立ち尽くす、草原の西の彼方に。

ソニエール、と呼ばれた監獄があることに感じ入り。

つい……と頤を持ち上げ、天を仰いだカナタは。

晴天の蒼を見上げながら、ゆっくり、瞼を閉ざした。

青空より隔絶された己のみの闇を見詰め、右手の魂喰らいを通して、セツナの宿している真の紋章──始まりの紋章の気配を探し、来ては駄目だと『命じた』場所より、彼が動いてはいないことを確かめると。

棍を左手に持ち替えて彼は、瞼閉ざしたまま今度は俯き、高く、右手を掲げた。

──そうしていても。

今の彼には、古戦場や、もしかしたら、未だこの草原からは窺えぬ、ソニエール辺りで……かも知れぬ、志半ばのまま命落とした者共の、生前の呟き、怨嗟、痛み、望郷、歓喜……と言った、様々なものが感じられてしまうけれど。

数拍のだけでいい、と、彼は自らに強く言い聞かせ、外界の全てより、『己』を引き上げた。

閉ざした瞼の中にある、己のみの闇へ、自身、という全てを閉じ込め。

カナタは薄く、唇を開く。

「…………我が真なる、生と死を司る紋章よ…………────

形の良い唇を微かに動かして、細く低く詠唱を紡ぎ、魂喰らいを『起こし』。

「……………………真意を、見せてみろ。この、僕に」

普段唱えている詠唱とは、若干の異なりを見せるそれを、彼はその時囁いた。

──────紋章を唱え終えた声が、草原の風に消えて行くのと引き換えに、カナタは瞳を見開いた。

そうすれば、彼の眼前には。

彼にしか視えない……共にある、セツナにすら視えない、『者共』の姿があった。

……………彼が、解放軍の軍主として。

この、トランの大地を血に染めつつ、駆け抜けていたあの頃。

一つの戦が終わる度、彼の目の前に広がった、光景。

累々とした、夥しい数の屍が、まるで、一つの鎖を為すかのように、繋がってさえ見えた、あの頃のような。

無惨な骸と化した『者共』の姿が。

彼の目の前に、あった。

…………が。

カナタの、『真意を示せ』との言葉に答えたかのように、薄く光り出した魂喰らいよりの迸りに、どくどくと流れる血に塗れた屍達は飲まれ。

瞼を開いた瞬間戻って来た、『者共』の、呟きも、怨嗟も、痛みも、望郷も、歓喜も、カナタの傍近くより掻き消え。

草原を覆う緑が悲鳴を上げているかと思える程に強まり、草々を薙ぎ倒して行く、自然には有り得ぬ、放射状に広がりゆく光と風が、辺りを被い尽くして。

「………………何故……?」

──カナタは。

己が呼び覚ました、己の右手に宿る魂喰らい、その迸りへ向け。

ぽつり、呟いた。

確かに眼前にあった『者共』の姿が、くらい風と光に飲まれ、蒸発するかのように『崩れ』て行く姿を、淡々とした眼差しで見詰めながら。

何故だ……と。

「…………カナタさんっ!?」

────と。

風と光に包まれて、百年前纏っていた赤い胴着に良く似た感じの服の裾や、髪を被ったバンダナを逆巻かせつつも、微動だにしない彼を案じ、言付を破って近付いて来たらしいセツナの声がして。

「来ては、いけない」

漸くカナタは、半身分程体の位置をずらし、セツナを振り返って、抑揚なく告げた。

「でも……」

「でも、じゃない。来てはいけない。僕はそう言った」

「……カナタさん……」

愛しい存在を見遣っている筈なのに、その時のカナタの瞳には、何の感情も見受けられず。

セツナは、戸惑いの声音で、再びカナタの名を呼んだ。

「………………何故、だろう…………」

けれど、もう。

カナタは、今だけはセツナへ、興味の欠片も持てぬと言う風に、何故? との独り言を繰り返し。

掲げていた右手を、ふっと下ろした。

──その仕種を合図に、彼と、辺り一帯を包んでいた光と風は唐突に止み。

何時も通りのそれへと表情を戻す瞬間、ふい……っと彼は、肩越しに振り返り、そこにいるらしきモノへ、顔を顰めてみせると。

「……単純な話じゃ、ないかな、これは……」

ぼそり、又何やら一人呟いて。

────御免ね、セツナ。驚かせた?」

今度こそ体ごと、くるっとセツナへ向き直ると、急速に掻き消えて行く魂喰らいの光や風と言った迸りを無視し、にこにこ微笑みながら、窺って来るような表情のままある少年へと近付き、抱き締め。

「……落ち着いた? 本当、御免ね、驚かせて。一寸、『予想外』だったから」

ぽんぽん、とその背を撫で、薄茶色の髪の中に頬埋め、静かに宥めた。

「僕は最初っから何ともないですけど……。カナタさん、具合は? 予想外……って、何か、変なことでもありました? だいじょぶですか……?」

そうされてやっと、何時も通りのカナタが戻って来たことを実感出来たセツナは、あからさまに顔を緩めて、ほっとしたように、カナタへと縋り付いた。

「うん、大丈夫。お陰様で僕はすっきり。未だ一寸、頭痛いけどね」

…………『自信』の表れか、それとも、愛情の表れか。

左手に携えていた棍すら大地に打ち捨てて、ぴとっと貼り付いて来たセツナをそれまで以上に深く抱き、軽い調子で言いながらも。

その時、カナタの眼差しは、何処か遠い場所を、鋭く見詰めていた。