覚えた違和感通り、商隊は、それと装っていただけだった。
恐らくは、野盗の類い。
さもなければ、己達の隊列を、宰相の列と知って襲い来る者共。
────そう悟った時、ルカは咄嗟に、シュウを引っ攫う風にして走った。
馬でも馬車でも、兎に角放り乗せて、彼をこの場から遠ざけてしまいたかった。
シュウの一人や二人、庇いながら戦ったとてルカには何の支障もないが、それでも『邪魔』には違いなかった。
一時でもシュウを匿えるような場所も遮蔽物もない、見渡す限り平原が広がるそこで、己が身と剣で以て彼を庇いつつ襲撃者達を悉く斬り捨てるよりは、さっさと逃げ出して貰った方が、余程、ルカの負担は軽かった。
主に、心に掛かる負担が。
だが、それを許す程、輩達も馬鹿ではなかった。
鬨の声に能く似た雄叫びを上げると同時に、輩達の幾人かが構えた弓に番えた矢が次々に放たれ、鏃に射られた馬達は暴れ、主を置き去りにしたまま散り散りに駈けて行った。
「好きにしろ。自分の面倒くらい、まあ……何とかなる」
「それは、小太刀以上を握ったこともない者が口にして許される科白ではない。身の程は弁えろ」
当然ではある手を打たれても、自分が奴原でもそうする、と何処か他人事の如く頷いてから、「これに、力の限り走らせてみた処でな……」と小さな息も吐いて、ルカは、シュウを黙らせつつ近場にいた兵士達を呼び付ける。
「お呼びですか!?」
「宰相殿を守れ」
襲撃者達と斬り結んでいた最中だったが、何とかそれを退け、声に従った兵達に、彼は、シュウを任せた。
彼等に後を託してでも前に出て、自ら剣を振るえば、最短でこの騒ぎを片付けられると思った。
……実際、決断通りの振る舞いを彼が取って直ぐ、襲い来た者共は、一人、二人と数を減らした。
先程射られた矢の雨は、馬ばかりでなく、予定外の休息に甘んじていた警護兵達をも貫いていて、唯でさえ、襲撃者達よりも数では劣っていた味方は、もう片手の指の数程度しか残っておらず、生き残った彼等の殆どをシュウの為の盾にしてしまったのに、ルカは、焦慮も覚えなかった。
焦り始めたのも、押されているのも、事を仕掛けてきた彼等の方で、平原を覆う緑の草を濡らした血飛沫も、彼等のものだった。
先の戦争より数年の時を経ても尚、ルカの強さは圧倒的だった。
あの頃とは違い、もう、その得物に烈火剣の紋章は宿っておらぬのに。只の剣でしかないのに。
死に瀕しているのは彼でなく、襲撃者達だった。
それは、誰の目にも明らかで、彼に立ちはだかられた男達にも悟れた。
────勝利の目算を持って、この策を実行に移したのに、何故、死へと追いやられているのは自分達なのだろう。
……対峙したルカを見据えながら、男達はそう思った。
統一戦争は終結し、ハイランドは滅びたが、国王セツナの退位が迫ったが為に生まれた混乱に乗じれば、戦以外では役に立たない権謀術数に長けているだけの宰相の首程度、きっと容易に取れて、ハイランド皇国再興の道も展けて、昔のように、貴族として栄耀栄華を謳歌する日々が帰ってくる筈だったのに。
どうして、今、自分達の前に拓けたのは、かつての華やかな日々でなく、あの世へと続く道なのだろう。
…………男達は、そうも思った。
自身達の行いの源を顧みもせず、世界を満たすモノに思い馳せもせず。
唯、運命の女神だけを呪った。
しかし、彼等にも、運命とやらを司る神を呪える程度には、己達の未来に関する自覚はあり、故に、せめて……、と意を決した。
死に逝く道しか残されていないとしても、せめて、栄華の毎日を奪い、手にしていた全てを粉々に踏み躙った同盟軍の、正軍師の座にあった男くらいは道連れにしてやらなければ、死んでも死に切れなかった。
「……くそぉぉ……!!」
「うわぁぁぁぁぁ!」
──ルカを目の前にした男達の、全てが全てではなかったが、逆恨みとしか評せぬ念に取り憑かれた数名の彼等は、戸惑うばかりになった仲間や、死を恐れる余りに震え始めた仲間を思い切りルカへと突き飛ばし、その隙に、シュウ目掛けて走り出した。
窮鼠が猫を噛むの例え通り、でたらめに剣を振り回す者共に迫られた警護兵達は浮き足立ち、又、何人かがその手より剣を零しながら膝を折った。
仲間に捨て駒とされ、躓き、蹌踉めきながら得物を振り被った者共を一閃で斬り捨て、振り返ったルカの目に映ったのは、兵達が傷付き倒れる様と、闇雲に振られるだけの切っ先が、しかしながらシュウへと迫った様だった。
そして、その光景は、ルカの奥底で息を殺して潜んでいた、遠い昔に重なった。
……膝を折った兵達は、使命に殉じ、自分達親子を守ろうとして命を捨てた、かつての祖国の者達に見えた。
刃から逃れる為、長い黒髪を乱して身を翻したシュウは、最愛だった母に見えた。
彼を襲わんとする男達は、恨んで、呪って、憎み抜いた、蛮族に見えた。
…………そうして。
それを見遣る己は、愛していた母すら守れなかった、あの日の己に。
兵達に後を託し、襲撃者達を斬り捨てていくルカの背を、シュウは、顔色一つ変えずに見詰めていた。
犠牲は防げぬばかりか、既に出てしまっているが、この程度の規模の襲撃ならば、彼に任せておけば、何も指示せずとも鎮圧されると判っていた。
唯ひたすら、少しでも早く事態が収束されればそれでいい、と考えていた。
……いいや、らしくもなく、シュウは祈っていた。
早く、早く……、と。
その場所が、ルカにとって忌まわしい所であると、彼は知っている。
だから、あの彼が、『今の彼』を保てている内に、遠い昔に囚われる前に、事が片付いて欲しかった。
戦場であるならば、知略を武器に幾らでも共に戦えるけれど、遅い来る者達を力で以て退ける以外に術のない今、彼に出来るのは、大人しく他人に守られることと、秘かに祈ることくらいだから、早く……、と、それだけを。
…………そうしていたら、秘かな祈りではなく、ルカが持ち得た力が、望む結果を齎し始めた。
襲撃者達を討ち取っていくルカの強さは呆れる程で、宰相殿を、と彼に命じられた直後は、シュウを連れてそこより離れようとしていた兵達も、その必要すらないと、足さえ留めて露骨に安堵した。
なのに、追い詰められた彼等が手にする刃が、兵達に、シュウに迫って。
「宰相殿!」
「お逃げ下さい、早く!!」
叫ぶ兵達に背を押され、シュウは踵を返した。
兵達が辿るだろう運命が脳裏を過ったが、彼は、死ぬ訳にはいかなかった。
去ってしまったセツナの為に、仲間達の為に、国の為に。
何よりも、ルカの為に。
……今、死んだら。もしも、死んだら……────。
────だからシュウは駆けて、それでも男達の剣は彼に追い縋って、刃先が彼を捉える寸前。
半端な柔らかさのモノを断つ鈍い響きと共に、白銀色と紅色が斑に絡み合う一本の線が彼の目の前を走って、塊が地に落ちる音がした。
生暖かい飛沫を辺りに撒き散らしながら崩れた落ちたモノの、向こう側に見えたのは、ルカ・ブライトの顔だった。