家の中に置かれている物が少々姿を変えているのみで、あの頃と大差ない道場の中を、きょろきょろと覗いて歩いた後、セツナは駆け足で──カナタとシエラを何時までも二人きりしておくと、きっと後が怖い、と踏んだが為──食堂に戻り。

「ここ、誰か住んでるんですか? もしかして、シエラ様が?」

本当に久方振りの我が家の台所に立って、嬉々としながらお茶を淹れつつ、疑問を口にした。

「妾は住んでおらぬ。唯、借りただけぞ」

「……借りた?」

「御主、知らされてはおらぬのか? 御主がカナタと出奔した後も、軍師──シュウが、人を雇ってここを管理させておったのじゃ。あの者が逝ったのは、もう何年も前だそうじゃが、未だに、あの者の言付は生きておるようで。ここを管理している者に、一月程前、借り受けた。デュナン国を建国された伝説の英雄様が、育たれた家だから、とか何とか、その者にはごねられたが。……まあ、やり用はあるでの」

「シュウさんが逝ったのは、何年、なんかじゃなくって、もう、五十年以上も前のことですよ。…………でも又、何で?」

──半月程前。

グレッグミンスター郊外にある墓所で、誰某がこの墓地には眠っていて……と言い出したカナタへ向け、百年以上もの間、片時も離れずにいたのにどうしてこの人は……、と訝しみを抱いたくせに。

彼も又、あの頃デュナンの城にいた者達がどのような行く末を辿ったのか、きちんと知っていたようで。

さらっと、シエラの言葉を訂正してから彼は、淹れ終えた茶を、カナタとシエラに振る舞った。

「ここでのんびりと、人の世でも眺めておれば、その内に御主達がやって来ると思ったからじゃ。……いきなり、『らぶしーん』を見せつけられるとは思わなんだが」

香ばしい香りを放つ茶碗を取り上げ、やれやれ……とシエラは言う。

「……では。何故、僕達に会おうと思った?」

どうしても、『嫌味』を言いたくて仕方がないらしいシエラの、そんな口振りを受けて。

それまで沈黙を守り続けいてたカナタが、徐に口を開いた。

「先月、トランでルックに会った。去年、レックナート様の許を、シエラ長老が尋ねて来たから、覚えておいて、と言われたよ。それ程に、僕達に会いたがった理由は?」

「知りたいかえ?」

何処となく……と言っても、セツナには察せられる程度の、『細やか』な喧嘩腰でカナタが問えば、くすっとシエラは笑って。

「どうじゃ、御主。『死霊』が視えるようになった気分は」

その紅玉の瞳で、カナタの漆黒の瞳を射抜いた。

「何故?」

問いに返された『問い』に、簡潔な台詞をカナタは返す。

「そろそろ、そんな時期かと思うての。御主に宿る以前の、魂喰らいの継承者を知っている訳ではないが、千年近くも生きておれば、色々と、『どうでもいい噂』という奴が、耳に入って来る」

「……噂?」

「そう。噂じゃ。魂喰らいをその身に宿した者は何時しか、その者が、望む、望まざるに関わらず、『死霊』を見遣るようになる、と。そんな噂を、遠い昔に聞いたことがあるわ。宿してから百年程が経つと、誰でもそうなるらしい、とな、妾は噂で、そう聞いた。宿主が、魂喰らいと『本当の折り合い』を付けると、従わさせられたことに対する嫌がらせのように、そうなることもあるらしい、とも」

「…………成程、ね……」

──噂、と言っても。妾が耳にする『噂』じゃ。単なる噂ではないぞえ? ……だから。ならば御主も又……と。そう思った。未熟者が、『死霊』を視る気分というのは、さぞいたたまれぬに相違なかろうから? だから、御主に会ってみたい、とな、妾は思ったのじゃ」

「まさかとは思うけど。僕が『死霊』を視るようになって、『困ってる』姿を眺めて楽しもう、とか、悪趣味なこと考えたんじゃないだろうね」

去年、レックナートの許を訪ねた理由、今、この道場を借り受けている理由、それに対するシエラの答えに、カナタは嫌そうに顔を歪めた。

「ま、それも一興ぞな」

「…………年寄りの、馬鹿みたいな道楽の為に、道化になるつもりはないんだけどね」

「何を下らぬことを言っておるのか、御主。御主が一人で生きていると言うなら、一興の為だろうとも、ここまでやって来たりなぞせんわ。そもそも、未熟者の困惑なぞ、一興にすら値せぬしの」

あからさまに、カナタが顔を顰めてみても、シエラは唯、コロコロと笑うだけで。

あーあ、始まっちゃった、と、そっぽを向いて茶を飲み出した、セツナをちらり窺い。

「幾度も、御主には告げた筈じゃ。妾は、セツナのこと『は』、気に入っておると。じゃから、御主のその不様な今が、セツナを困らせたり悲しませたりしておらぬか、それだけが気掛かりで、様子を窺おうと思っただけのこと。────カナタ」

「…………何か?」

「『巻き込む』でないぞえ?」

何時の間にやら飲み干した茶碗を、すっと傍らに避けて彼女は、鋭くカナタを見据えると、ガタリと席を立った。

「あれ? お出掛けですか? シエラ様。もう一寸したら、お夕飯作ろうと思ってたんですけど」

彼女が立ち上がった音に、そっぽを向いていたセツナが、首の角度を戻した。

「出掛ける訳ではない。寝て来るだけじゃ」

お夕飯、一緒に食べましょうよー、と、縋る目をしたセツナに、何処にも行かぬ、とシエラは言って、台所よりさっさと、姿を消してしまう。

「…………クソババア…………」

カタリと、音を立てて戸を閉めて、その言葉通り、眠りを得に向かったらしいシエラへ、ポソリ、カナタは悪態を吐いた。

「……へっ? カナタさん、今、何て言いました…………?」

────今、信じられない台詞を、この人は言わなかった? と。

カナタの口より、シエラへの罵りが零れた瞬間、セツナはぎょっと目を丸くしたけれど。

「別に、何も。──それよりも、セツナ。お夕飯、作ってくれるんだろう? 楽しみにしても、いい?」

空耳だろう? ……そんな顔をして、カナタは鮮やかに笑い、熱を失い掛けた茶碗を、優雅に取り上げてみせた。