ヘリオンさえもが予想だにしなかった災難に見舞われた不幸な二人が、何処なのかも判らない不可思議な空間の中に取り残されて、どれ程が過ぎた頃か。
流石に、フリック相手に振るっていたカナタを庇う為の熱弁に疲れたグレミオも、彼の所為で余計に疲れたフリックも、揃って、『透明な見えない壁』に凭れ、ぐったり……、としていた。
「遅いですねえ……」
「……そうだな」
「坊ちゃんとビクトールさん、何時になったら助けに来てくれるんでしょうねえ……」
「……さあな。ジーンとやらが口説けたら、だろ」
「ビクトールさんの科白じゃないですけど、坊ちゃんは確かに、人誑し……、と言いますか、魅力に溢れる素晴らしい方ですから、ジーンさんも簡単に口説けると思うんですけど……」
「どうだかな。カナタが、魅力に溢れる素晴らしい人物、って処からして、俺は疑問だし」
だが、やがて、黙りこくったまま項垂れ続けることにすら疲れ果て、ボソボソと、二人は言葉を交わす。
「フリックさん……。……未だ、そんなことを仰るんですか……?」
唯、思うに任せて口から吐いていたやり取りの最中、フリックが告げたことに、グレミオは眉を顰めた。
「…………当然だろ。俺は未だ、あいつをリーダーと認めた訳じゃない。あいつが、本当にその器かどうか、確かめさせて貰ってる最中なんだからな」
けれどもフリックは、又もやボソッと吐き出した。
「……ねえ、フリックさん」
「……何だよ」
「私は、坊ちゃんがお産まれになる以前からマクドールの家にお世話になっていて、赤ん坊だった頃から、坊ちゃんを手塩に掛けてお育てしてきたんです。未だお小さかった頃の坊ちゃんは、私にとっては弟にも似た存在で、今では、本当の息子のようにすら思えるんです。でも、そんな坊ちゃんも、立派に──私の助けなど要らないかも知れないくらい、立派になられて……。…………本当は、判ってるんです。坊ちゃんにはもう、口うるさいだけの保護者なんて必要ないんだ、って。私なんかが、この軍の皆さんに顰めっ面をされるくらい大袈裟に庇わなくても、守らなくても、坊ちゃんは大丈夫なんだ、って。……判ってるんですよ、本当はね」
──と、グレミオは己の両膝を抱き抱え直して、膝頭にこめかみを押し付けるように顔を伏せ、寂しそうに言った。
「グレミオ?」
「……今直ぐに解ってくれだなんて、言いません。フリックさん、貴方には特に、時間が要るんでしょうね。でも、その内にはフリックさんにだって解って貰える筈です。解る日が来る筈です。坊ちゃんは……、坊ちゃん──カナタ様は…………────」
こうして日々を過ごしている今でも、カナタを己達の軍主としては認めていない、などと告げたら、グレミオは、何時も以上に喚き立てるだろうと身構えたのに、主のことになると嫌気が差す程騒がしくなる金髪の従者が、予想に反し、静かな声でそんなことを言い出したから、フリックはグレミオへと顔巡らし目を瞠ったが、驚くだけの彼を見返しもせず、グレミオは唯々、本当に本当に寂しそうな声で語り続け。
「──僕が、どうしたって?」
カナタ様は、と彼が言い掛けた刹那、彼とフリックの傍らで、唐突にそのカナタの声がし、次の瞬間には、グレミオもフリックも、たった今まで己達を閉じ込めていた大鏡の前に立っていた。
「え? あれ? ……坊ちゃん? それに、ビクトールさんも」
「……あ。出られたのか…………」
漸く、取り残されていた帰還魔法の中から生還を果たした不運な二名は、己が身に起きたことが咄嗟には理解出来ず、きょろきょろと辺りを見回す。
「御免、二人共。一寸遅くなった。もう少し早く戻って来るつもりだったんだけど、行った先で、少し油を売ってしまってね」
「とは言え、ちゃんと、あの鏡の中から出られたんだから、文句ねぇだろ?」
幾度も辺りを見返して、やっと、あの妙な所から出られたのだと悟り、ほう……、と露骨に安堵の溜息を吐いたグレミオとフリックへ、カナタは悪びれもせず、ビクトールは不敵に、それぞれ笑い掛ける。
「油を売って、って……。坊ちゃん……」
「ったく……。あんな所に取り残された俺達を放り出して、何してやがったんだよ……」
「ん? 勧誘と腹拵え。……ほら、アンティの町に、やけに妖艶な雰囲気の紋章師の彼女がいたろう? あの彼女──ジーンを口説いてたんだよ。ジーンは直ぐに口説き落とされてくれたから、そっちは手間要らずだったんだけど、その後、ビクトールが。どうしても、食事してからじゃなきゃ戻らないって言い張ってね」
「仕方ねえだろ、どうしようもなく腹減っちまってたんだからよ」
「でもねえ、ビクトール。だからって、一人で三人前近くも貪り喰らうのは、正直、どうかと思うんだけど。歳、考えたら?」
