夢を見ていた。

うつうつとした、浅い眠りの中で。

セツナは、夢を見ていた。

眠りとも言えない眠りが齎す、浮かんでは消え、浮かんでは消え、とする、夢とも言えない夢。

そんな眠りの中に浮かんでは消える、数えきれぬ程沢山の夢は、本当に取り留めがなくて、強風の日、空に浮かぶ雲が様々形を変えるに似た、話の筋道も何もない、単なる動く絵、としか言えない代物だった。

それくらい、眠りは酷く浅いから、薄く開かれてしまっている瞼の向こう側には、果たして夢を見ているのかそれとも、現実の風景を見ているのか、と首を捻りたくなる程、単なる動く絵でしかない夢の風景と、夜に包まれたらしい薄暗い自室の風景が、くっきり折り重なっていて。

こんなの見てるの気持ち悪い、だったらいっそ、起きてしまおうと、セツナは体を起こそうとした。

が、願い虚しく、体は、彼自身を裏切って、動いてはくれず。

夢とも言えない夢と現実が、気持ち悪く重なり合う風景の所為なのか、体調の所為なのか、彼は又、宰相室で倒れた時のように、胸と、胃の臓のむかつきを感じ始めた。

夢を覆う風に重なる現実世界の片隅に、未だ見慣れぬ女官が運んで来てくれた、結局食べられなかった、布巾の掛かった夕餉の盆はあるから、吐き出せる物など一つもないのに。

むかつきは、酷く強く。

背の骨に沿って、痛みも走った。

…………それは、これまで幾度も味わった、不完全な紋章が齎す、自身で自身を掻き毟りたくなるような痛みとは質の違う、重たい、骨の芯に響く、鈍痛。

耐えようと思えば耐えられそうな、けれど耐えきれぬのが容易に想像出来る、とても嫌な痛み。

更には、手足の先が震え始めて、熱までもが高まり。

彼は、意に反して薄く開かれてしまっていた瞼を、やはり意に反して、今度は、閉ざさざるを得なくなった。

……眠りに落ちる為でなく。

意識を手放せと、『命じられた』為に。

………………なのに。

意識を失った先の世界では、先程と変わることなく、夢とも付かない夢が、目紛しく、セツナの前を、随分と長い間、駆け抜け続けて。

──…………いか……? 陛下? 陛下っっ」

どうしたら良いのか、良く判らなくなり始めた頃、彼は、何者かに声を掛けられ、揺り起こされた。

「……………………っっ……!」

──揺り起こした誰かが呼び掛けて来た声が、陛下、と自身を呼んでいることに、彼は気付けなかった。

その為、夢と現実の世界を彷徨ったまま、強く見開いた瞳に飛び込んで来た『誰か』を、『その正体を知らぬ誰か』と誤解して、酷く厳しい面を晒し、掛けられていた毛布を掻き寄せて、バッと、ベッドが寄せられている壁際へと、飛び退くように後退った。

「陛下…………?」

「…………え………………?」

吐き気も、痛みも、熱も、何も彼も無理矢理に堪えて飛び退き、くっと息を詰めて身構えれば、『誰か』は困惑も露に、手にしていた燭台の火を掲げ、セツナを覗き込み。

そうされてやっと、枕辺に立った『誰か』が、最近城勤めを始めた、シュウの新しい部下の一人だと、彼には気付けた。

「………………御免……。御免ね……? 変な夢、見てて……。一瞬、誰だか判らなかった……」

「そうですか……。お加減が、酷くお悪そうですし、顔色も宜しくないですから、悪夢をご覧になられてしまわれたんですね。シュウ殿に仰せつかって、陛下の御様子をお伺いに参上したのですが、魘されておられたようでしたので、起こして差し上げた方が、と思ったんですけれど……。私こそ、申し訳ありませんでした、驚かせてしまって……。さあ、ご無理為されずに、お休みになられて下さい」

かなりの我慢を己に強いて、それなりの笑みを浮かべ、言い訳と詫びをセツナが告げれば。

シュウの部下は、お労しい、そんな表情になって、彼が横になるのに手を貸し、毛布をきちんと掛け直して、静々と部屋を辞して行った。

「怖かっ……た…………」

去って行った彼の気配が、扉の外からも完全に消えたのを確かめ。

ぼそりと彼は、一人洩らす。

そうして、何とかベッドより出ると、半ば床を這うようにしながら、部屋の片隅に置いてある、トンファーの元へと寄って、それを取り上げようとした。

……けれど。

普段は軽々操れる自身の得物が、今の彼には途方もなく重く感じられ。

「駄目だ…………」

戸惑いながら、それに見切りを付けると今度は、茶箪笥へと近付き、引き出しを掻き回し、果物や、一寸した菓子を切り分ける為の、小さなナイフを取り出して、夜着の単衣の懐に、そっと仕舞い込んだ。

────誰が、という訳でも、何が、という訳でもなかった。

もう終わった戦争は、終わったばかりではあるけれど、少なくとも、この城の、己の部屋にいる限りは、何者かに危害を加えられる可能性など殆どないのも、承知だった。

城内に住まう、『新しき者』も『古き者』も、分け隔てなく信じているのも確かだった。

誰が、でもなく。何が、でもなく。

唯。

自分を『守る』モノが、欲しいだけだった。

遡ること数ヶ月前、ハイランドとの戦いが激化し始めた頃ですら、そんなこと、思ったことはなかったのに。

カナタや皆が、傍にいてくれたから、かも知れないけれど。

同盟軍の盟主となってより今まで、そのようなこと、思ったこともなかったのに。

例え何かが遭った時、無手だったとしても、大抵のことなら僕はへーき、そう思えていたのに。

どうしても、今、セツナは、得物を抱き締めていたかった。

『守る』モノが欲しいと思った。

「何で、こんなこと…………」

だから、小さなナイフを懐に仕舞い。

又、這うが如くベッドへ戻りつつ、己へくれる、呆れと困惑の言葉を吐き出しながら、セツナは毛布の中で、小さく小さく、身を丸めた。

…………多分、カナタがいないから。

それが、今宵の己の様の、理由なのだろうと、思い当たることは容易だったが。

心の何処かで、それを。

セツナは、認めたくなかった。

慕った人の一人、吸血鬼の始祖シエラが、この城を去る前夜、彼女へ語って聞かせた通り。

自分の傍にカナタがいてくれると言うなら、自分と一緒にカナタが歩いてくれると言うなら、自分がカナタの傍にいればカナタが『痛くない』と言うなら、それだけでいい。

それ以上もそれ以下も、望まないし望めない、と、確かに思っているそれが、何時か何処かへ消えてしまう、そう思えて。

それが、怖くて。

だから、セツナは。