握った棍の先で、この辺りにソニエール監獄は建っていた、と。

カナタが示した場所を、ふーん、と眺め。

「見事に、何もありませんねー」

きゅっ、と小首を傾げながらセツナは、歩を進めた。

「ああ。トランの国が起ってから、何年後のことだったか、僕も正確には覚えていないけれど。確か、レパントが大統領に就任して程ない頃に、取り壊した筈だよ」

セツナの、一歩後ろを歩きながら、懐かしそうに辺りを見回しつつ、のほほん、とカナタは答えた。

「どうしてです?」

「物が物だからね。共和制に移行してのちも、流用出来ない施設ではなかったけれど。やっぱり、物が物だから。赤月帝国時代の悪政を、或る意味では象徴するような施設は、新国には相応しくない、と判断したんだろう。ソニエール監獄は、環境的に酷かったし、帝国時代の末期には、謂れのない罪を擦り付けられて、とか、赤月帝国に対する反逆罪で、とかね、そう言った……まあ、所謂、『罪もない人々』が繋がれ、刑に処されて来た所だから」

「悪い意味での、象徴、ですか……」

「そう言うこと。悪しき象徴、古き象徴、そういう物は、何かが起こる時には、討ち滅ぼされるべき物だ」

「…………僕だったら、変な処に貧乏性発揮して、再利用しちゃいそうですけどね」

「経費節減が、国の第一信念ならば、それもありなのかもだけど。……って言うか、僕自身には、どうでもいいことだけど。……でもそれって、物凄いビンボー国家だなあ……」

かつて、ソニエール監獄が聳え立っていた、今は石塊の一つすらない『そこ』へ、ほてほて歩みつつ。

セツナはカナタに教示を求め、求められたカナタは、淡々と語り。

冗談で終わった教示の最後に、彼等は見詰め合い、笑い合った。

──どうでもいい話はさて置き」

けらけらと笑いながらも、進むことを止めなかった二人はそれでも、やがて立ち止まって。

「丁度ここが、あの頃、監獄が建っていた場所、その中心。…………セツナの、御所望の場所だよ。────セツナ? 君がここに連れて来て欲しいと、そう言ったから。僕達はここまで、やって来た。……君はここで、何がしたいの?」

どうやって見定めたのか、その真相は謎のまま、カナタは、今自分達の立っている場所が、セツナの求めた場所だと告げ。

ふわり、と、まるで生家を案内しているかのように、おどけた仕種で、両手を広げてみせた。

「…………お祈りがしたかったんですよ、カナタさん」

すれば。

トントン……とセツナはその場に、携えていた荷物や、腰に下げていたトンファーや、纏っていた薄茶色のマントを置き。

カナタと同じく、百年前身に付けていた衣装と良く似た、赤い胴着のような服を着込んだ姿を晒して。

すっとその場に、しゃがみ込んだ。

「お祈り、ね……」

「ええ、『お祈り』です。…………いけませんか」

「そんなことはないよ。けれど……『お祈り』、か」

しゃがみ込み、合わせるべく持ち上げた両手の動きも止めぬまま、ほんわりと笑って見上げて来たセツナへ、カナタは眼差しを細める。

「はい」

「又、どうして?」

「判ってるくせに。カナタさんってば」

「…………そうだね」

セツナの言う『お祈り』、その真意を彼は問い質したけれど、返って来たのは、知っているでしょう? という台詞と、変わらぬ微笑みだけだったから。

やれやれ……とカナタは、溜息のように、長い吐息を吐いた。

「『お祈り』は、亡くなってしまった人へ、捧げるんですよね」

「……ああ、そうだよ。言うべくもなく、ね。──────自分で言うのは何だけど、セツナ」

「はい?」

「僕は自分で自分のこと、結構ね、『やり手』かも、って思ってるけど。君も充分、『やり手』だよ。まさかこうして、君の手により、『確認』させられるとは思わなかった」

「…………でも、『知ってた』でしょ?」

「そりゃ、まあね……。全く……化かし合いの才能ばっかり、磨いちゃって……」

「カナタさんのお陰ですー、だ」

吐息を零した後。

苦笑を浮かべ、カナタがセツナを見遣れば、しゃがみ込んだままの彼は、んべー、と舌を出して。

「辛いこと…………言わなくても、良かったのに…………」

ぽつり、誰へともなくそう言うと、そのままセツナは、祈りを捧げ始めた。

恐らくは、今はもう亡き、『彼』へと。

「……君は…………──

──随分と、長い間。

姿勢も崩さず、一心に祈り続けるセツナを見下ろし、低く小さく、カナタが言った。

「………何ですか?」

祈りが終わったが為かそれとも、カナタの呟きを拾った所為か。

閉じていた瞼を持ち上げ、セツナが又、笑った。

「……ん? ……何でもない。『お祈り』、終わった?」

君は、と。

セツナと視線がぶつかった瞬間、言い掛けていた言葉を飲み込み、カナタは綺麗に微笑んだ。

「あ、はい、終わりましたよ。お待たせしちゃいましたね」

「いいんだよ、そんなことは気にしなくて。じゃあ、行こう……────ああ、そうだ、僕も」

パンパンと、膝に付いた土を払って立ち上がったセツナに、もう行こう、と促し掛けて、彼は、思い立ったかのように、セツナが跪いていた辺りを振り返り。

軽く、黙礼をすると。

「…………グレミオ。誰の所為でもなくてね………。……ああ、まあいいか、そんなことは。────僕は、唯……。ああ、そうだね……僕は唯、あの頃と変わらず、今も尚、こうしているだけだしね。だから……すまないね、グレミオ。『赦してくれ』とは、言わないよ」

静かに、穏やかに、語り掛け。

「じゃ、今度こそ、行こうか。先は長いし」

「はーい」

黙礼が終わるのを、じっと待っていたセツナの手を引いて、カナタは歩き出した。

己に伴い、セツナが足を動かしながら、一瞬だけ、額いていた場所を振り返ったのに、気付いてはいたけれど。

その時セツナがにっこりと、鮮やかな笑みを、今は亡き『彼』へと送ったのは知らずに。