「……放っとけ。俺は未だ二十代だ」
しれっとしている二人を睨め付け、一体、今の今まで何を、とフリックが問えば、カナタは笑みを深めながら、ビクトールはそっぽを向きながら、アンティで何をしていたのか軽い調子で語りつつ掛け合いを始め、
「ジーンさんの勧誘や、腹拵え……」
「……そっちの方が、俺達よりも優先されることだったってのか……」
彼等の言い草や態度に、グレミオもフリックも、一瞬、死んだ魚のような目になったが。
「優先、という訳ではないけれど。グレミオだってフリックだって、一寸やそっとの災難に見舞われたくらいじゃ、びくともしないだろう? 二人が、この程度のことで、へこたれたり、どうにかなったりする訳もないし。だから、のんびり構えてただけ」
カナタは、愉快そうな笑みを、見遣る者全てを惹き付ける印象的で鮮やかな笑みへと塗り替えた。
「……坊ちゃん……! そういうことだったんですね! 坊ちゃんは、私とフリックさんのことを、そんなにも信用して下さっていたんですね! 私達が後回しにされたのは、坊ちゃんの信頼の証だったんですね!!」
そんな彼の笑みを目の当たりにし、グレミオは、男泣きを始めた。
「………………いや、その。咽び泣くようなことでもなければ、大仰に歓喜するようなことでもないと思うんだけど……」
その所為で、カナタは一転、「まーた、始まった……」と言わんばかりの渋面になって、肩をも竦めたけれども、
「ま、二人のこと、信頼してるっていうのは事実だよ」
もう一度、人々を魅せて止まない笑みを浮かべつつ呟きながら、マッシュの所へ行こうと身を翻した。
「あ、坊ちゃん! 待って下さいってば!」
さっさと、本拠地内を貫く『えれべーたー』へ向かい始めたカナタの後を、グレミオは騒々しく追って行き、坊ちゃん、坊ちゃんと、本当にうるさい彼の背を、フリックは、じっと見詰める。
「どうした、フリック」
「…………いや、別に」
自身達も又、カナタと共に正軍師の所へ行かなくてはならぬのに、足を留めてしまったフリックの肩を、ビクトールが、ポン、と叩いて促せば、立ち止まってしまったことに深い意味はないんだと、フリックは緩く首を振り、歩き出した。
けれど。
ビクトールには素っ気ない一言のみを返し、留めてしまった足を動かしながらも、相変わらず騒々しく喚き立てつつ若い主の後に従うグレミオの背を、尚も目でのみ追ったフリックは。
────日毎夜毎、坊ちゃん坊ちゃんと喚き立てる、騒々しくて、カナタを無条件に甘やかすしか出来ない過保護なだけの従者だと思っていたグレミオは、その胸の中に、本当は何を隠しているのだろう。
カナタ様は……────、の後に、彼は一体、何を言おうとしたのだろう。
彼は。一体、カナタに何を見ているのだろう。
そして、カナタの中に、何を見出しているのだろう。
…………と、取り繕ってみせた態度の裏側で、秘かに思っていた。
もしも、二人取り残された、帰還魔法の中の世界での彼の訴えが真であるなら、あの彼が言った通り、たった今胸に過った問いへの答えも、その内には解るのだろう、とも。
グレミオとフリックの二人が細やかな災難に見舞われた、解放軍本拠地が聳えるトラン湖の孤島が春の盛りを迎えていたその日より、暫くが経った頃。
あの日、あの時、グレミオが途切れさせてしまった言葉の続きは何だったのか。
カナタ・マクドールという彼にグレミオが見ていたもの、彼の中にグレミオが見出していたもの、それが果たして何だったのか。
朧げながらも、フリックにも悟れる日が来た。
……そう、貴方にも解る日が来ると、グレミオが告げた通り。
けれども、その時にはもう、騒々しくて過保護なだけの従者ではなかったグレミオは、この世の人でなく。
End
後書きに代えて
又もや二年振りくらいに(2014.06現在)カナタとセツナ絡みの短編を書いたなんて言わない。
……すみません、ここの処、延々、ドラクエの二次創作の執筆に嵌ってました。でも、幻水も長編はこそこそと書いてる途中です。
──このサイトでは珍しく、グレミオとフリックがメインな話。
某友人の同人作品を読んでいた際に、ふと降ってきたネタに基づいて書いたもの。
有り難う、我が友よ(拝)。
でも、一等最初は完全なコメディ路線でネタを膨らませるつもりだったのに、何故かシリアスチックになってしまった。
尚、グレミオが生きている頃の話なので、未だ、カナタの性格がそれなりに大人しい。筈。
で以て、この話は、鏡の中の(デュナン編)へと続く。
──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。