恐らくは。
『貪る』という表現が相応しい程、セツナを掻き抱き続けて。
崩れ落ちるように眠った彼に、細やかで柔らかいキスを一つだけ送り、カナタはその部屋を出た。
緩めの着付けで寝間着を整え、台所の方へと向かえば、そこではシエラが一人、酒を嗜んでおり。
「……『御主のみ』が望む道行きに、セツナを巻き込むな、と忠告したであろう?」
ワインで満たされたグラスを傾けながら彼女は、姿見せたカナタを、ちろっと一瞥した。
「余計な世話だ」
溜息と、呆れ混じりのシエラの言葉に、カナタは肩を竦める仕種で答えて、座したシエラの対面に腰を下ろす。
「セツナもセツナじゃ。このように貪欲な男の、何処に惚れたと言うのやら。──飲むかえ?」
「ああ」
己達が何をしていたのか、悟られていると気付いても、態度を変えないカナタに、それでもシエラは、新しいグラスを差し出し、酒を注いだ。
「……さて、セツナも寝たことだし。話の続きでもしようか、『長老』? 一体僕達……いや、僕に、何の用だ?」
差し出された酒を、素直に受け取って、飲み干し。
ホ……と軽い吐息を吐いて、カナタは改めて、シエラへと向き直った。
「────のう、カナタ」
…………良くしたもので。
未だ、語り足りないことがあったのをカナタが察していたのを、当然のように受け止め。
「御主、セツナと別れる気はないかえ?」
ゆるゆると赤いワインを飲み下しながら、些細な世間話を語るかの如く、シエラは言った。
「御冗談を」
態度だけは軽い調子で、が、眼差しだけは真摯に、曰く、『愚問』を告げた彼女に、彼は、鼻で笑ってみせる。
「……じゃろうな。そう言うと思ったわ。本当に、世話の掛かる…………。──ならばカナタ。受け取るが良い」
「…………え? これは……星辰剣…………?」
問い掛けに返される言葉など、端から予想していた、と、シエラは溜息を零して、ひょいっと傍らに立て掛けておいたらしい『何か』を取り上げ、コトリ、机の上に置いた。
置かれた『それ』を、カナタは凝視し、正体に気付くや否や、軽く瞳を見開いて、そっと、剣に触れる。
「どうして…………」
「預かって来たからじゃな。あの、熊のような傭兵に。────尤も、それはもう百年も前の……『あの頃』の話で。もしも何時か、御主の『相棒』が、カナタやセツナに必要となる時が来たら、預からせて欲しい、とな、約束をしたのじゃ、あの熊と。じゃから……妾が、本当に星辰剣を預かりに向かった時はもう、持ち主はあの者ではなかったが、『遺言』は、生きておったようで」
「………………ふう……ん……」
「『あの頃』の。あの者は……ビクトールは、酒の上でこの話を申し出た妾に、何一つ理由を訊こうともせず、笑って快諾しおった。何時かそんな日が来ると言うなら、例え己が死に果てていても、この剣だけは必ず、御主達の手に渡るようにする、と」
「律儀だよねえ……ビクトールって……」
今、この場に、兄のような存在だった男の懐かしい面影を鮮烈に思い起こさせる、一振りの剣がある理由を、シエラより聞かされ。
カナタは、星辰剣に触れ続ける己が指先に、そっと、想いを乗せた。
「……そうじゃな」
そんな様を見せながら、微かな憂いでその睫毛を震わせたカナタを眺め、シエラは、御主は愚かじゃの……と、ぽつり。
「愚か、ね……」
吐かれたシエラの呟きを、カナタの耳朶は拾い上げたけれど、反論も、きつい眼差しも、彼より彼女へ、渡ることはなく。
「御主は百年、無駄にしたのじゃ。それを、愚かと言わずして、何と言う? 結局、己の想いを誤魔化し切れなんだと言うなら、御主の古き百年は、唯、無駄に流されただけじゃ。──かつて、この剣の持ち主だったあの男のように、御主達の仲間だった者に、御主が『今でも見せ続けている夢』のことなど気に掛けて、あの者達がこの世を去るまで、セツナを御主に『繋ぐ』こと待とうと思ったのなら。御主は最初から、『それ』が如何に愚かしい過ちか、知っていたことになるでの」
「…………それは、否定しないよ」
「……貪欲で、愚かな未熟者。出来ぬことなど、最初から、せねば良かったのじゃ。百年前より誤摩化し続けた想いに、戻ってしまうくらいなら。百年の年月を、無駄と流すくらいなら。出来ぬことなど……。…………気持ちは、判らぬではないがの……」
シエラは、淡々と、カナタへの言葉を紡ぎ続けた。
「言い訳を、するつもりはない。でも……」
「でも?」
「僕は……。僕はセツナを、見付けてしまったから…………」
「……そうじゃな。セツナも、御主を見付けてしまったの……。──じゃから、カナタ。それを、持って行け」
そうして彼女は、空になったまま置かれていたカナタの為のグラスに、再びの酒精を満たし、受け取れ、と、カナタを見上げた。
「──再度、問う。…………何故?」
鞘に収められ、眠り続ける真なる夜の紋章の化身である剣より、漸く、片手を引き剥がし。
グラスを持ち直しながら、カナタはシエラと、眼差しを合わせた。
「先程、『噂』の話をしたこと、覚えておらぬのかえ?」
「いいや」
「それが、理由じゃな」
「だから、何で」
「妾が聞いた『噂』は、唯の噂ではないが。それでも所詮、噂は噂じゃ。魂喰らいを身に宿しておれば、誰もが何時しか『死霊』を見遣るようになるのか、それとも、魂喰らいを従えること叶った者のみが、それを見遣るようになるのか、そのどちらの『噂』が正しいのかも、妾は知らぬし。噂の全て、間違っていることとてあるやも知れぬ。………が、カナタ」
水を呷るように杯を重ね、『若者』を見詰めながら、シエラは語り続ける。
「何か?」
「御主、先程、否定せなんだな。『死霊』を見遣っていることを。じゃが御主。魂喰らいを真実従えること、叶えておらぬな? そうじゃろう? でなければ、あんな風に、セツナを苛烈に求めたりはせぬじゃろうから」
「…………まあ、ね」
「自覚があるのか否かは知らぬが、御主、それでいて案外、直情じゃからの。『死霊』を振り払う為に、魂喰らいを使わぬとも限らん。じゃがそれでは、何時かセツナを、御主は魂喰らいの中へと『巻き込む』かも知れぬ。────星辰剣を携えておれば、『夜』に属する者、打ち払うこと叶う。御主の見遣る死霊の全てが、『夜』に属しているとは限らんが、それでも、無闇に『ソレ』を振り払わずとも、良くなるかも知れぬ。……ま、護符のようなつもりで、持っておれ。何時か、良いことがあるかも知れぬし」
────グラスを揺すりながら、ひたすらに語り続けて。
語りの終わり、吸血鬼の始祖は、にこ……と笑った。