「それと同じでね、セツナ」
幾度も幾度も、セツナの、薄茶色の髪を撫でながら。
「グレミオにもね、何も言わなくたって、いいんだよ」
カナタは、話を続けた。
「何を……ですか……」
「『懇願』、なんて。言わなくていい。グレミオは確かに、僕の母代わりで、実の家族よりも近しかった者だけれど。実の母ではないから。────セツナ。百年前のあの頃、僕は心の何処かで、テッドとグレミオの死を、認めたくないと思ったのかも知れない、とは言った。でもね、僕は最初から、死人に捕われてはいないから。例え、懐かしい人々の『姿』を、これから先も見続けなくてはならないかも知れない現実を、僕が背負ったとしても。死人はもう、僕には関わること出来ないのだから。僕の母代わりだった人に詫びる必要もなければ、色々と……ね、『訴える』必要もない」
「…………えっと………。あのですね、カナタさん。その…………──」
「──────いいんだよ。だからね」
「はい……」
「セツナ。共に、ゆこうね」
「……はい…………」
最後に、一度、くしゃりと髪を乱すように強く撫でて。
カナタはするりと腕を動かし、かつて親友を失った、その同じ場所で、手に入れて程ない恋人を抱き締め。
真摯な声音で以て。
共に、ゆこうね……と告げた。
百年、何度も繰り返されて来た言葉に、セツナが返した応えは、常のそれ。
けれど、常の応えよりも遥かに、心底嬉しそうに、セツナはカナタに、はい、と返した。
「…………共にゆこうね」
「はい」
「僕は君の、傍にいるよ。君の傍にいたいから」
「はい。…………カナタさん」
「なぁに? セツナ」
「傍にいますね。僕の傍に、いて下さいね。共にゆきましょうね。幸せになりましょうね。ずっとずっと、一緒ですからね…………」
「ああ、そうだね。──ゆこうね。Shangri−Laの果てまでも。……もしもあるなら、後の世までも」
だから。
ことり、との。
物音一つ立たぬ、シークの谷の直中で、抱き合ったまま彼等は、この上もなく幸せそうに、言い合っていた…………が。
「────あ」
「……どうして、こうなるのやら……」
突然、二人の肩がぴくりと動いて、はっ、とセツナは顔を上げ、カナタはげんなりと俯いた。
「良くもまあ、こんな所でイチャ付けるよね。どういう神経してるのさ」
──何らかの気配を感じ持ち上げた面を、セツナがきょろきょろと動かし、項垂れた面の中から、カナタがじとっと辺りを見遣った時。
唐突に、それまでその場にいなかった人物の声が沸き起こる。
「ルックっ! やっぱり、ルックだっ! わーい、久し振りーーーーっ!」
瞬きの魔法の波動で、細やかに空間を揺らめかせ、姿現した人物は、トラン解放戦争時はカナタの、デュナン統一戦争時はセツナの、戦友──と言うよりは、どちらかと言えば悪友──だった、風の魔法使い、ルックで。
「どーーーしちゃったの、ルックっっ。ルックの方から、僕達の前に来るなんてーーーっ。うわー、うわーーー、どれくらい振りっ? グラスランドで別れたっきりだよね。だから、えっと………えーっと…………──」
相変わらず──まあ、意匠に若干の相違はあれど──、法衣を纏った姿のルックに、瞳をきらきら輝かせて、セツナは駆け寄ろうとした。
「…………本当、久し振りだね。君と再会するのは、もっとずっと先のことだと、僕は思っていたけど。何か、予定でも変わった? 何の用かな、ルック」
けれど、己の腕の中から抜け出して、懐かしい友へと近付こうとしたセツナの襟首を──これが、百年前のあの頃ならば、カナタが掴んだのは、セツナがトレードマークのようにしていた、ゲンカクの形見だという黄色いスカーフなのだろうが、流石にあれから百年も経てば、日々身に着けるには問題があるから、件のスカーフは、彼等の荷物の奥底に、今はひっそりと仕舞われている──、グッッとカナタは掴み、引き寄せ。
「……ぐえっ」
襟首だろうがスカーフだろうが、強い力で引かれれば、喉元が締まるのは道理で、蛙が潰れたような声を絞ることとなったセツナを、背中から抱き、恋人の胸許で絡めた己の腕の中に、彼は閉じ込め直した。
「ふーん…………」
そんな二人の様を、冷めた目付きで眺めながら、馬鹿だね、という顔を作ったルックは、納得したように頷く。
「何か? ……ああ、それよりも。ルック、君は本当に──」
「──そういう、『けじめ』の付け方したんだ、カナタ。ま、今度会う時までには、けじめの一つも付けとくんだね、って言った覚えあるし。君のことだから、こうなる、とも思ってたけど。『けじめ』付けても、溺愛になるなんてね。君にそういう処があるとは、思ってなかったよ、僕は。────ああ、処でさ」
トランの国の片隅に、ひっそりと住まっているだろう風の魔法使いが、こんな所まで一体何をしに来たのか、問い続けるカナタの台詞を遮って、やだやだ、とルックは溜息を付き。
「………………カナタ」
彼は、立ち尽くしていた場所より歩き出して、カナタの近くへ進むと。
問答無用、とばかりに、勢い良く、握っていたロッドを振り上げ、カナタの頭目掛けて振り下ろした。
「何十年振りかの再会を果たした、それはそれは懐かしい友人に対しての挨拶が、それかい? ルック」
風切り音さえ立てて、鋭く振り下ろされたロッドを、あっさりと掴み、片手で押さえることとなったセツナの体も逃さず。
にこにこっ、とカナタは、悪友へと微笑む。
「当たり前だろうっ! ──十日程前っ! 昔、ソニエールがあった辺りの野っ原で、自分が何をしたか記憶にない、なんて言わないだろうねっ! 君に何があったのかなんて僕は知らないし、興味もないけどっ! 何であんな所で魂喰らい解放すんのさ、いい迷惑だろうっ、この穀潰しっ!」
が、顔色一つ変えず、渾身の一撃を飄々と受け止められてもルックは諦めず、ギリギリと、両手で掴んだロッドへ与える力を増して。
カナタへ向け、盛大な悪態を吐いた。
「……僕も、ルックに限らず色んな人に、色んなこと言われて来たけど……。穀潰し、って言われたのは初めてだなあ……」
けれど、ひょいっとカナタはロッドを受け止めた腕の手首を返して、ルックの手から杖を取り上げると、はい、と投げ返し。
「ルックの方にまで、迷惑掛けた覚えはないんだけど?」
心外、とでも言う風に彼は、軽く首を捻った。