「護符、なんて言ったのが知れたら、怒ると思うよ? 星辰剣も」
シエラの微笑みを、斜に構えて眺め。
カナタは軽口を叩いた後、星辰剣を取り上げ、己の傍らに立て掛けた。
これ以上の小言を喰らうのは、もう御免だったから、シエラ曰くの『直情』の所為で、故郷の草原の片隅にて既に一度、魂喰らいを解放してみたことがある事実は告げず。
「いいことが、あるといいけどね」
カナタはくすり、笑んで見せる。
「貴女の気遣いは、有り難く、受け取らせて頂くとするよ。セツナの為とは言え、『気に喰わない』僕の為に、百年の昔にもう、ビクトールと談判してくれていたんだから」
「…………気に喰わぬ御主に、気遣い……の……」
笑みを湛えたまま彼は、シエラへ向け、からかいの言葉を重ねたけれど、一転、『吸血鬼の聖母』は、紅玉色の瞳に憂いを浮かべた。
「妾は……そうじゃな……、御主が、気に喰わなかった訳ではない」
「へえ。……それは初耳」
「御主、憶えておるか? あの頃の話ぞ。……何時だったか……セツナに請われて妾が、黄金の都へ御主を迎えに行く道行きに、同道した帰り。御主の言葉尻を拾ってセツナが、御主も自分も妾も、『寂しいと死んでしまう兎さん』、と例えたこと。だから妾を、陽の下に引き摺り出して、カナタ、御主を迎えに行くのだ、と言っていたこと」
「……ああ、あったね。そんなこと」
軽い気持ちで、何故、『自分』の為に? と問うただけなのに。
何故か、シエラが暗い影を帯び始めたから、カナタはすっ……と、その頬より笑みを消した。
「真の紋章を宿して、四百有余年。ネクロードを追って、又四百年。人の世を、ふらふらと漂い始めて、百年。これだけの年月は……決して、短くはあらぬ。何も彼も、とうに妾は押し流してしまったが、それでも、の……。歳月は、長かった。長い歳月を送る間に、この瞳で眺めて来たことも、決して、軽くはなかった」
「だろうね……」
「九百年以上を生きた妾でも。歳月を振り返れば、時に。永くて、辛くて、孤独で、悲しくて、寂しくて……と、そう言いたくなることとて、あるわ。それを言葉にすることなど、遥か昔に諦めてしまったが、それでも。──あの時、それをの。セツナに、言い当てられた気がした……」
「……あの子は、そういう子だから」
酒精を嚥下することを止め、唯、手の中でグラスのみを弄び、肩を落としたシエラに、カナタは低い、言葉を掛ける。
「妾が、天魁星の星の許に、生まれ落ちておらぬとも。あの者を欲しいと、そう思った御主の気持ち、良く、理解出来る。妾が、御主であったならば。御主と同じことをして、同じ道を歩んだかも知れぬ。妾や御主を、『寂しいと死んでしまう兎さん』と、あっさり言って退けるセツナを。妾とて、欲しいと、そう思ったやも知れぬ」
「…………そうだね」
「じゃから妾は、セツナを我が子のように思った。セツナを繋ぎ止めようとする御主が、腹立たしかった。でも……それでも…………。御主は妾の……否、真の紋章宿した者の、『写し身』じゃから。気に喰わなかった訳ではない。御主が見ようとする『希望』、御主のかつての宿星達に、御主が見せ続ける『夢』、それ等にくらい、細やかな手を貸してやろうと、それくらいは思える。セツナが選んだ、御主の為に。…………真の紋章宿した、呪われた者共とて、『希望』や『幸せ』くらい、望んでみても、許されるわ」
カナタが掛けた低い声よりも、尚低いそれでシエラは、ぽつりぽつり、と吐き出し。
「……詮無いことを言った。妾はもう一度、休む」
まるで、真の紋章宿した者共には、一遍の希望も、一遍の幸せもない、と言わんばかりの己が台詞を、僅か後悔したような顔付きになって、寝る、と簡潔に告げ、ガタリ、椅子を鳴らす音を立てて、立ち上がった。
「…………お休み。シエラ『様』」
ふわりふわりと漂うように、別室へと去って行く彼女の背へ、カナタは呼び掛ける。
「そのような呼び方をするでない。気色悪い」
何時も、彼女をそう呼ぶセツナに倣ったかの如く、シエラ様、とカナタに呼ばれた当人は、一瞬だけ立ち止まり、鼻白んで。
バタン、と甲高く、戸を閉めた。
「やれやれ、年寄りは、これだから……」
彼女の姿が消えるのを待ち、カナタは肩を竦め。
独り言を洩らすと、星辰剣を携えて、セツナの傍らへと戻った。
──彼の、大切で、愛おしい存在は。
ほんの少しだけ、疲れたような顔をしながら、それでも安らかに、眠り続けており。
枕辺に、剣を立て掛けてからカナタは、そっと、セツナの隣に横たわって、恋人の、薄茶色の髪を弄び始める。
「……愛してるよ、セツナ。誰よりも、何よりも」
行為の折に流された、汗ばみの名残りを留めるセツナの髪を、長らくの間掻き上げ続け、睦言を囁き。
その夜カナタは、眠りに落ちた。