未だ、宿屋のニ階のその客室の窓から、面している通りを見下ろせば、宵の口を少し過ぎた頃合いの町中を、行き過ぎる人々が窺える時間だったけれど。

買い求めて来た荷物の整理を終えて、少し早めの夕餉も、湯浴みも終え。

町に着いたばかりの今夜は、早めに休んでしまおうかと、カナタもセツナも、もうそれぞれ、夜着への着替えを済ませてしまった。

この町の門を潜る前より数日、野宿の日々が続いていて、疲れていることは確かだったから、早々の就寝を、二人は選んだのだけれど。

流石に未だ、睡魔を迎えるには早過ぎたのか。

「一寸未だ、眠くないかも……」

行儀悪くセツナは、通りを見下ろせる、その部屋でたった一つの窓である、出窓にひょいっと腰掛けて、ぼんやり、下を眺め始めた。

今宵、彼等が部屋を取ったそこは、辺境を旅する者達の為の、宿屋が林立する地区らしく。

通りを見下ろせば、行き交う旅人が。

視線を真直ぐに戻せば、通りを挟んで面している、別の宿屋の客室の窓が。

それぞれ窺え。

「お向かいさんも一杯、灯り点いてますねえ。……この町ってあれですかね。あんまり大きい町じゃないですけど、辺境旅してる人には結構、便のいい町なんですかねー。宿屋も沢山あるし」

窓ガラスに身を凭れ掛けさせてセツナは、あちらこちらに興味を向けた。

「だからなのかなあ……。辻占のお婆さんなんているの…………」

右側に腰を捻っては、旅人を眺め。

左側に腰を捻っては、別の宿屋の窓辺を眺め。

徒然に、独り言を呟いていたセツナは、ふと、思い出したように、夕暮れ時に出会った、辻占の老婆のことを口にする。

「未だ、あのお婆さんに言われたこと、気にしてるの?」

彼の、そんな呟きを聞き付けて、ベッドに腰掛けていたカナタは立ち上がって、出窓に座るセツナの正面に立った。

「気にしてる訳じゃないですよ。…………でもね、ほら。さっきカナタさん、言ってたでしょう? 人間の悩みなんて大抵の場合、金銭か色事か、人間関係のどれかだから、当たりを付けて、辻占の人って話をするんだって」

「……ああ。言ったね」

「適当に当たりを付けて言うのが占いだったとしても、その適当な『当たり』の中から、見た目子供な僕に、好きな人がー、ってあのお婆さんが言ったくらい、僕に好きな人がいるっていうの、見え見えなのかなーって。手に取るように、判っちゃうのかなーって。……そう思ったら、何か……ほわほわしちゃって。だから、気にしてるのとは、一寸違うんですけどね」

室内に灯る明かりを遮るように、逆光の中、セツナの前に立ち、やれやれ……と見下ろせば。

軽く、胸許を押さえるような仕種を見せながら、えへ……っとセツナが、カナタの目には儚く映る、細やかな笑みを浮かべたので。

「…………さっきも言ったろう? ……いいじゃない、本当のことなんだから。僕は、セツナが僕の恋人ですって、自慢して歩きたいよ?」

口許だけにカナタは、笑みのような物を乗せた。

「……そんな、恥ずかしい、こと…………」

笑みには見えるだろう表情を拵え、カナタがそんな台詞を吐いてみれば、セツナの面に過る色は、益々儚くなって、照れを装い、セツナは俯いた。

………………だから。

セツナの語ることは、全て、『本当』のことなのだろうけれど。

辻占の老婆の話も、照れてみせるその仕種も、全て。

決して、何も彼もを晒している訳じゃなくて、所詮は、『目晦まし』か……と。

俯いたセツナを、カナタはじっと見下ろした。

────己が、この『大切』な彼のことを、『愛してはいない』その事実を、セツナはきっと、知っている。

セツナが己のことを、『確かに愛している』その事実を、己が悟っているように。

『遥か昔』から、きっと。

彼はそれを、知ってしまっている。

愛されているようで、その実、『愛されてはいない』ことを、セツナは知っているから。

この関係を、真実の恋人同士が築くそれとは、決して言えないから。

だからセツナは儚く笑い。

何も彼も、『自分が望んだことなのだ』、と言い張り。

こんな、不様としか例えようのない『形』が、彼の愛する馬鹿な男の、どうしようもない望みであることも、知っているが故に。

儚い笑みを、唯々セツナは、何処までも深くしてゆく。

…………叶うなら。

もしも、赦されるなら。

『大切』なセツナに、儚い笑みを浮かべさせているのが己であろうとも、彼のそのような笑みを、一瞬足りとも見ていたくはない、と、願いはするけれど。

彼のそんな笑みを、消し去ることが出来るなら、と、望みはするけれど。

そんな願いも望みも、多分、叶いはしなくて。

多分、赦されはしなくて。

……………………でも、それでも。

大切な『タカラモノ』であり、『灯火』ではあるセツナを手放したら、もう、生きて行くことなど出来はせぬから…………と。

セツナを見下ろす漆黒の瞳より、少しずつ、少しずつ、『色』を褪せさせ。

胸許を、軽く押さえ続けるセツナの両手を、すっ……とカナタは取った。