「怖い部分、ですか?」

「…………そう。『怖い部分』。醜い部分、と言い換えてもいい。この世に数多ある、その殆どは、僕にとってどうでもいいことだけれど。愛している君のことだけは、別だからね。──君は僕の灯火であり、宝物であり、最愛の人だから。僕は君を失いたくなくて、手放してあげることも出来なくて、逃したくもない。……僕は、多分。君の『全て』が欲しいんだと思う。身も、心も、命も、後の世まで続く未来も。………………そして、『過去』も」

────茜色を写し取る、セツナの大きな瞳を覗き込んで。

カナタはゆっくりと、己が『醜さ』を語った。

「…………判ってはいますけど。カナタさん、我が儘ですね」

「ああ、そうだね」

「でも、仕方ないですね」

『想い出』さえも欲しい、と。

そう言う恋人に、セツナは困ったような溜息を零しながらも、夕焼けの中、にこっと笑った。

「カナタさんと出逢って、五十年目には接吻くちづけを。百年目には躰を。僕はカナタさんに差し出しちゃいましたから。…………元々、僕の未来も命も、カナタさんの傍にありますから……、そうですねえ……後はもう、『過去』くらいしかないですもんね、僕がカナタさんにあげてないモノ。…………ま、それも大分、あげちゃいましたけど」

…………ふわり、と微笑んだ、彼は。

「僕の想い出の中に残る風景の全てに、カナタさんの姿しか見えなくなっても、僕は幸せですから。だいじょぶですよ、カナタさん」

両手を伸ばし、腕の中に己を閉じ込め続けるカナタの首に縋って、今一度のキスを、自らせがんでみせた。

だからカナタは無言のまま。

縋って来る恋人を更に深く抱き込み、再度唇を重ねるべく、セツナの頬へ、揃えた指先を添え。

その面を近付けたけれど。

「…………勝手なことを……」

突然、降って湧いた女の声に、彼等は行為を打ち切られた。

────ああーーーーーーっ! シエラ様ーーーーーーっ!」

「………どうして、ルックの時と同じパターンを辿るんだろう…………」

──その女人の声は、そちらをバッと振り返ったセツナの叫びが物語ったように、吸血鬼の始祖である、シエラの物だった。

齢九百歳を優に超える彼女は、カナタとセツナにさえも気配を悟られず、音も放たず、宙を舞う綿のように近付く術を、良く心得ているのだろう。

一体何時から彼女が、彼等二人の『逢引現場』を眺めていたのかは判らぬが、二人の佇む大木近くまでやって来ていた彼女は、ツカツカと近付くと、ベリッと音を立てんばかりに、引っ付いたままだった、セツナとカナタを引き剥がし。

「ほんに御主は強欲じゃの。過去までも奪えば、満たされると言うのかえ?」

あからさまに喧嘩を売っているような態度で、ツン、とカナタへ言い放ち。

「カナカン以来じゃの、セツナ」

一転、にこっと微笑んで、セツナを見下ろした。

「………………お久し振りですね、シエラ『長老』」

カナタもカナタで。

渋い顔一つ見せず、好青年然とした笑みを頬に張り付け、長老、との一言に、必要以上の力を込めつつ慇懃に、シエラを眺めた。

「相変わらず、無礼な未熟者ぞな」

「そちらも、相変わらずだね」

「変わる訳がなかろう?」

「…………それは、お互い様だね」

「察するに。下らぬ振る舞いだけは、止めたようじゃな、御主。そこだけは、セツナに免じて褒めて遣わしても良いが」

「貴女に褒められる義理など、僕にはない。……………そろそろ、セツナを返してくれないか?」

一見、美男と美女が情熱的に見詰め合っている風な様相を醸し出しつつも。

セツナを、『我が子』を慈しむ風に引き寄せ続けるシエラより、しっかり奪い返してカナタは、再会の初手から始めた、全開での『やり合い』を、一先ず打ち切った。

────デュナン湖畔の城にいた頃より、シエラを慕い続けているセツナと、セツナを『お気に入り』と称するシエラとの関係とは違い。

カナタにとってシエラは恐らく、『気に入らぬ』部類に属しており。

シエラにとってカナタは間違いなく、『気に入らぬ』部類に属している。

故に彼等は出合い頭より、底はかとなく、険悪な雰囲気を漂わせるに到り。

「あーのー…………。処でシエラ様? どうして、ここにいるんですか?」

板挟みって、好きじゃないんだよねー、と、心の中でのみ呟いたセツナは、こーゆー時は、わざとらしかろうと何だろうと、話を変えるのが一番っ! と、彼が良く使う手で以て、二人の間に渡った雰囲気を、すぱっと断った。

「おお、そうじゃ。……すまぬの、御主に気を遣わせた。──付いて来るが良い」

すればシエラは、何やら思い出したような顔付きになって。

セツナとカナタの二人を従えるように歩き出し、躊躇うこともなく、セツナの実家である道場の中へと、入って行った。