翌日。

やはり、シュウは寝込んだ。

激務に襲撃事件が重なって、疲れが出てしまったのだろう、と大抵の者は考えたし、それは間違いではないが、例の出来事の所為で、閨での抑えが利かなくなった手間の掛かる男に、存分に好き放題されたから、というのも彼が寝込んだ理由の一つで、更に翌日、やっと起き出してきた直後から、偉いことシュウは荒れていた。

周囲が、うわぁ……、と怯えるくらい不機嫌で、例の事件の仔細も、彼とルカの本当の関係も知る元ハイランド皇国軍人達は、「ルカ様、何やらかしたんですか……。ってか、貴方に手加減なしに扱われたら、そりゃシュウ殿だってああなるし、壊れちゃうかも知れないし!」と、頭を抱えつつコソコソしながら、不機嫌この上ない宰相殿や、その原因のくせに知らん顔を決め込んだ彼と、何とかかんとか接した。

けれど、数日が経ってもシュウの不機嫌は続いていて、流石に、彼の今現在の不興の理由は、自らハイイーストに赴く予定が台無しになって、あちらとの調整が進んでいないからなのだろうと、クラウス達が思い始めた頃。

此度の騒動に関する知らせを受けた、というのもあって、以前から予定されていた会談兼ねて、駆け付けるようにやって来た各市の市長や代表者達と、宰相殿が久方振りに顔付き合わせることになっていた日。

襲撃事件からこっち、最も不機嫌な顔をして、ミューズ市はジョウストンの丘の議場に、ルカやクラウス達を従え、シュウは踏み込んだ。

正軍師時代から変わらず、無表情で、鉄面皮で、と評され続けている彼にはして誠に珍しい、ムッツリとした、が、何処となく懐かしい表情を浮かべているシュウを盗み見て、「あんな事件があったから、無理はないかも知れないけれど、それにしても……」と、テレーズやリドリーや、マイクロトフにカミュー達は、目と目でのみ言い合い、「何か知ってる?」とルカやクラウスを見遣ったが、見遣られた彼等も、「さあ?」と首を振るしか出来ず。

コソコソやヒソヒソを始めた彼等を綺麗に無視し、宰相席に着席したシュウは、会談の開催宣言を終えるや否や、ハイイースト県が、正式に、共和制への移行と、それに伴う大統領選挙の実施を受諾する書簡を送って来た、との報告を始めた。

「えっ? あんなにゴネてたのにですか? 先日のあれの所為で、シュウ殿がハイイーストまで行くって話も、延期されたままなのに?」

「ですよね……。……それは、少しおかしいのではないですか? 話し合いすら済んでいないのに、何故、急に」

「あちらの県庁の方々も、身分制度の完全撤廃に反対している一派を抑え切るのは……、というようなことを仰っていた筈ですけれども……」

それを知らされて直ぐ、フィッチャーとマカイとテレーズが、顔を見合わせたけれど。

「……一寸、待っていてくれ」

一層、不機嫌そうになったシュウは、すいっと席を立つと隣室へと消えて、が、直ぐに、誰にも知らせずそこに『控えさせていたもの』を、片手にぶら下げて戻った。

「へ?」

「え、ムクムク?」

「何故、ムクムクが」

ムッスー……としつつの彼が手にしているのは、茶色い塊──同盟軍での従軍経験すらある、セツナの友人のムササビ、ムクムクだと気付き、首引っ掴まれて、プラン……、と下げられているムクムクを、一同は凝視する。

「…………今朝。私の許に、ムクムクが手紙を届けに来た」

何で? とムクムクと己を見比べる一同へ、シュウが徐に言えば、恐らく今朝もそうだったのだろう、胸にヒシッと抱いていた封書を、ムクムクは、誇らし気に両手──正しくは両前脚──で掲げた。

「手紙?」

「陛下からだ。……出奔──ではなかった、退位を決められた際に、やらずともいい下らんことまで、きっちり後援するのが信条な何処ぞの私立探偵と、些細な生活の知恵から近隣諸国の醜聞に至るまで、どうしてか知り得ているくせに、決して情報源は白状しない某老婦人に、何か遭ったら知らせて欲しいと、陛下は依頼していたようでな。その為の連絡手段まで、あの二人とは打ち合わせて。…………タキ殿はいいとして、リッチモンドは後で締め上げてやる……。──ああ、兎に角。そういう訳で、本当に、心底ふざけた話だと思うが、事も有ろうに、暢気にグラスランド観光中だった陛下とマクドール殿も、先日の騒ぎを知ったのだそうだ。……グラスランド。選りに選ってグラスランド…………。散々捜したのに、デュナンの隣のグラスランド……っっ」

「…………ま、まあまあ、シュウ殿。落ち着いて。……それで?」

「……それで。何処までもふざけた話だが、そういうことならと、あの二人は、とっととハイイーストに乗り込んで、誠心誠意を尽くしての『説得』をしたのだとか。どうせ、あの二人の説得など、言葉ではなく拳だろうがな。……まあ、マクドール殿は、言葉での説得もしただろうけれど。嫌でも思い浮かべられる似非臭い笑みを顔全体に貼付けて、何時もの調子でねっちりねちねち、脅迫と正論を上手いこと混ぜ合わせながら、それはもう陰険に。……何が誠心誠意だ、どの口が言う。本当に、あの二人は野放しにすると碌なことを仕出かさないっっ」

「……………………シュウ殿。話がずれている」

「ん? ……ああ、私は何の話をしていたのだったか。────あー、何はともあれ。陛下とマクドール殿のお・か・げ・で、ハイイーストが正式に受諾の書簡を送って来た。全く以て不本意ながら、昨日までとは真逆の、しかも余計な事この上なく馬鹿馬鹿しい手間が増えるが、大統領選の実施は、予定通りに行えそうだ。……以上」

ムクムクが届けて来た手紙とは何ぞや、との一同の疑問に応え、シュウは、フィッチャーに宥められ、リドリーに突っ込まれ、としながら、トンズラこいた国王陛下よりの手紙の内容を、たっぷり私情を込めつつ語った最後、ぶら下げっ放しだったムクムクを、ドン! と議席の天板に放り投げることで解放した。

あー……、だから、見覚えのある、どうにも懐かしい顰めっ面をしてたのか、と居合わせた彼等は、本日のシュウの態度と機嫌に納得し、未だブツブツを言い足りなかったらしいシュウは、一度は解放したムクムクを、思わず──だったのだと思う──、ガシッ! と再び掴み上げる。

「……陛下とマクドール殿はどうした?」

「………………ム?」

「デュナンの城にも、ミューズにも顔を出すでもなく、ハイイーストの件はこっちで片付けたから、書簡が届くと思うよ、などという、呆れ返るしかない手紙一本のみを送り付けて来たあの二人は、何処に行ったっ?」

「……ムゥ」

人語を解しはすれども語れはしないムササビなムクムク相手に、カナタとセツナの現在の居場所を問い詰めてみた処でどうにもなりはしないのに、我を忘れてそうせずにはいられなかったくらい、シュウは実の処は怒り狂っていたようで、「そう言われてもー……」と言いたげな顔をして困り果てたムクムクに、彼は詰問を続け、

「えー………………。始めたばかりですが、少し、休憩致しましょうか」

「……ですね」

「そうですねー……」

やれやれ……、と、こっそり溜息を吐いたクラウスが提案してきた一時休憩に、一同は、異議なし、とコクコク頷いた。