仇なす相手が引き下がると決めたのを見て取り、その気配が完璧に消え去るのを待たず、カナタはセツナの傍らに跪いた。
「セツナ……。セツナ? セツナっっ!」
何故、始まりの紋章が輝いているのかカナタには判らなく、されど輝きが放たれているが故に、闇の中でも、ユーバーの剣がセツナの心の臓近くを貫いたのは知れ、ガラン……と星辰剣を投げ捨て、セツナに纏わり付く紋章の光さえも鬱陶しそうに、震え出しそうになる両手をカナタは差し出す。
一面の大地を紅に染め上げる程、夥しくセツナの血は流れ出ており、呼び掛ける声への応えはなく、辛うじてある息も、今にも止まってしまいそうなくらい頼りなく。
霊薬を与えても、癒しの呪を唱えても、最早、手遅れ……と、そんな現実が、カナタを押し潰し始めた。
「…………嘘……。そんなこと、ある筈……──」
──流れ続けるセツナの血潮に乗って、辺りに漂い始めるは、『死の匂い』。
だからカナタはその時、くらりと世界が歪む程の、眩暈を覚えた。
ガンガンと、早鐘を打たれているように頭が痛み出すのも。
息が止まる苦しみも。
………でも。
「諦めるなんて、出来るものか……っ」
何かの御手に、ぐしゃりと握り潰された如くに世界を歪ませる眩暈も。
倒れそうになる程の頭の痛みも。
喘いでも戻ってはくれない呼吸も。
何も彼もを振り切って彼は、セツナの命を繋ぎ止め始めようとした。
──────が。
カナタが、失える筈ない存在の為に全てを振り絞り、瞳に強い色宿した瞬間、彼の想いに反するように、右手の魂喰らいが鈍い光を放ち始め、
「ソウルイーターっっっ!!」
怒りと悲痛に満たされた声で、彼は魂喰らいの名を呼んだ。
──死の世界にセツナが旅立つかも知れぬ、そんな気配を感じたのだろうか。
目覚めた魂喰らいは、カナタの叫びにも、意志にも応えることなく、己の想いのみを振り翳しているかの如く、益々、その光を強めて、セツナに触れたカナタの右手辺りより、じわじわと、始まりの紋章の光を浸食し始めた。
「…………っ……。頼むから……っ。他に何を差し出してもいいからっ……。セツナだけは…………っっ。……ソウルイーターーっっっ!」
冥い光が、螢達の放つそれのような淡い光を侵して行くのを、止める術もなく。
恋人に触れている己が右手を、引き剥がすこともさせては貰えず。
光と光が入り交じる光景を、唯見遣るしかないカナタの声に、痛々しいまでの懇願が滲んだ。
けれど。
彼の眼前にて繰り広げられる光景に、一遍の変化も与えられず。
────たった今、ユーバーに言われた通り。
魂喰らいは、この世で最も呪われた紋章でしかなく、所詮、どう足掻いてみた処で、それを宿した己が運命は変わることなく。
何に逆らおうとも、末路は同じで。
更なる呪いを、この身は受け止めるしかなくて。
魂喰らいが始まりの窮地を伝えてくるのは、始まりを宿したセツナを、『己が』喰らいたいが為の『行為』で。
他の何者にも渡さぬ為の『行為』で。
『この刻』を眈々と待ち侘びていたのだろう紋章は、望むまま、セツナを喰らい。
そして、願うまま。
後の世までも共にゆこうと誓った最愛の人を、己自身の手で滅ぼす運命を与えてくるのだろう……、と。
懇願を叫んですら止まらない光と光の交錯を、虚ろに見詰めながらカナタは、そう思うことを止められなくなった。
…………百年。
セツナと出逢って、魂の奥底よりセツナが欲しいと願って、百年。
百年の年月を無駄に流し、最愛の人を悲しませ、苦しませ、なのに結局、想いに蓋すること出来ず。
手を伸ばしてしまった結末が、今、目の前にある。
手放してやることさえ出来なかった己の貪欲さが、この末路だ。
己が指先にさえ意志を伝えられもせず、今だけは触れていたくない恋人の躰に触れ続けること強要されて、掛け替えのない命を奪わさせられて。
光景は………見続けるしか、ない。
…………大切な人達を、失い続けたあの戦い。
セツナと巡り逢ったあの頃。
共に過ごした、古き百年。
真実の愛を語ること出来た、この数ヶ月。
全ての出来事、全ての時間、それは一体、何だったのだろう。
全ては一体何の為に、己へ齎されたと言うのだろう。
遥か遠い彼方だけを見詰め続ける旅路を歩いて。
遥か遠い彼方だけを見詰め続ける『高み』へと立って。
己は、一体…………──。
────カナタは。
終わろうとしない光景を見せ付けられながら、そう思い想い続けることを止められなかった。