」

月明かりの中、歩き続けた塀の上より、するり、何処いずこへと滑り込むように、二人は消えた。

さっさと、取り引きの代金代わりの馬を受け取り、夜が明ける前には、この本陣よりラダトへ向けて、出立したかったのに。

朝にならなければ、『代金』は用意出来ないと、クラウスにそう言い張られて、仕方なくシュウとルカの二人は、小さな、予備の天幕を借り受けた。

クラウスの主張が嘘であることなど、シュウにはお見通しだったから、夜道を行くのを案じたのだろうクラウスへ、腕『だけ』は立つ護衛がいるから、と告げてはみたものの、存外頑固なクラウスは、耳を貸してはくれず。

やれやれと、シュウは天幕の中で、大きな溜息を零した。

「…………シュ──

──邪魔するぞ」

余りにもはっきり、その溜息は響き過ぎたから、思案気になったルカは彼を呼ぼうとし、だがその声は、不躾にやってきた粗野な声に遮られる。

「………………何だ。何の用だ」

真夜中は過ぎて久しいのに、起きているのか否か、確かめようともせず入っていた不心得者を横目で見遣れば、思った通り、ビクトールとフリックの二人がおり。

だから夜の内に、ここを出立したかったのに……と、シュウは、今度は密やかな溜息を零した。

「一寸、気になることがあってな」

「……何が」

「いやな。お前さん、随分と嘘が下手になったみたいだから。嫌でも気付けちまって。──…………なあ。余り、気分のいい話じゃないのかも知れないが。教えてくれないか。……本当は、セツナの奴、何に対して謝って、カナタの奴は、何を宜しくと、そう言ったんだ?」

極力、傭兵達と視線を合わせぬようにして、一応会話を続けた彼に、ビクトールは、先程のルカと同一の感想を吐いて、真っ直ぐに尋ね。

「それを、語れ、と。聞いた処で、どうなる訳でもないのに」

暗に、訊くな、とシュウは、三度目の溜息を。

「どうなることでもないんなら、白状したって構わないだろう?」

すれば今度は、フリックがそう言って退けた。

「…………お前達は本当に、厄介事を背負い込む性分に出来ていて、だと言うのに、人が良過ぎる。……いや、只単に、あの二人との関わり合いが、深過ぎるだけか。思い入れ、も」

それ故、とうとう諦めた風情を、シュウは漂わせ。

「………………嘘を吐いた訳じゃない。先程語った、詫びと依頼の『理由』は、本当にそう考えたから、言ったまでのこと。……但、あれが全てではない」

ぽつり、と。

彼は語り始めた。