ゆっくりゆっくり、時間を掛けて、最上階へと向かう間。

幾度か、うぇ……、とか、おえ……、とか、不穏な呻きがセツナからは上がったけれどそれでも、何とかかんとか無事に、彼の部屋へと戻ることは叶って、ポイポイと、彼が纏っていた堅苦しい衣装を剥ぎ取り、夜着を着せてから、カナタがベッドに転がしてやったら。

「もー二度と、お酒なんて飲まないぃぃ……」

べそべそ喚きつつ、枕を抱えて身を丸めたセツナは、あっという間に寝入ってしまった。

「……今度、バレないように、注がれたお酒、飲んだ振りして捨てる方法、教えてあげた方がいいんだろうねえ……」

恐らく、寝入る、との自覚もないまま落ちたのだろう先でさえ、酒に魘されているのか、ぶちぶちぶちぶち、寝言で何やら言い続けているセツナを、佇んだ枕元より眺め下ろして、やれやれと、独り言を零し。

正装を脱ぎ捨て、普段通りの姿に戻ったカナタは、春とは言え、朝夕は未だ寒いこの季節の為に、小さな炎が灯され続けている暖炉へと向き直った。

その脇に、細やかに積み上げられている薪を数本焼べて、火掻き棒で少々弄れば、瞬く間に暖炉の火は、真冬の頃に相応しい程の大きさになり。

それを見遣った彼は、脱ぎ捨てたばかりの己の正装を取り上げ、くしゃりと丸め、そのまま、勢いを増した火の中へと、放り込んでしまおうとしたが。

暫しの間、丸め掴んだ手の中の衣装と、暖炉の火とを見比べて、肩を竦めてから、持ち上げ掛けた腕を下ろした。

「燃やしたら、却って当て付けか……」

ぽいっと、暖炉の前の敷物の上に、布の塊を放り投げ、小さく独り言を洩らし、胡座を掻くようにしゃがみ込んで彼は今度は、燃やそうとしていたそれを、丁寧に畳み始める。

────余程のことがなければ、己が、こう、と決めたことを覆さぬ性分をしているのも。

数刻前、この城で行われていたような、『鬱陶しい』建国の式典のような場所に顔を出すのを厭うのも、クレオは固より、レパントも、アイリーンも、良く知っている筈なのに。

何故、それら一切に目を背けて、こんな衣装を押し付け、式典の席に引き摺り出すような真似を彼等がしたのか、午前の内、カナタには、その理由が計りきれなかった。

数週間前終わりを見た、デュナン統一戦争の最中、初めてセツナと出逢ったあの折、舞い戻ったグレッグミンスターにてレパント達と再会した時、彼が言い出した、『この国の大統領の椅子に』、あの科白や想いの延長線上にある行為なのかと、そんな風に考えていた。

そんなレパントの『我が儘』を、アイリーンやクレオは受け入れただけかも、と。

だが、結局放り込まれてしまった式典の席で、己がこの式典に出席しないと決めた本当の理由は……と、それを思い返した時、ふっ………、と。

何故、彼等がこんなことを仕出かしたのか、その訳に、カナタは気付いた。

………………今ではもう、誰一人としてこの世にはいない、養祖父や、義姉や、親友に囲まれて、キャロの街の片隅で、愛情に包まれ、セツナは育ったらしいけれど。

それでも、物心付いた時にはもう、両親ふたおやなかったからなのか、セツナ自身も見付けられない記憶の片隅の、その又奥底に、血の繋がりを持った者と、生き別れるか死に別れるかした時の『憶い出』が、欠片程度は残っているのか。

セツナは、誰かに『置いて行かれる』ということを、極端に嫌がるし、怖がる。

過ぎる程、寂しがり屋という訳ではないが、独りぼっちでいることを、甘んじて受け入れられる質でもない。

大切な人に置いて行かれること、そう感じること、それを彼は、厭う。

だから。

戦争が終わって。

新しく興った国の王になって。

戦争というめくるめく日々の中で、共に泣き、笑いした仲間達が、この機を境に、己の人生の向う先へと歩くべく、この城を発って行くのを、国王となり城に残る彼が、心の何処かで、寂しいと感じているのを、カナタは知っていた。

新国の発足を宣言するあの式典は、彼にとって、大切な人達との別れの宣告でもあるのも。

それ故、抱き締められる程の傍にもいられず、内心など微塵も窺わせぬまま役目をこなすセツナを見ているくらいなら、いっそ、式典が終わるのを何処かで一人待とうと思って、あの場には出向かない……、と決めた己の『事情』を、思い返してカナタは。

…………ああ、だからだ……と、そう思った。

これから創られて行く、デュナンの国に残るセツナ──共に戦った者達を、見送る立場の彼を見て。

……もっと極端なことを言っても許されるなら、大切な人達に『置いて行かれる』彼を見て。

故国トランの戦いが終わったあの夜、誰にも何も告げず黙って──大切な人達に何一つとして告げず、黙って、大切な人達を『置き去りにした』己に。

あの時、『置き去り』にされた者達の気持ちを、少しでも良いから察して欲しいと、レパント達は、そう思ったのかも知れない……、と。

「…………怖い、怖い……」

──丁重に、皺一つ浮かばぬよう畳んだ、敷物の上の正装を眺めて、レパントやアイリーン達が企んだ、『意趣返し』のことを思い。

カナタは、ふざけたことを呟きながら、苦笑を浮かべた。

「別に、『置き去り』にするつもりなんか、これっぽっちもなかったんだけどね。『置き去り』には出来ないから。だから、行方眩ましたんだけど。……なら、一言言い置いてから消えろ、って、そういう言い分なんだろうな……」

そうして、彼は。

普段着と共に、その部屋の片隅に置いておいた、アイリーンがそれを手渡して来た時、衣装を包んでいた布を、引き摺り出して。

「さて。何て言って、これをクレオに渡そうかな」

何を企んだのか、クスクス笑いながら衣装を布で包み、暖炉の火を種火の大きさへと戻してから、立ち上がった。

「……レパントと、アイリーンと、クレオは結託してたんだとして。他の皆はどうだったのか、確かめないとね」

暖炉の前を離れ、ひと度、眠り続けるセツナの枕辺へと寄って、朝までには戻って来るからと、優し気な表情で彼は、届かぬ言葉を耳許で囁いて、一転、至極『愉快』そうな顔付きを拵え。

何処から何処までが、今回の『意趣返し』を知っていたのか確かめる為に、未だ喧噪の最中にあるだろう、宴の席へと舞い戻った。