ソニエール監獄の『跡地』にて、祈りを捧げてより、一、二週間後。

二人は、竜洞騎士団の勢力圏内に今も変わらず存在する、シークの谷を訪れていた。

百年前、共に戦ったフッチの故郷でもある竜洞騎士団の城に、着くが着くまでセツナは、いきなり訪れちゃって平気なのかな、でも、あそこを経由しないとシークの谷って辿り着けないって聴いたし、と、少々及び腰を見せていたけれど、現在、竜洞騎士団々長の地位にある、真なる竜の紋章宿した女竜騎士は、在りし日のカナタを良く知っているのかそれとも、あの頃を知る人々がこの世を去った今でも、『トランの英雄』は、至る所で『顔パス』なのか。

門番に、カナタが名を告げただけであっさりと、二人は領内に迎え入れられ、丁重なもてなしを受け、剰え、竜を使ってシークの谷へ送り届けて貰いすらしたので。

「…………カナタさんって……未だに有名人なんですか……?」

腕を組みつつシークの谷を歩きながら、素朴な疑問を、セツナは口にした。

「有名人、ねえ。どうかな。……まあ、セツナも僕も、世間では、『伝説の人』とやららしいけどね。だからそういう意味では、僕達二人共に、有名人、なんだろうけど。生きてる内から、伝説にされても困るし」

こっちこっち、と谷の中を、セツナを案内しつつ進みながら、素朴な疑問にカナタは首を捻った。

「生きてる内から伝説ってのは、確かに困りますねー」

「だろう? 伝説なんて言葉は、死人しびとに冠すべき言葉だよ。僕達には未だ、『未来』がある」

「あ、でも。ハルモニアの人達的には僕達、『伝説の有名人』って言えるかもですよ」

「…………あそこの連中にとって僕達は、『有名人』ではないよ。『お尋ね者』って言うんだよ」

吊り橋を渡り、細い道を昇り降りし、階段を越え、幾つかの分かれ道を正しく選択しながら。

二人は何時も通りの調子で、会話を続けた。

「うー……。確かに……」

「僕達だけじゃなくって。ハルモニアには与しない、真の紋章を宿した者全て。あそこの連中にとっては、『お尋ね者』だ。皆それぞれ飄々と、僕達がそうであるように、ハルモニアの手から、逃れ続けているんだろうけどね」

「……あ、そう言えば、この数十年、静かですねえ、ハルモニア」

「焦らずとも良いんだろう。こちらが不老なら、あちらも不老だ。時間は、幾らでもあるに等しい」

「…………止めましょっか、この話題。唯でさえ、この谷って暗くて不気味ですし。ハルモニアの話なんてしてたら、益々暗くなっちゃいそうですから」

「そうだね。そろそろ、終点だし」

ああでもないの、こうでもないの。

シークの谷を進みながら、世間話のように二人は言い合い。

やがて、辿り着いた『終点』、そこで一度ひとたび、口を噤み。

「もう一度、ここに来ることがあるなんて……正直、思わなかった」

岩々を被う、沢山の、煌めく水晶に囲まれた、小さな広場のようにもなっている行き止まりを指差して。

ここだよ……とセツナに伝えながらカナタは、本心からの言葉を吐いた。

「…………やっぱり、君は『お祈り』をするの?」

指し示された場所を、何処か食い入るように見詰めている恋人へ、カナタがそう尋ねれば。

「はい、その為に、僕はねだってここへ連れて来て貰ったんですから」

にこっと微笑んで、かつてソニエール監獄だった草原にてしたように、セツナは荷物達を放り出し、『お祈り』を捧げるべく、跪き始めた。

「…………僕も一緒にしようかなあ、『お祈り』。テッド、やっほー、って」

「……又、かるーいノリですねー」

「だって……ねえ?」

「そういうノリは、テッドさんが『視えてる』時に、直接やったらいいと思うんですけど」

「僕に視えているモノが、本当にテッドの幽霊だ、って判ったらね、やる」

「その時には僕にも、テッドさん、紹介して下さいねー」

己より一歩下がって、『茶々』を入れて来るカナタを笑っていなして。

じゃ、お祈り始めますから、とセツナは、両手を合わせた。

「……………………御免なさい」

カナタではない『誰か』へと、静かに告げ。

彼は祈りを捧げ始める。

そんなセツナを長らくの間、カナタは黙って見下ろしていたけれど。

「…………ねえ、セツナ」

セツナの祈りが終わる頃、徐に彼は、恋人を呼んだ。

「はい、何ですか?」

「この間、ソニエールの跡地でね。君は、何を祈ったの? 何を告げたの? グレミオに」

「え? そんなの、決まってるじゃないですか。御冥福をお祈りしたんですよ。安らかに、眠って下さい、って」

「……なら、今は? 今君は、テッドに何て告げたの?」

「一緒ですよ。グレミオさんの時と」

「御免なさい、って言いながら?」

「…………ええ、まあ……」

両手の、祈りの形を崩しながら。

名を呼んだカナタを振り返れば、優しい面差しで、そう問われ。

セツナは少し曖昧に、言葉を濁した。

「君がそう言うんなら、そうなんだろうけどね。…………セツナ。御免ね」

と、カナタは、何故か困ったように笑って。

御免ね、と、謝罪を舌の根に乗せた。

「何がですか?」

が、セツナは、カナタに一体何を詫びられているのか判らなく、首を傾げた。

「…………御免。セツナ、君が今、テッドに告げたこと、それは恐らく、僕が決めること。他の誰でもない。テッドでも、君でもなく。僕が決めること」

「え…………?」

────大丈夫だよ、心配しなくても。君の逝く時が僕の逝く時であり、僕の逝く時が君の逝く時だ。だからテッドに、謝ったりなんてしなくていい。何時か、君が僕を討つ時があるかも、なんて、言わなくていい。誤魔化しても駄目だよ。君は今、そう言ったろう? 『テッド』に。……多分、でしかないけれどね。君はそれを、音にした訳じゃないから」

「……えっと……ですね、カナタさん……」

一体、何の話だろう、と、首を傾げたままカナタを見詰め続けれは、ゆっくりと、柔らかく、謝罪の意味を語られ、セツナは僅か、顔色を変えた。

「セツナ。例え、何があろうとも僕は生きて行くのだと、そう考えた始まりが、『俺の分も生きろ』と言った、テッドの言葉にあるとしても。その『信頼』を、僕が裏切ることなくとも。『だから』僕は、生きているんじゃない。その言葉があるが故に、僕は生を絶てない訳じゃない。……今は、もう」

さっ……と。

顔色を変えたセツナを、唯々、柔らかく見詰め。

カナタは、言の葉を紡ぎ続けた。

────だからね、セツナ」

「……はい……」

「御免なさい、なんて、君が言う必要は何処にもない。そんな『決意』、固めなくていい。僕はもう、テッドの言葉に導かれるように生きている訳じゃないから、『取り戻そう』なんて、しなくていいんだよ、セツナ。あれから百年が経って、君は確かに僕の物となり、僕は君の物となったんだ。………ああ、序でに。そんなこと、君はしなくってもいいんだから。その為に、僕に勝とうなんて、無駄な努力もしないように」

そして、カナタは微笑んだまま。

シークの谷の最奥に、跪き続けるセツナのこうべを優しく撫でた。