運悪く。
これっぽっちの疑いも抱かれなかった偽造通行証を使って二人が立ち入った街は、丁度その日、祭りの初日を迎えてしまっていたようで、門を抜けた途端開ける目抜き通りは、訪れた沢山の人々でごった返していた。
「うわ、凄いですね」
「そうだね。ここまで盛況だとは思わなかった。──おいで、セツナ」
だから、うっかり逸れてしまわないように──まあ、万が一逸れてしまっても、お互いの宿す紋章の気配が追える彼等が再会することなど、簡単この上ないが──、人の多さに目を見開いたセツナへ、カナタは手を伸ばした。
が、それは一瞬遅く。
差し出された手と手が結び合うより先に、カナタとセツナの間には、目抜き通りを急ぐ人の流れが割り込んでしまい。
「………………あ」
あっと云う間に、カナタの姿を見失ってしまったセツナは、小さな声を放った後。
流石にここまでの人込みに飲まれたら、カナタさんでも思い通りに歩くのは難しいかもー、とひょこひょこ、人いきれを掻き分け、潜ったばかりの街の門の、大きな柱の影に背中を預けて立った。
────迷子になった時の鉄則は、動かないことだ、と。
未だ小さかった頃、故郷の街近くの森で迷って、亡き義祖父に迎えに来て貰った時、セツナは言い聞かされたから。
『迷子』って訳じゃないんだけどねー、と彼は、未だに身に染み付いている祖父の教えを守って、親と逸れた子供のような風情で、その内戻って来るだろうカナタを待っていたのだけれど。
「……ああ、いたいた。お前だろう? 何だ、随分と子供子供したガキだな」
どうやら、目抜き通りを中心に、碁盤の目のように走っているらしい街の通りの裏手から、見たこともない、どちらかと言えば粗野な風情の男が近付いて来て、セツナの手を取った。
「へ? あの、何か?」
唐突に話し掛け、唐突に手を取った男へ。
訝しげな声を放ちながら、セツナは眼差しを向ける。
荷運びの仕事に従事していると思しき男は、お上品、と云う例えは間違っても当て嵌まらぬ口で、こんな相手の腕など、人の目さえなければあっさりと振り払って、『おまけ』もくれてやっている処だが、いきなり騒ぎを起こして目立つのが嫌で、外見通りの子供のように、一先ず彼は振る舞った。
「何か? じゃないって。ほら、行くぞ。──悪かったな、待たせたろう。こんな日だからなー、お前を迎えに来るだけでも難儀で。……おい、何やってんだよ、急げよ。女将さん、待ち草臥れてんだからよ。処で、お前をここまで連れて来たオヤジはどうした? 何処行ったんだ?」
すれば男は。
強い力でセツナの手を引いて、さっさと歩き出し。
「………………あーのー。人違い、だと思うんですけど」
ぺらぺら喋り始めた彼の話から、自分と誰かをこの男は勘違いしていると悟ったセツナは、これは流石に実力行使とばかりに、ふんっっ、と男の手を振り払った。
「こら、クソガキ。勝手に、手、離してんな。迷うぞ? 今日のこの騒ぎじゃ」
だが男は、縁日の賑わいに興奮して親の言うことを聞かなくなった幼子を抱き抱えるような風情で、セツナを引き摺り。
「だから、人違──」
「あ? 何だって? 人がどうした? 人出に驚いてんのか? ──お前、田舎から出て来たんだろう。この街の、年に一度の祭りはな、毎年こんなもんなんだよ。その内慣れるって。家の店に奉公して数年も経てば、何とも思わなくなるさ」
人違いですってばーーー! と叫び掛けたセツナの声が、周囲の喧噪に掻き消されて行く中、彼は一人納得し、掴んだ『子供』の腕を一層強く握って、足早に人込みを縫い出してしまった。
「嘘ぉ……」
故にセツナは、本当に本当の実力行使、に踏み切ろうと、体に力を込め始めたけれど。
別に悪いことをした訳ではないのに、この男を殴り倒して逃げ出す、というのも、暫く滞在する街で行うにしては乱暴過ぎるような気がしたし、後で厄介なことになるのも面倒だし、もっと静かな所できちんと説明すれば誤解は解けるだろうし、カナタさんとは何時でも合流出来るから、と。
目抜き通りの混雑を抜け切るまで、大人しく、この男に従っておこうと決め、相手の歩調に合わせ始めた。
如何な彼と言えど、抜けるのに少々の労を要した人の流れより、市門の場所へと戻って。
「おや?」
逸れてからここに戻って来るまで、大した時間が掛かった訳でもないのに、どうしてセツナがいないのか、とカナタは首を傾げた。
迷子になってしまった時は動かない、というゲンカク老師の教えがセツナに染み付いているのは、カナタにも重々承知のことで、故に、セツナがこの場所を、動く筈はないのに。
辺りを見回せど、彼の姿はなく、おかしいな、と意識を右手の紋章に向けてみれは、どうやらそう遠くない場所を、『始まりの紋章』は移動していると知れ。
「何をやっているんだか……」
ぼそっと不満げに呟いてカナタは、人いきれの中身を翻し、始まりの紋章の気配を追い始めた。
……そんな風に。
カナタが、厄介な人違いをされたセツナの後を追い始めた頃。
どうやら、混雑激しい街の目抜き通りに面した、一軒の商店の裏口らしき木戸に、セツナは連れて来られていた。
市門から、近くもなく、遠くもない、恐らくはこの街の一等地だろう場所に、構えられているらしいその商家の建物は、随分と大きく。
母屋と裏庭が、通りの喧噪を遮っており。
「ラダトのシュウさん家と、どっちが大きいかなぁ」
見上げた商家への感想を洩らしながら彼は、ここならば、と改めて男を見上げた。
「ここだ。お前が明日から奉公する店は。──ここで一寸待ってな、女将さん呼んで来てやるから。あ、そうそう、お前、紹介状持って来てるよな? それ、ちゃんと出しとけよ」
くりっと動いたセツナの薄茶色の瞳に見詰められた男は、忙しいのかそれとも元来せっかちな性分なのか、言うべきと、自身が判断したことのみを言い残し、さっさと奥へと消えてしまった。
「あ、そうじゃなくってっ! 僕の話、聞いてってばーーーーっ! 人違いですってば、人違いーーーっ!」
裏庭を駆けるように抜けて、表へと廻ってしまった男へ、セツナは大声で訴えたけれど、セツナと、明日からこの店に奉公することになっているらしい少年を取り違えた彼は、間違いなく、人の話を聞かない性格なのだろう、振り返ることもなく。
「駄目だ、あの人じゃ……。──デュナンのお城にだって、あそこまで人の話聞かない人はいなかったのにーーー、もーーーーっっ。……こんな所で油売ってたら、カナタさんに叱られちゃうよぅ……」
仕方ない、と。
「誰かいませんかーーー。すーみーまーせーんーーー、ここのお家の人、いませんかーーー」
きょときょとと辺りを見回して彼は、声を張り上げ。
「……あれ? ──誰か、います?」
裏庭を真っ直ぐ突っ切って、人影のようなものが浮かんだ気がした、ベランダと言うかテラスと言うか、の向こう側にあった地階の窓辺に張り付くべく、ひょいっと柵を乗り越え、窓枠に手を掛け。
「あ、開いてる。──すみませーーーん、えっとですねーーー……──」
ゆらり、揺れながら薄く開いた窓に、ツイてる、とにっこり微笑みながら、兎に角、己の訴えを、この商家の誰かに聞き届けて貰おうと、無遠慮に、室内へと身を乗り出した。