板張りの床に伏した身を、人々が何とか立ち直らせた時、もう、何処にもヨミの姿はなかった。

探しても探しても、影も形もなかった。

そして、上陸船が一隻、彼と共に消えていた。

故に彼等は、このまま自分が死んでしまったら、罰の紋章が、と考えたヨミが自ら、誰にも何も告げることなく、一人で船を去ったのだと、正しい想像をし。

どうして、だとか、何でそんな馬鹿なことを、だとか叫びながら、どうやってヨミを探すか、どうやって後を追い掛けるかと、罵声を飛ばしながら右往左往した。

自分達の前から彼が消えてしまってより、そう時は経過していないけれど。

一口に、探す、と言っても、大海はその言葉通り、途方もなく広い。

船上の何処から海を見渡しても、ヨミが乗り込んだだろう小舟は、もう何処にも見えないから、向う方向を誤ったら最後、二度と、彼とは巡り会えぬと、彼等はそれに怯えた。

行く場所を、間違えたら。

真夏の海を漂う小舟は、その真夏の中へと、消えてしまうから。

小舟が一隻ない、と言い出したハーヴェイも、何故一人でと、そう憤るリノや、スノウやケネスやタルや、ジュエルやポーラと言った、ラズリルの海上騎士団出身者達も、何とか皆を諌めてと、そう考えたのだろうシグルドも、どうするべきかを考え倦ねるしかなく。

『それ』を、ヨミが望むなら。

罰の紋章が、海の藻屑と消えるなら。

………………微塵も、そう考えなかった者が、一人たりともいなかったと、そう言ったら、それは嘘でしかなく。

重い空気が、辺りを満たし始めた中。

「…………考えましょう。ヨミさん……──いいえ、軍主様をお捜しするのに、最も良い方法の一つや二つ、思い付けない筈はないんですっ」

それまで、何処か俯くようにしていたアグネス──エルイール要塞の崩壊と共に、恐らくは、この世を去ってしまったのだろう、彼等の軍の正軍師エレノアの弟子の彼女が、キッと、伏せ加減だった面を持ち上げて、声を張り上げた。

「……アグネス?」

「エレノア様は……、エレノア様は、多分……。……なのに、エレノア様があんなことになったのに、軍主様までが、だなんて、そんなこと、私には許せません。軍師だって、軍主の為に働いて、軍主の為に死ぬんです。兵士のように。この戦いで、エレノア様が命を落としたのに、軍主様までが、だなんてことになったら、エレノア様も、他の皆も、無駄死にじゃないですか。そうでしょう? 唯、勝てばいい、その為だけに、私達は戦った訳じゃないでしょうっ?」

「………………そう、ね。唯、クールークに勝てば良い、その為だけに、私達は戦った訳じゃないわ。それぞれに、戦う意味があって、戦う理由があって。それを抱えてくれたヨミを、一人、遠い所へ行かせてしまったら、私達、立つ瀬がないわ」

右往左往としている者達を見遣って、何処となく痛々しい声を張り上げたアグネスのそれを聴き終え、今度はリノの娘、フレアが、言葉を引き継いだ。

「彼の為に何も出来なかったら、私達、多分、単なる馬鹿だもの」

そうして、フレアは。

「お父さんも、ぎゃんぎゃん言ってないでっ。ほら、どうしたらいいか一緒に考えてっっ」

目を見開き加減にしている父を振り返り、睨み付けるようにした。

「……んなこたぁな、お前達小娘に言われなくったって、俺だって判ってんだよ。但、どうしたら、間違いを犯さずに、あいつをだな……」

「小娘? 小娘ですって? 実の娘を捕まえてっっ!」

「売り言葉に買い言葉だ、お前こそ、ぎゃんぎゃん騒ぐなっ!」

すればリノは、大人げなく娘に噛み付いて、噛み付かれた娘も又、父へと噛み付き返して。

それまでとは若干違った意味で、巨大船ナユタの甲板が又、騒々しさを一層増した中。

「………………………………あ……」

うるっせー! と、苦虫を噛み潰した顔をして、凭れていた船の縁より身を起こし、怒鳴ろうとする気配を見せ掛けたテッドが、ぽつっ……と、呟きを洩らした。

「どうした?」

テッドの喉より洩れたそれは、余りにも小さ過ぎて、辛うじて聞き留められたのは、傍らのキカのみだったけれども。

「…………俺、判る」

「何が」

「ヨミの居る場所。……何でだろう。今の今まで、魂喰らいの奴、何も答えようとはしなかったのに。急に、罰の紋章の居る場所、教えてきた……」

「本当かっ?」

「おいっっ。小僧っ! テッドっっ! ホントか? 本当に、ヨミの居場所が判るんだなっっ?」

キカの問いに答えた彼の言葉は、周囲の者達にも届いて、ダッと駆け寄って来たリノに、彼は両腕を鷲掴みにされた。

「痛い、って……。──ヨミの居場所っつーか。罰の紋章のある場所、だけど……」

「どっちだっていい、そんなことっ! どうせ聞いたって俺達には、真の紋章の理屈なんか判りゃしねえんだからっ。……で、どっちだっっ。何処にヨミはいるっっ!?」

がしっと、逞しいとは言えないテッドの両腕を掴んでリノが喚けば、テッドは若干、眉を顰め。

「だから、痛いっつーの! 離せよっっ! っとに……。──……何処、と言われると困るけど……。あの方角、としか言えないから……」

リノの腕を振り払って彼は、見詰めていた海の一点を指し示した。

「南西……か。その方角なら、ここからなら、右舷に四十五度程振って、山塊の島と無人島の中間海域を抜ける航路を、ラズリル目指して進めば、辿り着ける。…………シグルド」

テッドの指差した海を、瞳細めてキカは見詰めた。

「はい。ブリッジに伝えて来ます」

そうして彼女は、部下の一人を振り返り。

命ぜられたシグルドは、素早く甲板を駆け抜け。

程なくして、ナユタなる巨大船は、その舳先を、その場より見て南西──ラズリルの浮かぶ方角目指して、海を、掻き分け進み始めた。

全速前進を始めた船が、数里程進んだ頃。

「リノ様! 上陸船らしき影が!」

と、見張り台より、ニコの声が飛んだ。

「船を停めろ!」

上がった叫びは、伝令よりブリッジへと伝わり、船は動きを止め。

見張り役の彼が指し示した場所に浮かぶ影は、果たしてヨミが乗り込む小舟なのかと、人々は、甲板の片側へと寄った。

少しばかり離れた波間に浮かぶ舟は、唯、さざ波に揺れるだけで、動こうとはせず。

固唾を飲んで、見守れば。

たった一人、小舟に乗り込んでいたらしい『誰か』は、戸惑っている風に立ち上がりつつも、高く上げた手を振ってきた。

「さっさと戻って来い、この、大馬鹿野郎っ!!」

そんな、人影へ。

甲板より、リノの、声を限りの罵声が飛んだ。