「…………セツナ」

何時までも天井を仰いでいた処で、自ら飛び込んでしまったこの事態の打開は出来ぬ、と。

姿勢を正し、セツナへと向き直り、シエラは改めて、その名を呼んだ。

「はい……?」

「御主どうして、『怖い』、などと嘆く? あの戦いの頃も、そして恐らくは、あの頃そうだったように今も尚、あの者は御主を『溺愛』して止まぬであろうに。──あれから、ほぼ百年。もしも未だ、あの頃あの古城に居た者達が生きておれば、の話じゃが……その全ての者が、あの頃のカナタは、御主のことを愛して止まなかった、と答えるじゃろう。なのに、当の御主が、何故そのような不安に駆られる?」

「それは、その…………」

シエラに名を呼ばれ。

何故、彼を恐れる? と問われ。

「……えっと…………。えと……僕、が……唯、僕がそう感じるだけです……。何時か、カナタさんに捨てられちゃうんじゃないか……って……唯、何となく…………」

根拠なんて何もない、と、セツナは泣き笑いの顔を作った。

「…………御主がそう『言い張る』なら、妾は何も言わぬ。その想いの源に、根拠なぞないと言うならば、あの者を信ずれば良い、と忠告するのみじゃ」

止まらぬ涙を頬に伝わせ、カナタを信じられぬ理由に根拠などない、と言い張るセツナへ、シエラは大仰な溜息をわざと吐いた。

「……そう……ですよね………………。──御免なさい、シエラ様。変な話、しちゃいましたね……」

シエラのその溜息は、『セツナだけに』聞かせる為の物では有り得なかったが。

そんなことに、今のセツナが気付ける筈もなく。

泣きながら、御免なさい、と小さく呟いたセツナへ、彼女はテーブル越しに腕を伸ばして、その頭を撫でてやり。

「安心せい、セツナ。御主の所為ではない。何も彼も。御主に責などない。だから、泣いたりせず。…………良いの?」

少し、再会を楽しむ為の思い出話でもせぬか、と彼女はセツナに頬笑み掛けた。

そうなると判っていて、酒に弱いセツナに相手をさせていたら、案の定、昔話に興じ始めて程なく、空になったグラスがセツナの手より滑り落ちて、カラン、と、乾いた音を立てたので。

「いい加減、出て来ぬか。ソウルイーター……魂喰らいの主よ」

先程、大仰な溜息を聞かせてやったもう一人の人物、カナタ・マクドールをシエラは呼び付けた。

「やれやれ……。選りに選って、セツナが貴女と再会するとは……」

その様子から鑑みるに、もう随分前からこの酒場にいたのだろうカナタは、命ぜられるがまま、セツナとシエラのテーブルへと近付き。

感情を押し殺すこともなく、あからさまに、嫌そうな顔を作った。

「気に入らぬようじゃな、カナタ。妾がセツナと偶然再会したこと、セツナが泣きながら思い煩いを語ったこと、それ程に気に食わぬか」

だからシエラも、齢九百歳の貫禄を剥き出しに、ちろり、カナタを眼差しで射抜いて。

「待ちや」

椅子より崩れ落ちそうになった、もう意識のないセツナを抱き抱え、そのまま去ろうとしたカナタを引き止めた。

「……何か?」

彼女の制止に、一応は、カナタも応じた。

「未熟者のくせに、随分と良い態度じゃな」

「僕はセツナのように、貴女を、シエラ様、と呼べる程殊勝には出来ていない」

「御主が妾を目上とも思っておらぬことと、御主が未熟者であることには、何の関わりもなかろう?」

「…………だから?」

──カナタ。これだけ言っておく。あの頃、あの湖畔の城に集っていた者達がそうであったように、妾とて、セツナのことは好いておる。御主のそれとは懸け離れておるがの。まあ言うなれば、『お気に入り』、という奴じゃ。だからのう、カナタ。妾はセツナが泣く姿なぞ、見とうとも思わぬ。況してや、セツナが嘆く理由が、カナタ、御主にあると言うなら、腹立たしくさえ感ずるわ。その者は、御主のような未熟者には、到底釣り合わぬ」

立ち止まりはしたものの。

背を向けたまま、振り返ろうともしないカナタへ、シエラは強い調子で言った。

「……何が言いたい」

「妾が知らぬとでも思っておるのか? 御主。────セツナを手放せ、とは言わぬ。御主に手放されることを、セツナも望みはせぬじゃろうから。だからカナタ。少なくとも…………──

──言われなくとも。僕はセツナのことを、ありとあらゆる意味で愛してる。余計な世話だ。泣かせるつもりなんかなかったし、今だって、泣かせるつもりはないよ」

だがカナタは、腕に覚えのある者さえも無条件に黙らせるような、迫力あるシエラの言葉を遮って。

背中越し、僕はセツナを、ありとあらゆる意味で以て、確かに愛している、と告げた。

「ならばせめて、わざとらしい『浮気』なぞ、今宵を限りにすることじゃな」

「…………ああ。そろそろ、その必要もなさそうだから。その忠告には従わせて貰う。──唯、言わせて貰えれば。あの程度のこと、僕の中では『女遊び』にすらならない。欲求の上の問題ですらない。……誰を抱こうとも。僕は、その顔にも躰にも、セツナの面影しか見ないし、誰とどうしていようとも、セツナのことしか考えない。それを、浮気、とは言わないと思うけどね」

「……最低じゃな、御主。──御主の揺籃の師が、何と言うかの、あの世で」

「お誉めの言葉、どうも。──死人はもう、何も言わない。決して」

時折の『女遊び』の折、カナタが、女人の残り香を纏わり付かせて帰ること、その意味を。

確かに察しているシエラと、それをシエラが察していることに気付いたカナタのやり取りは、素っ気無く交わされ。

最後に彼等は、罵りと、罵りに答える愉快げな響きのみを残して別れた。