木で出来た覆いに収められた小さなナイフを抱き締めていたら。
少しだけ、うつらうつらとすることが叶った。
でも、体調は相変わらず最悪で、眠りに落ちても、直ぐに目は醒めてしまって。
己の余りの情けなさに、セツナが悔し涙を流しそうになった、そろそろ夜が明ける、と言った頃だった。
ノックもなく、静かに部屋の扉が開いて、忍ぶように、又、『誰か』が入ってくるのが判って、彼は、『怖い人』が来る訳じゃないと、自らに言い聞かせながら、懐の得物を、夜着の上からぎゅっと押さえた。
「……大丈夫だよ」
と、彼が僅かに腕を動かした、その蠢きと衣擦れに、『誰か』は気付いたのだろう。
セツナに声を掛けながら、近付いて来た。
「………………お帰りなさい……」
朦朧とする意識の所為で、『誰か』としか判らなかったその人の声を聞き、直ぐさまセツナは、毛布の中から顔を出し、『彼』を見上げる。
「……ただいま。──宰相殿から、急ぎの文を貰ってね。…………大丈夫? セツナ。倒れたってことだったけど。……ああ、酷い顔色してる。その様子じゃ、眠れてないね? 僕がここを出る時は、元気だったから、まさか、こんなことになってるなんて、思いもしなかった。……御免ね、一緒にいてあげられなくて」
手にしていた細やかな荷物と、脱ぎ去った深緑色のマントを乱暴に放り投げて、序でに皮の手袋も取り去り、持ち込んだ灯をベッドの傍らの小机に置いてから、枕辺に腰掛け。
『彼』──カナタは、セツナの髪を撫で始めた。
「別に、カナタさんの所為じゃないです……」
「…………かもね。……でも、君が苦しい時に、傍にいてあげられなかったのは事実だ。……だから、その分、はね」
「でも……、カナタさん、未だトランにいる筈だったのに…………。それに、どうやってこんなに早く……?」
「そんなこと、気にしなくていいの。──運が良くて、助かった。シュウからの手紙が届いた時、レパントに呼び出されててね。フッチとハンフリーのこと気にしてたらしい、竜洞騎士団長のヨシュアが、二人の話を聞きたいって、グレッグミンスターに来てて。だから渋々、大統領府に顔出したんだけど。そこに、クレオが手紙を届けにやって来てくれたから、ヨシュアに無理言って、彼の竜で、バナーまで送って貰ったんだ。そこからは、船でラダトへ出て。ラダトから、又船で、ここまで」
「え…………。じゃあ、僕の所為で、カナタさんにも皆さんにも、御迷惑掛けちゃったんじゃ……」
「ん? 大丈夫だよ。それよりも、セツナ。どうしたの? 何処を悪くしたの? シュウの手紙には、君が倒れたってことしか書いてなかったから、事情が良く判らなくてね」
「……ああ、それなら…………」
何時も通りの優しい口調で語りながらのカナタに、ゆるゆる、髪を撫でられて、気持ち良さそうに、セツナは瞳を閉じ。
昼間、ホウアンに言い聞かされた話を、彼にした。
「………………成程ね。彼の話は一理ある。……でも、それだけが理由じゃないんじゃないの? セツナ」
伝え聞いた医師の仮定に、ふうん、と頷いて。
けれどカナタは、少々渋い顔付きになった。
「…………あのですね、カナタさん……」
すればセツナは、瞼を閉ざしたまま、何やらを告げ始める。
「……なぁに?」
「……テッサイさんとか、ハンスさんとか、ゴードンさんとか、レオナさんとか……。商店街の人達は、とってもとっても、忙しいんですって……」
「…………そうらしいね。戦争が終わって間もないから、色々と、様々な品が必要だろうし。商人ギルドも、作り直すんだろう?」
「みたいですよー……。……それでですね。バーバラさんは、財務のお仕事を頼まれちゃったから、それで凄く忙しくて。シロウさんは、シュウさんに駆り出されて、風紀……って言うんでしたっけ……? 盛り場とか、賭場とかの、基準……? 何か、そんなの作るのの手伝いさせられてて、やっぱり、忙しいんですって……。オウランさんは、親衛隊の隊長さんになったから忙しくって、ザムザさんは、魔法術の指南役になったから忙しくって、バドさんは、魔物と動物だけの部隊が作れるならー、ってシュウさんに言われちゃったから、それの研究で忙しくって、シュウさんや、クラウスさんや、キバさんは、凄く凄くすごーーーく、忙しくって…………」
「……うん。僕も知っているよ」
「だから僕……、ここの処ずーっと、フェザーとしか、お話出来てないんです……。一寸前までやってた戦争のこと、よく知ってる人達、シュウさんとクラウスさん以外とは、顔も碌に合わせてないんです……。…………その所為、ですかね……。今までだって、何度もあったのに。カナタさんがトランに帰っちゃって、何日も会えない……ってなっちゃったら……、僕、急に、眠れなくなっちゃって…………。……御免なさい、ホントに……。こんなの、情けないですよね…………」
酷い顔色のまま、瞼を閉ざして。それでも、笑んで。
セツナは言った。
「…………情けない、なんてことはないよ。……但、やっぱり僕はセツナに、御免、かな……」
告げられたそれに、例えば、何処までが本当だろうか、と、『疑っている』かのような某かを思ったらしい色を、瞳の片隅にのみ浮かべて、カナタは、セツナを抱き上げるべく、腕を伸ばした。
「もう、朝になってしまったけれど。……少し眠ろうか、セツナ。一緒に」
小柄で軽い、その体を抱き上げようとしたら、セツナの懐に、小さなナイフが仕舞われているのに気付いて、無言のまま、それを取り去り。
一寸待っててと、上衣と靴を脱ぎ捨ててカナタは、セツナを抱き直すと、するり……と器用に、寝乱れたベッドへ潜り込んだ。
「僕が傍にいるから。ゆっくりお休み。大丈夫、何も『怖く』なんてないから。君の『外』にあるモノも、君の『中』にあるモノも、『怖く』なんかないよ。……だから、大丈夫」
抱き込んだ体の背を、とんとんと、赤ん坊をあやす風に叩いてやれば、少しずつ少しずつ、セツナの呼吸は緩く浅くなって。
眠りの気配を漂わせ始めた彼の耳許で、カナタは囁く。
「……そうじゃ、ないです…………。そうじゃなくって……」
その途端。
セツナは薄く瞳を開き、カナタを見上げ、僅かに顔を歪めたが。
「………………セツナ。『怖く』ないよ」
彼が言わんとした全てを、理解しているとばかりに。
カナタは囁きを繰り返した。
「…………お休み」
そうして再度、眠りを促せば、セツナからの言葉は返らなくなり。
セツナを抱き込むその腕に、カナタは熱と、想いを込めた。
一日も早く、君が良くなりますように。
今の君の眠りが、穏やかでありますように。
『怖くない』、それを君が、信じてくれますように。
何時の日にでもいい、君が『それ』を、必ず認めてくれますように。
君が。
僕の傍らでのみ。
安らかな眠りを得られますように。