翌、早朝。

シュウとルカは、ルルノイエを目指してミューズを発った。

国を預かる宰相達が、国内の一地方に向かうに相応しい程度、護衛の兵士達も同行させたし、何よりルカが供をするのだから、と後を任されたクラウスもキバも、相変わらずシュウにこき使われているクルガンもシードも、どちらかと言えば大船に乗った気分で、ミューズの市門にて一行を見送った。

出立の直前まで、余計な時間が掛かるから馬車でなく馬が良い、とか何とか、宰相殿はブツブツと文句を垂れていたけれど、それでは警護が厄介になると、彼の言い分は、他ならぬルカが一蹴してくれて、その辺りの手筈も予定通りだった。

「しっかし……。人間って、変われば変わるもんだよなあ……」

「シード? 誰のことを言っている?」

「勿論、ルカさ──……あー、ルカ殿。去年、城で再会した時だって、最初は何処の誰だか判らなかったくらいなのに、あれから一年経ったら、益々別人。……あの人がだぜ? あの人が他人の世話焼いて、気遣いまでするんだぜ? 信じられるか、クルガン?」

「確かに俄には信じられんが、日々目の当たりにしてるんだ、今更、信じるも信じないもない。それを言うなら、シュウ殿もそうだしな。今のシュウ殿は、同盟軍正軍師だった頃とも、陛下がおられた頃とも違う」

「……言えてる。揃って別人ってことよりも、選りに選って、あの二人が懇ろな仲ってのの方が、遥かに衝撃デカいしな」

「…………その話は言うな。そうと悟ってから大分経つ今でも、本当に衝撃だから」

土煙を立てて、市門より、ミューズ・ハイイーストの関所へと続く街道を辿り始めた隊列を見送りながら、「何か一寸、感慨深い」とシードは言い出し、クルガンも素直に頷く。

「お二人が変わられたのも、衝撃の関係に落ち着かれたのも、元はと言えば、陛下とマクドール殿の『悪巧み』のお陰ですけどね。……あの方達は、何を何処まで計算されていたのやら」

「さてな。儂などには、到底、心及ばぬが、口癖のように言っておられた通り、『皆で幸せになる為』、思い付く限りのことをされただけなのだろう。少なくとも、陛下は。マクドール殿は、『セツナが良ければそれでいい』、だったのやもだが」

聞くともなく聞いていた、傍らの二人のやり取りに乗って、クラウスとキバ親子も話に混ざり、

「シュウ殿とマクドール殿は、折り合いが宜しくありませんでしたしねえ……。陛下の為になら、何時でも幾らでも、結託されてましたけれど」

「……方向性っつーのか? そういうのは全く違うけど、何より陛下が大事! なあの二人敵に回して、俺達、能く戦ったなあ…………」

「確かに…………」

鬼の居ぬ間に、ではないが、甚く暢気に、元ハイランド軍人な四名は、冗談交じりに言い合った。

こんな風に彼等のことを語ったり、ふざけた調子であの頃を振り返ったり出来る日が、来るとは思わなかった、と。

ミューズの市門にて、彼等が悠長なひと時を過ごしていた頃より四半刻程度が経った頃。

「あーーー………………。……あ。涎…………」

この数週間、日々過酷さを増していくばかりの執務に追われている所為で、うっかり、市長室の執務机に突っ伏し、うたた寝したまま朝を迎えてしまった現ミューズ市長のフィッチャーは、のろぉ……と起き上がって、きょろきょろと辺りを見回してから、少々窶れてしまった顔を自ら引っ叩き、口許を拭って、次いで、涎を付けてしまった書類を服の袖でいい加減に拭いた。

「……ま、平気でしょ」

昨夜の枕にした書類は、紛うことなく重要なそれだったのに、べっちゃり汚してしまったのも意に介さず、彼は大きく伸びをする。

「未だ早いから、ちゃんと寝直した方がいいかなあ……。今日はシュウ殿もいないし、少しくらいはねえ。……って、ああ、シュウ殿。もうハイイーストに出掛けましたかねえ……」

コキコキと、強張ってしまった節々や肩も解して、こちらは、それこそ鬼の居ぬ間に少しは、と、もう一度寝ようかどうしようか若干だけ悩み、

「うん、寝よう!」

誠にあっさり、彼は己が体の欲求に従おうと決めた。

「おはようございます、市長」

……が、そうはさせじと言わんばかりに、部屋の扉が叩かれて、書類片手の文官がやって来てしまい、「未だ、朝も早いってのに……」と、フィッチャーは渋面を拵える。

「何です?」

「あの、報告書類を。一寸急ぎみたいで、本当は夕べの内にお渡ししたかったんですけど、市長、うたた寝されてたんで、お疲れなのかなあ、と思って……」

自身の歳も性別も見て呉れも余所に、ムゥ……っと口を尖らせた彼を前にして、文官の青年は、小さくした声で言い訳がましく言った。

未だ未だ使い走りくらいしか任せられない青年が、至極真面目な性格をしているのも、懸命に己が職務をこなそうとしているのも知っているが、はっきり言ってしまえば要領が悪く、気も小さくて、機転の利かせ方も巧くないのも知っているフィッチャーは苦笑を浮かべ、

「何の知らせでしょうかね」

早い処、一人前になって貰わないと困るのだけれどもなあ……、と胸の内でのみ思いながら、受け取った書面に目を通した。

「あのですね…………」

「……はい?」

「気遣って貰ったのは有り難いんですけどね? ────どうして、私を叩き起こさなかったんですかっ!!」

一枚目を読んでいた辺りでは、未だ気楽な風情を見せていた彼だったが、二枚目に辿り着いた頃から顔色を変え、思わず、青年を怒鳴り飛ばす。

「え? いえ、その! どんな中身かは知りませんでしたし、唯、シュウ宰相に渡すようにと言われただけで! で、でも、その……最初、宰相殿のお部屋にお伺いしたんですけど、宰相殿もお疲れみたいでしたし、明日でいい、みたいな感じでしたし、なら、と思ってこちらに伺ったら、市長も──

──そんなことはどうでもいいんですよ! 大体、シュウ殿もシュウ殿だ、こういう話は誰よりも先に自分の所に持って来い、なんて言って歩くから! あーもー!」

やたらと口が廻る所為か、何をするにも行き当たりばったりな人物と誤解されることもある雰囲気を持った、滅多には罵声など飛ばさない市長の突然の叱責に、しどろもどろになってしまった青年を置き去りにして、フィッチャーは書類を握り締め、市長室を飛び出した。

市庁舎内を駆けずり回り、クラウスを捜したが何処にも見当たらず、この時間なら、町中で朝食を摂っているかも、と思い当たったフィッチャーが市街へ飛び出て行った時、想像通り、クラウスは、父やクルガンやシード達と、市門近くの宿屋の酒場で、食事をしていた。

「クラウス殿!」

「あ、市長。おはようございます」

王国が建国された直後より、先の戦争中、当時は盟主だった国王陛下や、同盟軍幹部達の御用達だった宿、を宣伝文句にし始めたそこへと、血相変えて駆け込んで来たフィッチャーを、食後の茶のカップを手にしたまま、クラウスは振り返る。

「そんな、悠長にされてる場合じゃないんですってば!」

「え? 火急の用でも?」

「それがですねー!!」

確かに自分も、さっきは、鬼の居ぬ間に、とか考えたけど! と思いつつ、フィッチャーは、胸倉掴み上げんばかりにクラウスへと迫った。