腕に抱えた袋の中身と、補充しなけれはならなかった旅の必需品リストとを頭の中で照らし合わせて、相違がないのを再度確認しつつのカナタが、恋人を待たせていた宿屋の一室に戻ったのは、セツナがデュナンの城に一人向かってより半刻後のことだった。
「ただいま、セツナ。……って、あれ?」
昨日到着したこのサウスウィンドゥの街で、買い出し係をすることになったのがカナタだったから、というだけが、その日の午後、彼がセツナを置いて出掛けた理由で、他に深い意味はなく、セツナ自身、出掛けようとする彼の背に、
「いってらっしゃーい。今日は楽させて貰いますね。大人しく待ってますからー」
……と、ほえほえと微笑みながら手を振ったので、いる筈のセツナの姿が見えぬこと、カナタは思い切り眉を顰め、
「おかしいな……。────……ん?」
荷物を放り出し、きょろきょろと訝し気に室内を見回して彼は、セツナの置き手紙を見付けた。
「デュナンの城に……? ……何をしに行ったって言うんだろうねえ……」
寝台の上に置かれていた恋人の走り書きを読み、彼は益々、顔の渋みを深める。
キャロの街を発って程なくからセツナの抱えていた『魂胆』などカナタには知る由もないから、その訝しみはもっともで、だが、直ぐに帰って来ると書いてあるのだから、彼のことだ、本当に直ぐに戻るつもりだろう、と考えはしたが。
「何となー……く、嫌だな」
何時如何なる時でも恋人を己が傍らに置いておきたい、という、彼の、他人の目には少々桁外れに映る独占欲から来る想いではなく、予感と言うか、虫の知らせと言うか、間違い無く『一級品』の部類に属する己の勘に腰の座りの悪い想いをさせられたが為。
「迎えに行くか……」
棍を掴み、腰に下げた星辰剣をポンと一度叩いて、カナタは宿屋を出た。
──行き違いになるかも、という不安は欠片も抱かなかった。
セツナが、己の宿す始まりの紋章の気配をどれ程上手く隠し遂せても、他の者にはその気配を追えずとも、初めてセツナと出逢った時、彼が『輝く盾の紋章』を宿しているのを教え、輝く盾の紋章が『昇華』された後には、彼が今どうしているかを何故か伝えようとする始まりの紋章の『訴え』を、必ず拾ってみせるようになった魂喰らいが、カナタの右手にはあるから。
魂喰らいともあろうモノが、早々、セツナを喰らうのを諦めたりはしないだろう現状を考えると、この事実は、それはそれは皮肉な現象、とカナタには思えてならないが、有り難いことも多々あるので、恐らくは始まりの紋章の温もりや輝き、それが欲しくて仕方が無いのだろう魂喰らいの『想い』と、その部分に関してのみ、彼は馴れ合うことにしていた。
…………だから。
「僕が出掛けた直ぐ後に、セツナが出たとして。……どうせ馬だろうから、上手く行けば、あの城で捕まえられるかな」
セツナがここを発っただろう時刻、サウスウィンドゥとデュナン城の距離、それらを素早く計って、恋人もそうしただろうように街の門近くの馬屋で馬を借り、むずかり、一度だけ高く嘶いた馬を御して彼は、サウスウィンドゥの街を取り囲む草原を、デュナン城目指して駆け出した。
昔、その図書館を管理していたエミリアと、ほんの少しだけ似た雰囲気を纏う若い女性の図書館司書に、閉館ですよ、と言われ。
「…………げっっっ」
目的の本探しに没頭していたセツナは、漸く紙面から顔を上げ、窓の外を見遣った途端、真っ青になった。
トラン解放戦争が終わってより、あの頃を知る者の殆どがこの世から去るだけの時流れたと言うのに、未だに世間の何処にも、行き方知れずとなった竜王剣や、門の紋章の片割れの話は流布していないから、最初からセツナは、そこの書物達にも余り期待はしていなかった。
それでもここを目指してみたのは、あわよくば、と言う奴で、探さないよりは探してみた方がまし程度の思いであったから、直ぐに用事は終わって、日没までにはサウスウィンドゥに帰れる、と彼は踏んでいて、故に、カナタにはあんな置き手紙を残したのに、閉館、の声に、へっ? と視線を走らせた窓の外は、もうとっぷりと日が暮れていることを示す、夜の闇に満たされており。
「おっ…………怒られるっっっ! 臍曲げられる、絶対っっ!」
大慌てで彼は、読んでいた本達を棚に戻すと、脱兎の如く図書館から駆け出た。
昔とは絶対的な『質』を変えたが、恋人となってより後も、カナタが己へ発揮する溺愛、若しくは独占欲の『凄まじさ』を、セツナは身に沁みて知っている。
それはきっと、万が一のことでも起これば、近しい者達を亡くし続けたあの頃のように、恋人をも失うかも知れない、というカナタが抱える恐怖の裏返しである、とセツナは思っているから、辟易したことは一度たりとてないが、恐怖の裏返しだろうが何だろうが、カナタのそれが『凄まじい』ことには間違いがなく、
「ひーーー、後が怖いよぉぉぉぉっ!」
置き手紙一つで出て来ちゃって、こんなに帰るのが遅くなったら、どんな『お仕置き』が待っているやら……、とセツナは、哀愁すら通り越した遠い目をして、サウスウィンドゥにて借りた馬に飛び乗った。
「あっ、おい、坊主っ! ガキ一人じゃ危ないってっ!」
「大丈夫ーーーっ! アリガトーーーっ!」
馬を預かってくれていた厩舎担当の兵士に、子供が一人で夜の街道を走るなんて……、と止められたけれど、声高な声のみで礼を告げ、彼はデュナンの城を後にした。
如何に旅慣れた者であろうとも、好き好んで、何と出会すとも限らない夜の街道を行くなどという暴挙は滅多に犯さぬから、行き交う者達の気配すらない、行くべき方角を教えてくれるのは天頂の月と星のみ、と言った風情の街道を、セツナは急ぐ。
何時頃、サウスウィンドゥに辿り着けるかなあ……、とか。
僕、今夜はお夕飯にありつけるのかなあ……、とか。
カナタさん、こめかみに青筋立てながら全開で笑ってたらどーしよ……、とか。
ふわんふわん……と脳裏を過る、他愛無い思いに意識の半分を預け、落ち込んだり愚痴を呟いてみたりした最後。
「えーーーい、考えてもしょうがないっ!」
馬上にて彼は、開き直りの一言を叫んで…………────。