見開いてみた、己が漆黒の瞳の中には、秋の午後を覆う、青空が映り込んで。
瞬きもせず、蒼天を眺め続け耳を澄まし、気配を探れば、鼓膜を叩くのは風音のみで、生き物の気配一つも、感じられず。
「…………加減、計り間違えたな……。考えたつもりだったんだけど……」
カナタは、仰向けに倒れ込んだ草の中から、のろのろと起き上がった。
ソウルイーターの最後の力を解放した処までは良かったものの、魂喰らいを喰らった帝国兵達が飲み込まれた刹那、その予想外の威力に彼は、吹き飛ばされ。
踏み締めていた街道を囲む、草むらへと、頭と背中を強かに打ち付けつつ倒れた。
だから彼は、ぶつぶつと、自分の不甲斐なさを呪うようにしながら、地面に叩き付けられた体が痛い、と顔を顰めつつ起き上がって。
もう何処にも、敵の影も形もないこと確かめると、そのままその場に、座り込んだ。
「……正体を晒した『お前』と付き合うのは、厄介そうだね。力加減も難しそうだし。やって出来ないことはないんだろうけど、今は未だ、ねえ…………」
踞るようにして座ったその場所で。
倒れ伏しても離さなかった天牙棍を、カラリと放り。
『そこ』を覆う、手袋を外して彼は、確かに宿る、魂喰らいの紋章を眼前へと翳しつつ、溜息と共に、苦笑を浮かべた。
「『お前』を恨むつもりも、厭うつもりも、僕にはないよ……。『お前』が魂を喰らうのは、『お前』の理だ。多分、『お前』にもどうしようもない、理。僕が誰かを愛することが、僕の罪になるなんて、僕には到底思えないのと一緒で、僕は『お前』を憎もうなんて、思わない。…………父上や、テッドや、グレミオや、オデッサを、結局『お前』に奪われたのは、僕の至らなさの所為だ。………………でも、ソウルイーター? もしも、『お前』が喰らった魂を、『お前』自身の中に眠らせているなら。……願いたいよ…………。もう一度、一目だけで良いから。皆に、逢いたい…………。声が聞きたい……。……そう、願いたい……。────遠いんだ……。『お前』だけを道連れに、僕が行こうとしている場所は、遥か彼方よりも遠過ぎて、だから…………」
────湛えた、苦笑を消さず。
眼前に翳した『紋章』、それへ向けて語り掛けつつ、彼は暫しの間、ほんの僅かだけその面を、歪ませたけれど。
何も彼もを押さえ込むように、カナタは、噛み切るまで強く、唇を噛み締め。
憂いているような気配を消し、鉄の味がする、噛み切ったばかりのそこを舐め、ボソボソと低い声の詠唱を唱えて、自傷した唇、倒れ込んだ時に負った幾つかのかすり傷、それ等を綺麗に消し去って、漸く、立ち上がった。
「…………死んだ者はもう二度と、還っては来ない。僕の、大切な人達も。あの兄妹の両親も。────……ああ。良いんだ、今は。戦いの後に遺るもの、それが、全てを喪くした荒れ野でしかなくとも。……今は、それで」
そうして、彼は一度だけ、静かに佇み続ける小さな村を振り返り。
懐より、瞬きの手鏡を取り出して、天へと掲げ、姿を消した。
解放軍本拠地の地下、帰還魔法を操る老魔法使いヘリオンが設えた、大鏡の前へと戻ったカナタは。
ビッキーやヘリオンが掛けて来た、「お帰りなさい」への応えもそこそこに、地上へと続く階段を駆け上がって、船着き場辺りに何時も屯している漁師達や船大工達の目を霞めるように、裏手へと廻り、ポイポイと、棍や、懐の品を放り出すと、漆黒の髪を包むバンダナも、泥に汚れた上衣も脱がず、勢い良く、トラン湖へと飛び込んだ。
湖に浸かり泳ぐには、余り相応しいとは言えぬ季節にも拘らず、そのままカナタはゆらゆらと、遊び呆けているような風情で湖面を漂い。
完全な濡れ鼠になってから水より上がって、今度は堂々と、自室へと戻り始めた。
誠、傍迷惑なことに、本拠地の床から階段から、びしゃびしゃと濡らしつつ、うろうろし始めたカナタの姿を見掛けた仲間達は、皆口々に、
「…………どうしたんですか、軍主様……」
……とか。
「後片付けをするのは、あたし達女衆なんだよ、迷惑だから止めとくれ」
……とか。
「……おい、風邪引くぞ? カナタ」
……とか。
擦れ違う彼に、声掛けて来て。
怪訝そうな顔を向けて来る仲間達へカナタは、その都度、
「一寸休憩してたら、うっかり湖に落ちちゃってね」
と、朗らかに笑いながら、言い訳を告げた。
「カナタ様…………。うたた寝でもしたんですか……? そのままじゃ、風邪引きます。迷惑にもなりますから、さっさとお風呂に行って下さい」
「うたた寝と言うか。一寸、ぼんやりしていたと言うか。──ああ、大丈夫、このまま浴場に行くから、クレオ、着替え頼めるかな?」
そして、びしょ濡れのままカナタが、城の中に入って来たと、仲間達が騒ぎ出したそれを聞き付け、慌ててやって来て、小言めいたことを言い出したクレオには、殊更明るい調子の声で、御免、と軽い調子の詫びを告げ。
息抜き、と称して抜け出した先で起こった出来事を、誰にも悟らせず。
その日、数刻ばかり、本拠地の中から軍主の姿が消えた、という事実を、仲間達の記憶の中より、『それ以上の騒ぎ』とすり替えて。
カナタは、今にも鼻歌を歌い出しそうにしている者に似た足取りで、浴場の扉を潜った。