一般市民達も居合わせている宿屋の酒場からクラウスを引き摺り出し、外に出て、今度は人気ない路地裏に引き摺り込んで、フィッチャーは、何事かと驚くばかりの彼へと、握り締めていた書類を突き出した。

「何です?」

「ハイイーストとの関所からの報告書ですよ。……どうしてなのかは書かれてませんでしたし、私にも判りゃしませんけど、どうもね、洩れちゃったみたいなんですよ、シュウ殿の予定が」

「誰に」

「ハイランドの、元貴族崩れ連中に。……陛下がトンズラ──じゃなかった、退位されるって決まってから、この辺りもチョイとばかり治安が悪くなってて、少し前から関所辺りに野盗が出るって、クラウス殿もご存知でしょう? 一昨日の夜、その連中の一味らしいのが関所の近くを彷徨いてたんで、捕まえてみたそうなんです。そしたら、開き直ったんだか居直ったんだか、そいつ、自分も自分の仲間も野盗なんかじゃなくて義賊なんだー、とか、ハイランドの再興がー、とか、ぎゃあぎゃあ垂れ出して、シュウ殿がハイイーストまで出向く予定なのを知ってるとも、襲撃してやるつもりだとも、喚いたって話なんですよね」

「…………え、シュウ殿を?」

「え? じゃありませんってば! 居直りで適当なこと言ったのかも知れないって、関所の彼等も思ったらしいんですけど、シュウ殿がハイイーストに出向かれるのは本当の話ですからね。こっちまで知らせて寄越したんですが。あの戦争のお陰で、各関所に伝令の鳥まで常駐させとけるだけの予算が、ミューズには未だありませんでねぇぇぇぇぇぇぇぇ……。ケチって馬使った所為で、その書類が届いたのが夕べ遅く。だってのに、私の所の使い走りが、お疲れな様子のシュウ殿に書類渡しそびれて、やっと私の所に届いたのが今さっき。本当なら、夕べの内に手が打てたのに。……それもこれも、この数ヶ月、この手の物騒な話は特に、先ず自分で目を通してから、なんてシュウ殿が抱え込むからーーー! 自分が陰謀話の的になっときゃいいとか何とか、思ってんじゃないでしょうね、あの人!!」

グイグイと報告書を押し付けはしたものの、結局フィッチャーは、内容の全てを口で語って、最後には、クラウス相手に文句を捲し立てた。

「……思っている…………かも知れませんよ。ここ最近、誰も彼もが酷く忙しくしていましたから、少なくとも、この手の話も含めて、『予定外』の事案は可能な限りご自分で処理されていたのは確かです。ティントのことも」

路地裏に潜り込んだ意味がないくらいの大声を出した彼に、クラウスは顔を顰めて、内容は把握した書面を改めて読み直す。

「全く……。絶対、早死にしますよ、シュウ殿。──と、まあ、そういう訳で。もう、発てる支度はしてあります。人選だけして下さい。でたらめ話に振り回されるだけかも知れませんし、シュウ殿には相応の護衛も、腕の方はピカイチな彼が付いてるのも判ってますけど。陛下にトンズラされて一年しか経ってないのに、今、宰相閣下に何か遭ったら!!」

「トンズラではなく、退位ですよ。──大丈夫です、判っています。後はこちらで何とかします」

「ええ。お願いしましたからね。それじゃあ私は、市門の方に行ってますから!」

その間にも、捲し立てを続けたフィッチャーは、又後で! と走り去って行った。

「クラウス」

「父上。お聞きになりましたか」

「ああ。……手勢は、少数の方が良いか?」

「そうですね。ルカ様がおられますから、本当に襲撃が実行されたとしても、野盗に身を落とした元貴族達程度に、どうこうされるとは思えませんが。……もしも、今日の内にそれが起こるとするなら、恐らく、場所は関所付近の平原の何処かになる筈です。そして、あの辺りは──

──言うな。思い出したくもない。だが、理解はしている。ルカ様が、あの日の再現のような出来事を目にされでもしたら、野盗共に暴れられるよりも遥かに厄介なことになるやも知れん」

登場から退場まで、ひたすら焦っていたフィッチャーが消えても、クラウスと、息子達の後を追い掛けて来ていたキバは、動きも見せずに低く言い合った。

フィッチャーが慌てているのも、その気持ちも理由も理解していたし、彼等親子とて焦ってはいたが、クラウスとキバが焦りを感じた理由は、フィッチャーのそれとは違った。

シュウの安否自体よりも、あの戦争を境に、過去も、本来の名も捨て、只のルカとなった彼が、再び、人々に狂皇子と呼ばれた『ルカ・ブライト』に戻ってしまうかも知れないことの方が、彼等にとっては格段に問題だった。

「クラウス殿。キバ殿」

「どうすんだ?」

「お二方共、父──キバ将軍と共に向かって下さい。直ちに支度を。私も同行します。……申し訳なく思いますが……」

「貴方が詫びられる必要はない」

「……だな。俺達にだって判ってる」

立ち尽くす親子の後ろには、クルガンとシードも控えていて、二人は、自分達へと命じながらも詫びてきたクラウスを制した。

何故、彼が頭を下げるような真似をしたのか、クルガンも、シードも、承知だったから。

想像し得る最悪の事態が本当に起こったら、自分達の誰もが命を落とすだろう、と。

過去も何もない只人となって後も、戦うことに懸けては相変わらずの強さと腕前を誇り続けている彼が、もう一度、『ルカ・ブライト』になってしまったら、死ぬ覚悟がなければ到底止められない。

刺し違えても、止められるかどうか。

……それを弁えているから、クラウスは二人へと詫びて、やはり弁えているから、二人はクラウスの頭を上げさせた。

「……参りましょう」

「そうだな。……徒労に終わってくれれば良いのだが……」

「俺だって、そう思ってますけどね」

「行ってみれば判る」

もしも、嫌な想像が当たってしまったら、手勢を率いて行っても、相手が相手だ、却って無駄死にを増やすだけだから、彼等は自分達だけで発とうと決めて、身を翻した。

──犠牲など、少ないに越したことはない。

相手が相手というならば、いっそ精鋭からなる大部隊を引き連れて向かい、その場で確実に仕留めた方が……、との考え方もあるのだろうが、例え何が遭っても、『かつての自分』を甦らせてしまっても、彼は、決して、シュウだけはその手に掛けないだろう、と思えるから。……只の淡い期待かも知れないけれど。

そして、期待の通り、シュウさえ生きていてくれれば、後のことは、恐らくどうとでもなる。

…………そんな風に、彼等は一様に思い、己達の考えに従って、己達だけで。

────故に、僅か四騎の馬だけが市門より駈け出したのは、ミューズ市が朝特有の喧噪を費えさせる頃だった。

宰相を乗せた馬車を囲んでの隊列を追い始めた早駈けの馬が、目指す列に追い付けるのは、昼下がりの時分になりそうだった。