得られたのは、深い眠りだった。

昨夜の、気持ちの悪い眠りとは、格段の差だった。

気分も、大分すっきりしていた。

体も、眠る前よりは軽かった。

あれからずっと、抱き締めてくれていたのだろう腕は、暖かいばかりだった。

そろそろと瞳を開いたら、そこに、暖かい腕の持ち主の、白い衣装が広がっていた。

……だからセツナは、悟られぬようにこっそり、溜息を吐いて。

カナタさんに一緒に寝て貰えるだけで、体まで治り始めるなんて、現金って言うかー……、と自らを嘆き、もそもそと身動みじろいだ。

「おはよう。良く眠れた?」

すれば直ぐさま、頭上からカナタの声が降ってきて。

「はい。とっても」

この人は、眠ったんだろうか……、そうぼんやり思いながら、セツナは上向き微笑んだ。

「もうそろそろ、夕暮れになるよ。何か食べられそう? セツナ。食べたいもの、ある?」

「ご飯は、未だ、あんまり」

「そう? スープくらい、飲まない?」

「あー……、そですねー、それくらいなら……」

「なら、誰かに頼んでくるから。一寸待ってて?」

起き抜け、セツナが零した溜息を、多分、聞きはしたのだろうけれど。

それに付いてカナタは何も言わず、笑ったセツナの頭を撫でて、ベッドより抜け出すと、部屋の扉の外に首だけを覗かせ、警備の衛兵に、一言二言告げてより、直ぐさま戻って来た。

「昨日よりも、随分顔色、マシになったね。良かった。熱も引いたみたいだし。これで食欲が戻れば、一先ずは安心かな」

「ええ。……でも、とーぶん、好き勝手にお出掛けするのは、シュウさんも、ホウアン先生も、許してくれないような気がします。うー…………」

「元気になったら、セツナの好きな所、連れてってあげるから。それまでは、我慢。……ああ、処で、セツナ」

「はい? 何ですか?」

「もう一寸して、お願いしたスープ食べて、君が横になったら、少しだけ、出掛けて来てもいいかな。多分、一刻くらいで戻れると思うし」

「……? 何処かに、御用事ですか? カナタさん」

「うん、グレッグミンスター行ってくる」

「………………はい……?」

枕に凭れて、少しだけ身を起こしているセツナの、やはり枕元に腰を下ろし、ケロッと、僅か一刻の間に、黄金の都とここを往復すると言ったカナタに、セツナはギョっと、目を瞠った。

「カナタさん……? もう、ビッキーいませんよ? ルックもいませんよ? メイザースさんだって。瞬きの手鏡も、ありませんよ……? どうやって、たった一刻で、こことあそこ、行って帰ってってする気ですか? それは幾らカナタさんでも……」

「ああ、そのこと。……確かにもう、ここには瞬きの手鏡も、帰還魔法の出口の大鏡もないね。トランに返還したから。だから、トランには、瞬きの手鏡も、大鏡もあるし。今、あの国で星見の役目をしている、ヘリオンもいる」

「ヘリオンさん、ですか? カナタさんの宿星だった、魔法使いのおばあさん?」

「そう。──ここへ発つ前に、レパントに言って、瞬きの手鏡借りて来たんだ。もう、レパントからヘリオンに話が行って、大統領府の何処かに、大鏡も設置されてておかしくないから、使っても大丈夫。ヨシュアが、ヘリオンのいる星見の塔まで、迎えに行くって言ってくれたし」

「えと……。でも、瞬きの手鏡で、バナーの峠、越えられます? あそこって、何でしたっけ……? ジクー……? とか何とか、そんな変なのがどうたらこうたらだから、転移魔法がうんたらー、ってことだったんじゃ……」

「ジクー、じゃなくて、時空。──問題ないよ。やっぱりレパントに、僕が、何とかしてくれって『駄々』捏ねたってヘリオンに言ってくれるよう、よーーー……く、頼んでもあるから。準備万端。向こうからここに戻るのも、ヘリオンが何とかしてくれる筈」

もう、僕達を行きたい所に運んでくれる、魔法使いさん達はいませんと、大きな薄茶の瞳をぱちくりとさせた彼に、さらっとカナタは『事情』を教える。

「……はあ……」

「こういう時くらい、使えるモノは、何でも使わないとね。折角のコネなんだし。……ああ、そんな顔しないの。一応、今回みたいな手段は、非常時のみってことで、滅多に使わないようにはするから。……一応」

「……………………僕、今度、レパントさんと、ヨシュアさんと、ヘリオンさんと、クレオさんに、お礼しに行きますね……」

「気にしなくってもいいってば。……あ、ほら。スープ来たみたいだよ?」

立て板に水の如く、すらすらと語られた『事情』を聞き終え、カナタさんが捏ねる『駄々』って、絶対『駄々』じゃない、と確信し、体調の悪さが齎したのではない、くらくらとした眩暈を感じ、セツナがベッドの中に沈み込めば、何を想像したんだかと、カナタは苦笑を洩らし。

そこへ丁度運ばれて来た、セツナの為のスープに、話を中断されるままに任せて。

病人食にしても、量が少な過ぎると思えるそれを、彼が時間を掛けて食べ終え、食休みも終えるのを待ち。

「じゃあ、一寸行って来る。直ぐ戻って来るから。又、後でね。少し、そのままぼうっとしておいで。眠れるなら眠った方がいいし。今回のことが、何に起因しているんだとしても、君には少し、休息が必要なのは確かだよ」

窓辺の景色が、何時しか宵の口のそれへと移り変わっているのを確かめつつ、カナタは立った。

セツナの部屋を後にしてのち、デュナンの城の正門を潜り、懐から取り出した瞬きの手鏡を薄闇に翳して、それに冠せられた名の通り、瞬きの間にトランへと戻ったカナタは、嫌味なのか何なのか、大統領府の一階、『英雄の間』の片隅に、大鏡が備えられたことに若干憤慨しつつ。

あの恥ずかしい部屋を、誰か何とかしてくれないだろうか、否、いっそ、自ら破壊活動に及んでやろうか、でもあの部屋も、共和国民の税金で作られてるし、とブツブツぼやきながら、生家へ戻った。

「お帰りなさい、坊ちゃん。随分、お早いお帰りですね。セツナ君の具合、どうです?」

「ただいま。セツナの具合は、まあ、今の処は可もなく不可もなく、かな……。……ああ、そういう訳だから、直ぐに向こうに戻る。一寸、品を取りに来ただけだから」

玄関先で出迎えてくれた、留守居役のクレオに、早口でそれだけを言って、つかつかと、彼は廊下を進み。

品? と首を傾げたクレオを背にしたまま、今は亡き父の自室へと消えた。

…………そうしてそれから、四半刻程が過ぎて。

目新しい物は、何一つとして持ってはおらぬ姿で、父の部屋より出て来たカナタは、再び、グレッグミンスター城──大統領府へと向った。